明るい朝は、トーストの匂い

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 その年の夏休みに、家族になる練習をすることになった。 久美さんと海人が、ウチに泊まりに来る。  部屋を片付けたり、布団を出したり、準備は大変だったけど、なんだか楽しかった。  俺は、海人と同じ部屋で寝ることになった。 俺のベッドの横に、ソファベッドを置いて、海人が寝られるようにした。  机は狭くて二人では使えないから、宿題はダイニングテーブルですることにした。  夏休みが始まった日の午後に、父さんが車で二人を迎えに行って、二人は大きな旅行鞄をもってやってきた。 「いらっしゃませ」 そう言いながら、玄関を開けて迎え入れると、海人が嬉しそうに駆け寄ってきて「夏休み空知(そらち)と一緒に遊べるなんて、とっても嬉しい」って100点の笑顔で言うから「俺も」って素直にそう言えた。  海人の手を取って、俺たちの部屋まで案内した。 荷物を、下ろして、ベッドの説明をして、二人で夏休みの計画をあれこれ話した、昆虫採集や海で遊ぶこと、夏祭りに行くこと、星空観察に行くことなんかを決めた。  リビングから俺たちを呼ぶ声がしたから、移動した。  リビングでは、父さんがジュースとお菓子を用意してくれていたから、俺は海人と隣同士で座った。 「海人君、ウチにきてくれてありがとう」 父さんがそう言うと、海人は赤くなって小さく頷いた。 その様子がなんとも可愛かったから、父さんも海人の頭を撫でて、楽しそうに笑っていた。 「久美さんも海人君も、自分の家だと思ってくつろいでほしい、わからないことがあったらどんどん聞いて、足りないものがあったらおしえてほしい」 父さんはそう言って、俺たち全員を見回した。 「わかった」 俺がそう答えると、久美さんと海人が笑った。 「空知はわかってるだろ」 「要望も言っていいんだろ、さっき海人と話してたんだけど、虫取りと、海水浴と、星を見に行きたい」 「おぉ、いいなぁ、皆で行こう」 「うん、いきましょう」 久美さんも賛成してくれた 「え!いいの?母さん虫嫌いじゃん」 海人が久美さんをびっくりしてみてた。 「あっ、そりゃあ頑張るわよ、私も海人みたいに、空知君と仲良しになりたいもの」 海人がしまった、みたいな顔で俺のことを見た。 その反応がまた可愛くて笑ってしまう。 海人と夏中遊べるなんて、なんて素晴らしい夏休み。 「久美さん、俺もう、久美さんとも仲良しだと思ってるから大丈夫。 ただ…『お母さん』って呼ぶのは、もう少し待って」 「いいの!いいのよ、呼び方なんて!ありがとう空知君、ありがとう…」 そう言って、久美さんが泣き出しちゃって…俺、まずい事言ったかなぁとおもって、父さんをチラリと見たら、父さんが俺の頭を撫でてくれた。 「あっ、あの僕…」 俺の隣でむずむずしてた海人が慌てて何か言おうとしてた 「僕も、(さかえ)さんと仲良しだとおもってるので、それで…だから…」 「あぁ、ありがとう」 栄は父さんの名前だ、海人が顔を真っ赤にして、一生懸命話しているのを、父さんはバターが蕩けたような顔で聞いていた。  よかったね、父さん。  その日は、ウエルカムバーベキュウをした。 これは俺と父さんで考えた、肉も、魚も、たくさん用意した、それで久美さんはサザエが好きなことが分かった。 海人は、魚を食べるのが下手だった、肉は好きみたいだ。 イカの醤油焼を初めて食べたみたいで、とても気に入っていた。 二人とも喜んでくれてよかった。  父さんは、いつもは忙しくて、半分も守ってくれない、夏休みの約束の計画を、張り切ってたてた「はじめから飛ばすと、続かないぞ」という俺のアドバイスに、渋い顔で沈んで、久美さんと海人が笑ってた。  だって、信じられないよ、夏休みはいつも、父さんが忙しいから、一人だったのに、今年の夏休みときたら。 海人と、朝から晩まで、ずっと一緒にいられるんだ。  毎朝、起きるころには、朝ごはんの用意が整えられていた。 久美さんの料理は、どれもおいしい、目玉焼きも焦げてないし、ハムやベーコンが付いてることもある、レタスやトマトなんかも添えられていた、テレビの中でしか見たことのない朝ごはんだ。  もちろん、ご飯の時もあるし、びっくりしたのはフレンチトーストっていうの? あれが朝ごはんとして出てきた、思わず叫んじゃったよ「スゲー」って。  