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前編
アークは、軽薄な男だった。
そこそこ裕福な貴族の家に、三男として生まれ、大きな期待もされず、自由気ままに過ごしてきた。
自他共に認める美しい顔が彼の唯一の武器だった。
キラキラと輝く美しい白銀の髪、小さな顔にバランス良く配置された、美しい瞳、高い鼻、艷やかな唇。
魅力を演出する為だけに、鍛えた細くしまった筋肉。
「まるで彫刻のようね…」
と女たちはため息混じりに彼を鑑賞した。
しかし、この国の女性たちは賢くて、したたか。
彼と夜を共にした女達は、見た目だけ最高傑作の男に溺れたりはしなかった。
「貴方って、見た目とセックスの思いやりは最高なのに…本当に残念よね……男としての魅力が無いの……夜だけでいいわ…」
馴染みの娼妓に、散々な事を言われても、アークはクスクスと笑っている。
「この国一番の娼館の元締に、お褒め頂き光栄です」
アークは、女の汗を拭いてやると、甲斐甲斐しくワインを差し出した。
「褒めて無いわよ…まぁ、貴方って憎めないし、つい手を貸したくなる所があるけどね…」
「そうだろ、よく放っておけ無いと言われるよ」
「……でも、恋心を抱いたり、この方の為ならこの身を滅ぼしても構わない! とは、全く思えないわ……」
女は、ワインを煽りグラスをアークに渡した。
本来、客をもてなす娼館で、こんな振る舞いはしない。特に貴族の男相手は、プライドが高い男が多いため細心の注意を払うのだが、慣れ親しんだ二人の間には遠慮がなくなって来ている。
「そんな重い奴は、願い下げだよ……大体、今どきそんな男が何処に居るんだ…私が言うのも何だが、どこもかしこも偉そうなクズ男ばかりじゃないか」
建国からニ百年も経つこの国は、貴族や権力者の横行が目に余るようになってきた。
あちらこちらで起きる戦争もある。
女、子供、貧乏人には生きづらい世の中だ。
「居るじゃない、飛びっきりのいい男が!」
「誰だ?」
「貴方の所の騎士団長様よ!戦場で負けなし、自ら第一線で戦い、百人切り!5万の敵を相手にわずか3千の兵で勝利した、黒の護国騎士様が!」
珍しく目を輝かせた女を、アークは呆れた目で見た。
彼は、こういう英雄の話は嫌いだった。
何故なら、たった3千の兵で戦わされ死んでいく兵の一人だからだ。
彼は、家から追い出されるように、士官させられ、まだ日が浅い為、戦場の前線には出たことがない。
しかし、ひとたび戦場に出れば間もなく命を落とすと分かっていた。
彼には特別な能力など何も無いし、戦う才能も無かった。あるのは、ただ美しい外見だけだ。
いざ戦闘が始まったら、いかに逃げ惑うかを考えている。
「まぁ…モテるだろうね……英雄で公爵だなんて、出来過ぎた話だよ…」
アークも近くで何度か見たことがあるが、戦で鍛えられた傷だらけの鋼のような肉体と、視線で人が殺せそうな鋭い眼光が印象的な精悍な顔立ち、そこに居るだけで周りの空気が引き締まるような、強烈な存在感があった。
「そうなのよ…伝説になる英雄で…見た目も極上…でも、完璧な人間なんていないよのよねぇ…」
女は、頬に手をあててため息をついた。
「えっ!なに…なに…英雄様の欠点?」
アークは、女の話に飛びついた。
彼女の体に密着し、その柔らかな肩を揉み始めた。
アークの目は輝いている。
もしも、団長の弱点でも掴むことができたなら、自分にとっては最高の切り札になると考えた。
騎士団で名誉の死なんて迎えたくない。
彼は、なんとかして、前線に配置されないように内勤になりたいのだ。
「弱点…どうかしらね…」
「教えて、お願いだ。私に戦場で無残な死を迎えて欲しくないだろう?悪いようにはしないよ」
アークは、彼女の髪に顔を埋めた。
「あの人…娼館には一度、遊びに来たわ…もちろん、女の子達は皆大騒ぎ、誰が黒騎士様に選ばれるか胸を高鳴らせたわ。一番人気のエレナかしら、それとも若い蕾のようなリリーかしら…それとも、性技で有名なロビンか…でも、全然違ったの。選ばれたのは一番人気の無い、大柄で胸の小さいミケーレだったの」
「あぁ!あの子か!まぁ…良い子だし、英雄様程の性欲でも受け止めて貰えると思ったんじゃ無いか?」
