追憶は灯火のように

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「あなた、今日は何月でしたかね?」  今思えば、妻のその発言がきっかけだった気がする。  昨日食べた朝食を覚えていないように、日にちを忘れることなんて日常茶飯事だ。 「今日は5月だよ、キミヱ。昨日は子供の日だったじゃないか。孫と一緒に鯉のぼりを作っただろ?」 「そうでしたかね」  首を傾げた妻のキミヱ、少し考えるように答えたが、あまりピンときていない様子だった。  最近テレビで認知症の話題が多く取り上げられている。  日本人の平均寿命が伸びるにつれて、認知症を患うリスクも急速に高まってきているのだ。  65歳以上の認知症罹患率(りかんりつ)は200万人を超え、6人に1人くらいの割合で発症するという予測があるらしい。  私、須賀野吉蔵(すがのよしぞう)は今年で75歳を迎え、妻のキミヱは70歳を迎えた。還暦を過ぎたあたりから、物忘れは多くなってきたが、生活に困ることはなかった。  何故、日付を忘れていたことに若干の違和感を感じたのか。それは、妻は孫娘が大好きだからだ。妻は孫との思い出は常に日記に残し、常にプレゼントを用意し、写真にその姿を収めて成長を見守ってきた。  そんな妻が、昨日鯉のぼりを一緒に作った記憶を、次の日に簡単に忘れるだろうか。  いや、私の考えすぎかもしれない。  しかし気になったのはその日だけではなかった。数日後、アルバムの整理をしていると、私たちがまだ定年を迎える直前の旅行での写真を見つけた。  青々と広がる湖を背に、2人で肩を寄せ合い笑顔で写っている。かれこれ20年くらい前の写真だった。  写真に写っている妻は私の肩に手を置いていた。2人で写真を撮る時はいつもこのポーズだった。  懐かしさに浸っていると、妻が覗き込んだ。 「あら、いつの写真かしら」 「覚えてないのか?結婚記念日だよ。写真を撮る時はいつも肩に手を置いてさ」 「そうだったかしら?もう忘れちゃったわ」  妻は恥ずかしそうに笑っていた。私はそれが少し残念で仕方なかった。  年を重ねるとこうして思い出も泡のように消えてしまうのだろう。  記憶が徐々に薄れゆくことに妻は何も感じていない様子だった。  笑顔で話す妻とは裏腹に、私は恐怖すら覚えた。
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