第三話 ファンタジー by Sassy

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第三話 ファンタジー by Sassy

「比井山という少女が来ましたわ」  娘は魔物に声をかけた。  娘は村一番の美しさを保ったままでいた。凶作の年に生け贄として捧げられた娘である。  魔物は祠の奥に寝そべっていた。裸足の足を投げ出し、淡く白く輝く身体を、うすぎぬで覆っていた。 「もう出かけてもよいのか?」  魔物の尖った耳がくりくりした髪の間から飛び出している。 「まだでございます。今夜は新月ですから。闇にまぎれてお出かけができますよ。ただし雪を降らせてはいけません。今の季節は、しとしとした雨になさってくださいね」  まったく、魔物が大人の男だとだれが決めたのだろう。娘はため息をつく。  魔物はまだほんの子どもであった。しかもこれ以上大きくはならない。魔物と言うより精霊のような存在だ。  魔物はただ、雨の降らせ時を知らなかったのだ。子どもらしく奔放にわがままに振る舞った結果、酷い荒天と凶作を村にもたらした。  今日ダダビビデ像のところまで上がってきた少女は、比井山というらしい。  娘には分かった。なぜなら比井山が自分で知らせてきたからだ。比井山がどこまで自覚しているか分からないが、彼女は霊感を持っている。あるていど人の心が読めるらしい。  娘は村一番美しい顔でため息をつく。  比井山は私の代わりとなってくれるだろうか。今までも何人かの女が山の頂上までやって来たが、娘の代わりとなってくれる者は現れなかった。  娘は倦んでいた。いくら美しさを保っていたとしても、幼い魔物の相手をして季節の移り変わりを待つだけではあまりに空しい。  このあたりで思春期を迎えた男たちは、しばしば美しい娘の幻影を見る。  引き寄せられるように新月の夜に祠に向かう。  娘はもう、許嫁の男の顔も思い出せない。ただ、男の腕や身体を思うことはある。  魔物が寝床から飛び出し、娘の胸に飛び込んできた。魔物は娘の心の揺れに敏感だ。 「娘よ。われと一緒にいておくれ。一緒に遊んでおくれ。お前を村一番の美女でいさせてやるぞ」  魔物はかわいらしい唇を娘の頬によせる。  魔物はひとの心の闇につけ込んで、惑わすのだ。  娘は魔物を胸に抱き、目を閉じる。魔物と共に意識を空へと飛ばす。  眼下に祠が見える。  祠は亜図魔山という小山の上にある。祠に至る階段がうずまきのように続いているのが見える。  階段を比井山が降りていく姿が見える。 「あの者は何かを背負っている」  魔物は比井山を指して言う。   何か、とは運命であろうか。そうであって欲しい。 「村一番美しい娘よ。そなたの思い通りにしてやろう。比井山の首が欲しければくれてやる」  魔物は娘の胸に抱かれながら夢見るようにつぶやく。  私は何を望んでいるのだろう。  娘は空っぽの心に問いかける。生け贄になることが決まった日から、心は捨てたのだ。 「今宵は新月です。待ちましょう」  意識だけが祠を離れ、飛翔していく。  夕暮れ時の街は蛍を散りばめたようにまたたいて眼下に輝く。  いく百年か前は、もう少し暗かった。ものごとは変わるのだ。  紫色から藍色に変わっていく空が、魔物と娘を包む。  娘は魔物を抱き、飛ぶ。  しかし亜図魔山の裾野のあたりで飛翔は終わる。見えない壁に阻まれるかのように。そこで飛翔は終わるのだ。  意識が引き戻される。祠の薄暗がりに引き戻される。  祠の中で、娘は目を見開く。  魔物は娘の腕からすり抜け、立ち上がった。  魔物の背丈が伸びたように思える。  ここ百年以上成長をしなかった魔物に変化が起こりつつある。比井山という少女の影響だろうか。  それとも。  娘は着物の前を合わせて唇を噛んだ。  こちらを向いた魔物の顔に見覚えがあるように感じた。  許嫁の男の顔はこんなふうだったかもしれない。
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