「まぁ…趣味は人それぞれだし、そういう人も居るわ…でも、気になって覗いたけれど…全然楽しんでいないし…むしろ、義務で仕方なく来て女を抱いているみたいだったわ……冷めた夫婦だってもう少しましよ…」
「どういうこと?」
「つまり…そういう事よ…」
「?」
「察しが悪いわね…つまり…女に興味がないのよ!」
彼女はぶっきらぼうに言い放った。
アークには、彼女が言っていることが理解できなかった。
物心つく前から女の子が大好きだったアークには、想像もしたことがない世界だ。
「えっ…女に興味ない男なんて居ないだろう。気取っているだけか、実は凄く年上が好きだとか、幼女趣味だとか…ふくよかな女性が好きとか…」
「いいえ、あれは無理に頑張って抱いたのよ…目を硬く瞑って、頭にまったく別の絵を思い描くの…私たちの仕事と同じよ」
「……まさか…つまり…団長は…」
アークは彼女から離れ、ベットから立ち上がった。
はらり、と掛け布が落ちて彼の美しい肢体が露わになった。
「…男色家よ、きっと」
「ありがとう、メイサ!!これで私は、死なずに済むかも知れない。あぁ…何てことだ、この美しい体が騎士団で生き残るのに役立つだなんて!」
アークは考えた。
騎士団長に気に入られ、お願いして内勤にして貰うのだ。
うまく彼のお気に入りになれれば、そのくらいのお願いはきいてもらえるはずだ!
「貴方…まさか、抱かれる気なの?」
「いや、そこまでは考えて無いが…戦場で手足が無くなったり、死ぬほど痛い思いや、恐怖を味わうくらいなら、そっちの方を選ぶ。嫌だけどな」
アークは服を拾い集め、手早く纏い始めた。
「はぁ…情けない…まぁ、貴方らしいけどね」
「ありがとう」
□□□
それから、アークは注意深く団長を観察し始めた。
「まったく…そんな素振りが無い」
お堅く、規律を重んじる、英雄・シュヴァルツ騎士団長に限って、職務中に気を抜く瞬間など無かった。
アークが見ている瞬間に、笑顔を見せる事も一度も無かったし、表情が変わること自体が極めて少ない。
無表情か、真剣に指導する怒ったような顔しか見られなかった。
(私ほどでは無いが、副団長も整った顔をしている、男の色気があるタイプだし…補佐である旧知の仲の、ローゼオと恋仲なのか…)
そう穿った目で見てみたが、二人の間に甘い雰囲気が流れることは想像すら出来なかった。
アークから見ると、何が楽しくて生きているのかと問いたくなるほど、騎士の職務に従順で、騎士の鏡のような男だった。
「…っ…お、おはようございます、シュヴァルツ団長」
「…あぁ、おはよう」
ジロジロ見すぎた為か、アークはこの所、団長とよく目が合う。そして仕方なくアーク方から挨拶をする。
「…アーク・トライユ…着衣に乱れがあるぞ」
「はい、申し訳ありません」
頭を下げるアークに団長が手を出した。
「…動くな」
外れていた詰め襟のホックを、団長の無骨な手がさっと直す。
(…くそぉ…気に入られるどころが、悪印象を与えてしまっている…最近、こんな事ばかりだ、細かいことを注意される…)
「ありがとうございます…」
「騎士団の風紀を乱すな。服装には注意しろ」
シュヴァルツがアークを見下ろして言った。
「はい!」
(…ちょっとホック止めてなかっただけだろう…細かい…この人は本当に目ざとい)
畏まって団長が去って行く姿を見送るが、内心では悪態をついていた。
しかし、立場的にも、実力でも何も敵うモノが無いアークは、逆らう気は無かった。
(あれ?アイツ…また団長の事を見ている)
アークは、団長の事を見張り初めて気がついた事がある。
自分以外にも熱心に団長を見張っている男が居ることに。
彼は、平民出身で試験に合格をして騎士団に入った、ケインという男だ。
アークと同じ二十二歳で、彼は素早さが売りの戦い方をし、目が細く、いつも笑っているような表情をしている。
周囲からは人当たりがよく付き合いやすい人間だと認識されている。
(あんなに真剣に見つめて…ま…まさか!あいつ…団長の事が…好きとか?おーー、神よ!なんて好都合なんだ…)
アークは、喜んだ。そして…ほくそ笑んだ。
(アイツと団長をくっつけて…恋のキューピットになってやる…そしたら…団長の秘密を共有し、恋人とも仲の良い、特別な団員となり、めでたく希望する内勤になれる!いい、完璧だ。自分の尻を差し出す事も無い!)