久美さんにも仕事があるから、大人は仕事に出かけるけど、大人が居なくても、この夏は海人がいる、ずっと一緒に居られる。  午前中に洗濯物を干して、宿題をやって、それが終わったら、ゲームをしたり、プールに行ったり。 昼ごはんも久美さんが用意した弁当があるし、たまに、海人と二人でホットケーキを作ったり、コンビニに買いに行ったりした。 何をしても、二人だからどうにも楽しくて仕方ない。  楽しいから…ちょっと心配になった、母さんはどう思っているんだろう…。 いや、気にしていないよね、母さんにはブドウ園の熊がいるから大丈夫。 でも、何となく不安で、心配になってきて。  海人にそう話したら、海人が『電話してみたら? 』って言ってくれた、電話したこと父さんや久美さんには言わないでいてくれるっていうから ある日、大人が帰ってくる前に電話してみることにした 「もしもし、母ちゃん?俺、空知だけど…」 「うん、空知?どうしたの?」 電話の向こうで、母ちゃんが息を詰めるのが分かった 「俺さ、今、久美さんと海人とお試し生活しているんだけど」 どういったらいいんだろう… 「うん、栄さんから聞いてるよ、どうした?嫌な事があったの? 我慢しなくていいんだよ、母ちゃんのところに来る?」 母ちゃんの声が、いつもよりずっと優しかった 「ううん、母ちゃん、俺さ…海人と遊ぶの毎日楽しい。 ゲームしたり、プールいったり」 「そっかぁ…… 楽しいなら、よかった。 母ちゃんの所には来なくて、大丈夫?」 そうだ、それだ、俺が気になっていた事。 母ちゃんの所にはもう…行けないのかなぁ。 母ちゃんは、どう思っているんだろう。 …… 熊と一緒に居る母ちゃんにとって俺は、本当は邪魔だった? それとも、たまには俺にも会いたい? 「母ちゃんは?寂しくない?」 「空知…… 母ちゃん、とってもずるいんだけど、空知に言ったら…… 空知が困るってわかってるけど、言うね。 母ちゃん、空知に会いたいよ。 空知の顔見て、いろんな話聞きたい。 でも…… 空知。 母ちゃん、空知が楽しいのが一番いい。 空知が今楽しいなら、そのままでいいよ。 空知の優しい気持ちは、母ちゃん、わかってるから、大丈夫。 でも、たまに思い出して。 困ったときは、一番に思い出して、母ちゃんの所においで、いつまでもここに居るから、空知がいつでも来れるように、ここに居るよ」 母ちゃんの声が、微妙に震えていて、母ちゃんが泣いているんじゃないかなぁって思った。 「母ちゃん、俺…母ちゃんの子供のままで居てもいいの?」 「…」 母ちゃんの言葉は聞こえなくて、代わりに熊の声が聞こえてきた 「もしもし、空知くん?」 「うん」 「今、何処から電話かけてるの?」 「家だよ。大人は仕事に行ってるけど、横に海人がいる。 海人が電話かけてきたらって言ってくれたから」 「そうか…ねぇ空知君、栄さんに、俺からお願いするから、海人君と一緒にこっちに遊びに来ない? もうすぐ流星群が来るから、それを見においでよ。 俺が、一生懸命頼んでみるから、海人君に話してくれる?」 「うん、聞いてみる」 「ありがとう、じゃあ、またね」 「熊、母ちゃん泣いてない?母ちゃんに…なかないでねって伝えて」 「…わかった」 そう言って電話が切れた、受話器を持ったままぼんやりしていたら、海人がタオルで顔を拭いてくれた。  それでわかったんだ、俺も泣いていた。 「空知、大丈夫?」 そのまま、海人がよしよしと頭を撫でてくれるから、止められなくて、また泣いた。  なかなか、涙が止まらなくて、海人にすがって泣いた。 海人がギュッと抱きしめてくれるから、海人の背中に縋り付いて、声は我慢しようと思うんだけど、海人が背中をとんとんって優しく撫でてくれるから、我慢できなくて、しゃくりあげて泣いた。  あんまり泣いちゃって、目がパンパンに張れた。  父さんや、久美さんに合わせる顔が無くて部屋に引きこもった。  海人が俺の調子が悪いから、しばらく寝かせておいてあげて欲しいって言ってくれた。  ご飯も海人が運んでくれたから、部屋で食べた、食べている間ずっと海人がそばに居てくれた。  その夜は、海人と一緒に俺のベッドでくっついて眠った。  海人が居てくれて本当に良かった。
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