へんじがないただのしかばねのようだ

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「喜ぶといいな」  鞄から鍵を取り出すと、手に持った茶色の紙袋がガサリと音を立てた。  冷えた首元をすくめ玄関を開ける。  ガチャッ 「ただいまー」 「…………」  ーーへんじがないただのしかばねのようだ  玄関から、数歩のところでうつ伏せに倒れている男。ペシペシとふくらはぎを軽く叩いて、様子を見る。 「うー」 「お、反応あり。じゃあちょっと失敬」  よいしょっと、うつ伏せの体をまたぐ。 「ぅぐっ」  踏んでないと思う、たぶん。  自分の足の長さを信じて部屋へ進む。  暖房やこたつの電源を付けて戻ると、先ほどより少し前進してるような気がした。 「数ミリ進んだ?」 「うー」 「奥まで行けそう?」 「這う」  あー、昨日廊下の掃除してよかったー。  うごうごと部屋の中へと這っていく様子を見送り、心の中で自分に拍手を送る。  コートや手袋を片付け、買ってきた紙袋をテーブルに置く。  ふと振り返ると、無事にこたつに辿り着いたようで彼の足だけが見えた。最近は特に忙しそうだったから、疲れも溜まっているんだろう。 「おつかれさん」  いつものように髪をなでようにも、頭はこたつの中だ。ふらりと行き場のない手は、外に出たままの無防備な足の裏を優しくなでた。  よーしよし。  ガタンッ  跳ねるこたつ。  足はカタツムリの触覚が引っ込むように、こたつに仕舞われてしまう。 「……ごめっ、んふふ」  元気も補充したところで、温かい飲み物でも入れようと腰を上げた。  お湯を沸かしている間に、紙袋から買ったばかりの大福を取り出す。 「うん、やっぱり緑茶かな」  ふんふん鼻歌を歌いながら引き出しを開け、急須や湯のみ、豆皿を取り出す。  包装紙から豆皿に大福を移していると、ケトルがポンっと音を立てお湯が沸いたことを教えてくれた。  お盆を持ち上げ、こたつへ戻る。 「温かいの入れたよー」  暑かったのか端っこで布団がこんもりと膨らんでいるのが見えた。お盆を置き、パッと布団をめくってみる。 「ぐぉっ」  いきなり光を浴びたせいで、梅干しみたいに顔のパーツがギュッと中央に寄る。 「おはよう。今日もかわいいね」 「それ、今言われても……」  眉間にシワが寄り、薄目でこちらを見上げてくる。うん、かわいい。 「アフタヌーンティーのお時間ですよ」 「うう……もう夜ですね」 「大丈夫心はいつでもアフタヌーン」 「ふはっ、なんだそりゃ」  気の抜けた笑い声に、とれた眉間のシワ。  よっこいしょと声を出しながら体を起こそうとしているので、ずっと着たままだったコートを剥ぎ取った。 「ぎゃーどろぼー」 「ふっふっふ、このコートは預かった。 返して欲しくば大人しく熱いお茶と大福を食べるんだな!」 「わーい」  さっそく急須から湯のみに、ふたり分のお茶を注いでいる。  部屋を出ると、後ろから「あ! 俺の好きなやつ!」と声が聞こえて思わず口角があがった。 「ん?」  コートをハンガーにかけ、ずり落ちないようにボタンをとめる。最後のひとつをとめるところで、ポケットが少し膨らんでいることに気がついた。 「あれっ? スマホでも入れてたかな」  中を探ると、出てきたのは手のひらに収まるほどの小さな箱だった。 「箱?」  気になるが、さすがに人の物を勝手に開けるわけにはいかない。でも気になる。こういうことは、本人に聞くに限る。  コートをクローゼットにかけ、彼の元へと戻った。 「なんか入ってたよ」  大福をもちもちと食べていた彼は、箱を見るときょとんとした顔をした。  しかし、それはすぐ驚きに変わる。 「ああっ!」 「何これ?」 「おわー! 待って待って!」 「おっと」  箱を取ろうとしているが、まだこたつの外にいる私のほうが逃げるのは有利だ。  手を懸命に伸ばしてくる姿は、さながら餌をもらうのに必死なひな鳥のよう。 「うう……」  避け続けていると、眉毛が下がり分かりやすくしょんぼりしてしまう。  しまった、ちょっと意地悪しすぎたかもしれない。   