アークは、その日、勤務が終わると…ケインに近づいた。
「…君と話がしたい。私と付き合ってくれないか?」
アークに話しかけられたケインは、目を丸くして驚いた。
尊い貴族、それも王都でも有名な美しい男…アークに話しかけられたのだ。
普通、平民出身の下っ端の騎士に、貴族は近づいたり、ましてや話しかけたりしない。
「…お…いや、私ですか?」
「ああ、ケイン、君だ」
警戒されないように、アークは微笑んだ。
アークが微笑めば春が来る。一部の男達の間では、そう例えられる美しい笑顔で。
「…は、はい!喜んで…」
ケインは胸が高鳴った。
騎士団の中では、アークは特別な存在だった。
男臭い無骨な人間ばかりいる騎士団に咲いた、一輪の華。
宮殿の化粧臭く鳥の羽や、布だらけ女達よりも美しい男。
男には一切の興味外アークは知らないが、騎士団の中でも、宮廷でも男達には羨望の目で見られている。
騎士団の馴染みの店の中でも、少し高級な食事処へやって来た二人。
さすがのアークもすぐに男同士の恋愛の話を切り出す事が出来ずに、まずは他愛のない出身や趣味、家族の話をしていた。
「そうか…家族は、叔父上だけなのか…」
「はい、十年ほど前に皆、流行り病で…」
「それは…すまない、辛い事を思い出させてしまった…」
なんとなく切り出してしまった家族の話で、ケインを暗い顔にしてしまい、謝るアーク。
彼は、騎士団に送り込まれはしたが、基本的に大事に大事に育てられ、甘やかされ育った。
「いえ…そんな…仕方ない事ですから……それよりも、あのアーク様にこんな他愛のない話ばかり聞かせてすいません…つまらないですよね」
「いや!そんな事はない!私はケインと友人になりたいと思っていたんだ!」
下心のあるアークは、場を盛り上げようと必死だ。
相手が女性なら興味がありそうな話題を出したり、喜びそうな話をすることも出来るが、アークには男性で親しい友人と呼べる者も居ない。
彼の周りの男たちは、お互い牽制し合うか、彼が美しい過ぎて遠巻きに眺めるか、どちらかだった。
そんな状況を、自分は男らしく無いし、男どもに馬鹿にされ相手にされていないとアークは考えていた。
「わ…私と友人ですか?!」
「そうだ…君は、私のように体格に恵まれているわけでは無いのに、難しい試験に合格して騎士団に入った。縁故で騎士団に居る私とは、大違いだ…尊敬する」
つい女性をくどく時の癖で、アークはケインの手を握り、まっすぐに見つめた。
「なっ!そ…そんな…恐れ多い事です!」
ケインは、アークの白く指の長い、綺麗な手をゆっくりと外し、見つめて来る紫の瞳から逃れた。
今まで出会った、どんな人間よりも美しいアークが目の前で自分に話しかけている状況が、現実なのか妄想なのか、分からなくなり、ケインは自分の足を強く踏んだ。
「っ…」
「君は、私のような人間よりも、シュヴァルツ団長のような立派な騎士と交友したいだろうが…」
アークは、ここでシュヴァルツの名前を出し、ケインの反応を探った。
(ケイン…君は、シュヴァルツ団長が好きなんだろう……さぁ、尻尾を出せ、私が取り持ってやろう!)
