2.大和

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2.大和

「ちょっと! 焦げてる! これ焦げてるって! ちゃんと見ててって言ったでしょ! もう!」 「うるさいな。そう思うならお前がちゃんと見ておけって! 料理苦手にしたって肉、ひっくり返すくらいできるだろ!」  グリルの前で激しく言い合いをする孝道と葉月を、キャンプ用のフォールディングチェアに全身を預けながら、見るとはなしに眺めていると、ふふ、と笑い声が聞こえた。見上げた先、見慣れたかおりの白い顔があった。 「仲良いね、あのふたり」 「もともと同じ部署で毎日顔を合わせてるし、気心知れてるって感じなんだろ」  言いつつビールをぐい、とあおる。のど越しは、苦かった。 「大和くんは孝道さんと最近デートした?」  近くにあったクーラーボックスを椅子がわりにして座りながら、かおりが問う。大和は頭の中でカレンダーをめくる。  連絡は毎日取ってはいた。いたが、孝道の会社は今、繁忙期らしく、ふたりだけで会ったのは一か月以上前だと思う。 「かおりさんは?」  なんとなく悔しくて問い返すと、かおりは緩い曲線を描く眉を下げて気だるげに笑った。 「二か月……前かなあ」  勝った、と瞬間思いかけてから、そうじゃないそうじゃない、と大和は頭を振る。  問題はそこじゃない。そんなことより問題なのは、孝道が大和といるよりも葉月と一緒にいるときのほうがいきいきしてみえることだ。 「楽しいよね。四人でいるの」  重くなった空気を払うようにかおりがぱっと微笑む。そうだね、と返しつつ、大和はもう一度ふたりのほうに目をやった。  結婚生活が始まって、二組の夫婦はそれぞれに暮らし始めた。  表向きには仲良し姉弟が同じ時期にそれぞれの恋人と入籍をした、というふうにしか見えない。しかし実情は違う。  夫同士、妻同士がそれぞれに恋をし、それを妻側も夫側も、みんなが了解している。  普通じゃない、と大和だって思わないわけではなかった。だが、父からの見合い攻撃や、孝道との関係を打ち明けられない葛藤が、重しとなって肩にのしかかってきて倒れそうだったあのころ、姉から持ち掛けられた提案は、神の助けに思えた。  孝道の相手が姉というところも良かった。姉にも自分と同じく同性の恋人がいることは知っていたし、その姉となら安心だと思っていた。  でも最近、大和の心はずっと晴れない。  孝道と会えない日が増える度、姉と孝道が仲良さげに笑い合う姿を見る度、正体不明の黒雲が胸の中に巣くって息ができなくなる。 「大和くん、大丈夫?」  そっと背中を撫でられ、大和は我に返る。眉間にしわを寄せ、かおりがこちらを覗き込んでいた。 「少し、暑くて」  曖昧に笑うと、かおりは薄い唇に笑みを浮かべてから、クーラーボックスを開ける。冷えたビールを取り出し、それを大和の首筋に当てて彼女は言った。 「もう九月だけど、ここ日当たりいいからね。熱射病になっちゃうといけないし、ちゃんと冷やしてね」 「ありがと」  かおりはふわりと笑い、元通りクーラーボックスに座りながら伸びをした。 「ここ、バルコニー広いよね。バーベキューできるし。こういうマンションにうちもすればよかったかなあ」  孝道と葉月のマンションでのバーベキューは、三か月に一回開催されていて、もはや四人の間では恒例行事だ。心の中をさらけ出した者同士だし、気疲れすることもないから、楽しい以外ないはずなのに、会が終わって家に帰ると動きたくなくなるくらい体が重くなる。 「バルコニーは今の広さでいいよ」  苦いビールをなめながら大和が呟くと、かおりがふっとこちらを向くのがわかった。  あえて彼女を見ないようにしつつ、大和はビールで喉を湿らせてから言った。 「君も俺も、あのふたりとは違ってインドアだもん。向かないよ」  かおりが静かに息を吸い込む。その音にはっと我に返る。  いけない。かおりは繊細だ。大和の心の揺れを彼女はすぐに感じ取ってしまう。大和が抱えた痛みを自分の痛みのように感じてしまう。  好きだからとか、そういうことではない。彼女はそういう人なのだ。自分の目に映る誰かが苦しんでいると共に苦しんであげようとしてしまう。優しい、人なのだ。  その彼女の気質は美しいけれど苦しそうで、見ていられないと思うこともしばしばだった。だから大和は極力、彼女の前では笑おうと思っていた。  ごめん、といつも通り笑顔を作ろうとしたとたんだった。笑わないで、と彼女が低い声で言った。 「大和くん、笑わなくていい。苦しいなら苦しいって顔していい。私の前でまで笑わないで」  恋人とか、家族とか、とにかく大切な人に言うみたいな台詞だ。 「一応、妻だから」  その大和の心の声が聞こえたみたいにかおりは言った。 「心がお互いになくてもさ、私は大和くんの妻だから。だから、私には笑わなくていいよ」  そう言って笑ってくれる彼女を見ていたら、なぜかこちらも笑いたくなった。  笑わなきゃ、じゃなくて、笑ってあげたい、と思った。
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