「ごめんごめん」    はい、と彼の前に置くとホッとしたように箱を手に取った。そしてチラチラとこちらを見てくる。 「もう取ったりしないよ。中も見てない」  取られることを心配してるのかと思い、手をぱっと上げてひらひらと振ってみる。 「いや、うーん。えーと……」 「?」  せっかく箱を取り戻したのに、何かを考え込んでいるようだ。  今までの経験上、これは急かしても仕方がないだろう。待っている間に手をつけていなかったアフタヌーンティー(夜)を楽しむことにした。 「うーん、うまい」  少し温くなり飲みやすくなった緑茶と、大福の控えめな甘さに頬がゆるむ。和を噛みしめていると、思考がまとまったのか彼は意を決した顔で口を開いた。 「これ……」  小箱をそっと私の前に差し出した。  大福を食べながら、私は首をかしげる。 「もぐ?」 「うん、いや、あの」 「もぐー」 「そうなんだけど、さっきは焦ってて」 「もぐむぐ」 「実は君にあげようと思ってて」  私の言いたいことがよく分かったなこの人。大福を飲み込んでひと息つき、改めて小箱を受け取る。 「開けてもいい?」 「うん」  パカっと開けると、中にはひと回り小さな紺色の箱が入っていた。 「わーい、箱だ!」 「ううーん、そっちじゃないねえ」  続いて、紺色の箱もパカっと開ける。  中には、銀色に光る指輪。  「ゆびわがいる」 「うん」 「ゆびわ、ナンデ」 「本当は、明日渡そうと思ってたんだ」 「明日……」  壁にかかっているカレンダーを見る。明日の日付を見ても何も印はついていない。  もちろん、何の日かはちゃんと覚えている。でも今まで4回何もなかったから、5回目である明日も同じだと思っていた。  あたりまえの日常を一緒にいられるだけで、私は満足だった。だから彼がそれを口にしたことに驚く。 「覚えてたの!?」 「覚えてたの」 「えっ」 「ずっと、最初の結婚記念日にこれをプレゼントしようと思ってて」 「えっ、最初って、明日で5年目じゃ……」  そう言ったとたんに、悲哀に満ちたオーラと共に顔を手で覆ってしまった。  彼の話によると、指輪が用意できた日が『最初の結婚記念日』になるように、今日までずっと準備していたんだとか。  一度決めたら一直線で頑固な、とても彼らしい理由。  改めて、指輪を持ち上げてじっくり見る。シンプルで上品なデザインで、小さく美しい宝石が一つ付いていた。 「すごい綺麗だね」  顔を覆う彼の手を開かせ、その手のひらに指輪をちょこんと置く。 「んっ?」  戸惑う彼の前に、今度は自分の左手の甲を差し出す。 「指輪は、はめてもらうまでがプレゼント。でしょ?」  そう言って笑うと、少し照れくさそうにしながらもそっと左手を取ってくれた。 「おおーぴったり」  手を握ったり開いたり、薬指に光る指輪をいろんな角度で見てみる。 「すごくいい。私もやりたい」 「えっ」  玄関に放置された彼の鞄を探ると、同じような小箱がひっそりと入っていた。  さっそく、自分より大きな左手を捕まえてお揃いの指輪をはめる。 「ふふ」  揃いになった左手に満足し思わず声が出る。そんな私の様子に少し目を丸くしたあと、彼はほっと息をついた。 「ごめんね、渡し方がぐだぐだになっちゃったけど……君が喜んでくれてよかった」 「どんな渡し方でもその気持ちが嬉しいよ。……くっ! こんなことなら私もピンクのスターチスと赤い薔薇を買ってくればよかった」 「わぁ、発想がイケメン」   昼だったなら、ひとっ走りして買いに行っていたところだ。 「ってことは指輪もくれた訳だし、明日は一緒に過ごせるんだよね?」 「うん。サプライズはなくなっちゃったけどね」 「一緒にいれるだけで嬉しいよ。鍋でも食べながら明日のこと話そうか」  指輪を渡すことがこの人の夢なのだとしたら、私の夢は明日共に時間を過ごしてくれることだ。  もし出かけるなら、花屋とマフラーを買うのにも付き合ってくれるといいな。  そんなことを考えながら、私は昨日も一昨日も大活躍した土鍋を取り出した。
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