追憶は灯火のように

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 私と長男は今後の妻の処遇について話し合った。 「親父、協力してあげたいのは山々なんだけど、娘も中学で妻も忙しいから、あまり手伝いに行けない。夜あんな状態だと、親父も見るのが大変だろう?だからさ…」 「あぁ、施設を検討しないとな」  私にとって人生の中で最大の決断だと感じた。妻との時間を過ごすと決めたのに、妻と離れる結果になるなんて。  翌月、介護認定を受けた妻は有料老人ホームへ入所することとなった。  施設へ妻を預け、去ろうとする私に「どこへ行くの?」と問うが、答える事ができなかった。  妻の面倒を見なくてすむ反面、一気に生活が空虚になり、私は生きる気力を失ったように感じていた。  妻のいない家は無駄に広かった。  時折顔を見せに足を運んでいるが、妻は日に日に介護度が上がっていき、いつしか食事さえ自分で取る事がままならなくなった。  さらに1年後、昼間に施設の職員から電話があり、妻が突然意識を失い病院に運ばれたと告げられる。   以前より指摘された脳梗塞が少し悪化していたとのことだ。  意識は回復したものの、言葉を話せなくなった妻。口から食事も摂れず、医師の提案で胃瘻を造設し、乳製品のような流動食が胃に繋がれた管から注がれた。  まるで植物に栄養を与えているようなその光景に、私は耐える事ができなかった。  それから私は妻への面会を自ら拒むようになってしまった。私にはショックが強過ぎだ。二度と買い物に行けない。二度と私の名前を呼んでくれない。二度と私の肩に手を置いてくれない。二度と…。  半月後、経過報告のために医師に呼び出され、久しぶりに妻の顔を見た時は別人かと疑った。  全身は水風船のように浮腫(むく)み、顔だけは肉を削がれたように痩せ細っている。これが人間の最期の姿なのかと、私は妻の姿をそれ以上見る事ができず、病室を後にした。  医師は私にこう告げた。 「須賀野キミヱさんの容態は良くないですね、中心静脈栄養という選択肢もありますが、ご高齢ですしおすすめはしません。あとは自然に任せるか…」 「自然に任せます。妻はこれ以上長生きする事を望まないでしょう」 「でしたら最期までしっかり奥さんに顔を見せに来て下さい」 「…はい、わかりました」  その決断は案外簡単に出た。  浩介にも事情を説明し、寂しそうな顔で承諾してくれた。
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