「えっ!な…なぜ…そんな……団長もアーク様も、私には高貴過ぎて縁遠い存在です」
(やはり…ケインは動揺している…足をダンダンして落ち着きが無いし……妙に汗をかいている…)
「そんな寂しい事を言うな……愛と友情の前には、身分や性別など些末な問題だ」
アークは、ケインの手に自分手を重ねた。
「あっ…愛!」
ケインは激しく動揺した。
まさか…そんなはずは無いと思いながらも、アークが自分に興味を持っているのかと…。
「そうだ…私は、古臭い偏見など持っていない、遠慮する事はない…」
(さぁ、シュヴァルツ団長への思いを語れ!)
ケインの手をぎゅっと握り、アークは、必死に彼を見つめた。
「ア、アーク様……わたしは……わたしは…」
「私を信用して欲しい…」
アークは、女性に最後のひと押しをする時の笑顔を向けた。
「あっ……そ……そんな……私は……駄目なんです……貴方は私なんかと関わらないほうが良い!!私は……最低な人間なんです!!」
テーブルに額をついて涙ながらにケインが言った。荒れた硬い拳が握られている。
「どうした、ケイン!」
(だ…男色家は、庶民の間ではそんなに罪なのか?貴族の間では、褒められた趣味では無いが、男妾だって普通にいるのに…)
「お前達…何を騒いでいる」
「シュ…シュヴァルツ団長!」
「ひぃ…」
いつの間にか、二人のテーブルの側にシュヴァルツ騎士団長と、ローゼオ副団長が立っていた。
テーブルの間と間は、距離があり衝立があるので、顔を出されるまで、二人は気がつかなかった。
(まさか…聞かれた?……いや、聞かれて困るような内容では無かったか?)
「団長達もお食事ですか?」
自分たちの会話を思い出し、安心したアークは、ニッコリと笑った。
「……あぁ」
シュヴァルツが視線をアークからケインに移し、睨み付けた。
「アークとケインが仲良しだとは知りませんでした」
ローゼオがシュヴァルツの斜め後ろから二人を覗きこんだ。
「今から親交を深めるところなのです」
アークが答えると、シュヴァルツの眉間の皺が深くなった。
「…アーク・トライユ、お前は…」
(あれ?団長怒ってない?えっ…まさか…まさか…もしかして!二人は両片思いという奴なのでは!)
アークは立ち上がり、喜びに満ちあふれた笑顔でシュヴァルツの手を握った。
彼の頭の中では、天使達がラッパを吹いて回って居る。
(やはり!神は私を愛しているに違いない!)
「シュヴァルツ団長!ぜひ、ご飯をご一緒しましょう!」
「なっ…何を…」
シュヴァルツは、アークの勢いに押され一歩後退した。
「おぉ、良いですね。私は帰りますから、お二人で食事をされては?」
ローゼオが言った。
(二人?あぁ、そうか、ケインとシュヴァルツを二人っきりにするチャンスじゃないか…)
アークの少ない知能が働き出した。
「それは素晴らしい!最高です」
握ったシュヴァルツの手をアークがブンブンと振った。
「そ…そうなのか…」
「あの!すみません!私はこれで失礼します!」
ケインが突然立ち上がり、荷物をまとめると逃げるように席を離れた。
「えっ…ケイン…ちょっと待って!すみません、私もこれで!」
ケインが居ないのでは意味が無い。アークは直ぐにケインを追いかけた。
「…おい!アーク・トライユ!」
「あーあ、行っちゃいましたね…」
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