追憶は灯火のように

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 残り僅かの命なら、私も現実を受け入れ、妻のそばにいてやろうと毎日面会に訪れた。  妻の手を握り、耳元で声をかけつづけた。 「キミヱ、お前はモテていたから、私は苦労したんだよ。昔はわがままだったから何でも買ってあげたね?でも飽き性な君は何を与えても満足しなかった。そんなところも好きだった。私は何があっても忘れない。お前が先に行ったら、私もすぐにそっちへ行くから」  どうせ聴こえてないだろうと思っていた。  妻が聴こえていなくても、声をかけ続ける。私が後悔しないように。  すると栄養のためにやって来た看護師は私を見てこう言った。 「最後まで残る機能は耳だと言われています。だからそうしてずっと話しかけて下さいね」 「そうなんだね。ありがとう」  看護師のその一言に少し励まされた。  少し妻から目を離した瞬間、肩に何かが当たる感触があった。  目を向けると、妻が震える腕を必死に持ち上げ、私の肩に手を置いていたのだ。  驚いた、妻はまだ覚えていてくれたんだ。  その時、感極まった私は大粒の涙を流した。 「看護師さん!見たかい?妻がね、肩に手を置いたんだよ!」 「多分、お父さんが来てくれて嬉しいんでしょうね」  看護師にとっては何気ない動作に見えたのかもしれない。  カメラの前に立つといつも肩に手を置いていた。それは、ほんの習慣に過ぎない。妻はその記憶の一片でも私に授けてくれた。それだけで嬉しかった。  言葉を出せずとも伝わる妻の気持ち。熱を失ったその手は、何故か温かく感じた。  1週間後、妻は急死した。  医師によればこれでも長く保った方だとのことだ。  葬式では皆が涙する中、私は不思議と涙が出なかった。病室で泣き尽くしたからだろうか。  長男は私を心配していたが、むしろ笑ってみせた。 「浩介、心配するな!私はこの通り!」  力こぶを意味もなく見せつけて、浩介は思わず吹き出してしまう。 「親父、相変わらずでよかったよ」  息子には心配をかけたくない。その一心だった。
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