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新生活
月島海人と月島空知は、血のつながらない同い年の兄弟だ、親の再婚で、連れ子同士だった二人は、小学校三年生、九歳の時に兄弟になった。
幼いころから、強烈に意識しあっていた二人は、右往左往し、七転八倒、お互いを思いあっていることを確認し合い。
なんとか、かんとか、やっとの思いで……高校ももうすぐ終わる、今、恋人同士になった。
恋人同士だが、努力して作ってきた家族でもある、二人の関係を、家族にはまだ隠している。
高校を卒業し、県外の大学に合格して、下宿を始めるまでは、恋人らしい触れ合いを、極力避けて来た。
努力して作ってきた家族を壊したくなかったからだ。
この春、二人はそろって、希望していた県外の大学に合格し、家を出ることになった。
つまりは、家族の目を気にしないで、イチャイチャし放題、そりゃあ浮かれる、浮かれまくる。
だって、やっと思いの通じ合った、熱気ムンムンの男の子なのだから……
それまでは、恋人同士の触れ合いはしない、という約束を守ってきた(恋人同士の触れ合いの解釈は、時々曖昧になるが……)
この目標の為に、海人は本当に頑張った。
勉強を空知に教えてもらうときも、空知がやたらと触って来ようとするので『俺だけ大学に落ちたら困るから、本気で勉強を教えて欲しい』と何度も涙目でお願いした。
空知も、大変努力した、海人に勉強を教えながら、うつむいた項や、伏せたまつげに欲情して触りたくなるのを、海人のお願いを聞いてグッと我慢してきた。
そのかいあって、海人は希望の大学の建築学部、空知は同じ大学の薬学部に、それぞれ合格できた。
二人の合格を、家族も、とても喜んでくれた。
合格が決まり、二人は早速アパートを探した。
二人で暮らすので、『少し広い部屋の方がいい』と言う、父の意見に従った。
大学から少し遠いが、同じ沿線上にある2LDKの部屋を見つけた。
家賃は少々高かったが、海人が、夏休みに父の経営する建築事務所でアルバイトをする、という約束で契約してもらえた。
引っ越しの準備を万端に整えて、空知には気になることが残っていた。
幼い時に、父親を事故で亡くした海人は、自分の為に苦労している母に、とても感謝していた、母 久美に本当の事を話さないまま、海人との同棲を始めてもいいものだろうか……
そこで空知は、キッチンで、洗い物をしている久美の、手伝いをしているときに、何気なさを装って、久美に聞いてみることにした。
「あのさ、久美さん」
「ん? 」
「海人がさ、この家からいなくなるのは寂しい? 」
「そうねぇ、海人と空知が、一緒に居なくなっちゃうのが、寂しいけど、海人も空知も、一人きりじゃないから、心強いわ」
久美は洗い物の手を止めずにそう言った、くるくると手際よく汚れを落としていく。
「海人は、俺にまかせてくれる? 」
「勿論ヨ、頼りにしているわ。
海人は一つの事に集中すると、他の事がおろそかになってしまうから、よろしくネ」
「……うん、あのさ、久美さん」
「あの子、私より、空知の事を大切にしているくらいだから、大丈夫だと思うけど。
喧嘩はできるだけしないで、落ち込むと、なかなか浮上できない子なの。
空知が、海人を大切にしてくれるって、信じているわ」
「…… それってさぁ」
空知は、こっそりと久美の横顔を見る。
久美は相変わらず、皿洗いの手を止めずに言った。
「空知と海人の気持ちは、解っているつもりよ。
覚悟が出来たら、二人で話に来なさいね」
産みの母より、長く暮らした育ての母。
何時だって、この人には敵わない。
いつもちょっと先に立っていて、なんでもお見通し。
泣きながら、幸せに成ろうと約束した人。
「大事にします」
海人は、視線を合わせられず、下を向いたまま、宣言した。
久美はクスクス笑いながら『お願いね』といった。
お母さんの笑顔は、いつだって無敵だ。
海人は、父 栄の事務所のあるビルの前で、途方に暮れていた。
事務所の入っている二階を見上げる。
海人は、栄に言い知れぬほどの感謝をしていた、実の父に、久美の事を任さされていたが、子供の海人には荷が重かった。
その荷を、全て引き受けてくれたのが栄なのだ。
その栄に黙って、栄の血を分けた息子 恋人同士になった空知と、二人暮らしなど始めてもいいものだろうか……
「海人! 」
大きな声で呼ばれて、振り返ると、栄が、後ろからやってきた車から降りてくるところだった。
「何かあったのかい? 」
「いや、そうじゃないけど…… 」
決意して、ここまで来たつもりだったが、いざ栄を目の前にすると、どうにも腰が引けてしまう。
「入学手続きや、引っ越し先の手続きは済んでいるけど、水や電気の連絡は終わっている? 引っ越し用のトラックも借りてあるけど、不備があった? 」
栄の矢継ぎ早の質問に、ただ頭を横に振って『大丈夫 大丈夫』と答える
「じゃぁ…… 迎えに来てくれたの? 今日はもう終わりだから、事務所に顔を出してくるよ、海人も行く? 」
栄に促されて、事務所に顔を出すことになった。
学校帰りで、制服姿のままの海人を、事務所の人々は、ワイワイと迎えた。
「海人君、もうすぐ卒業だろ、その制服姿を見るのも、最後だと思うと、感慨深いよ」
「初めて見たときは、小学生だったのに、おおきくなったなぁ」
「相変わらず、イケメンねぇ、高校生になって、背もぐんと伸びたから、増々男前があがったね♡」
などなど、事務所の人々のありがたい感想を貰った。
『大きくなった』と口々に言いながらも、子供の頃のように、事務所にあるお菓子を、次々に海人に握らせていく。
「じゃぁ、今日はこれで帰るから、何かあったら連絡してくれ」
所長である栄はそう言って、海人を連れて、事務所を出た。
海人は両手いっぱいに、お菓子を乗せられているので、ペコリと頭を下げて、栄の後に続いた。
栄の車に乗せてもらって、家に帰るこ。
話さなくては……、と思うのに。
海人は重い口をなかなか開くことができなかった。
「海人、すこし遠回りして帰ろうか。
久美さんのお気に入りのケーキを買って行こう」
「うん…… 」
栄の車は、いつもの帰り道をそれて、海沿いの道を走った。
早く、早く話をしなくてはと思うのに、海人は一言も話す事が出来ないまま、久美の好きな洋菓子店についてしまった。
栄と、海人は店に入って、久美の好きなケーキを家族の人数分買った。
洋菓子店をでて、今度こそ家に向って走る。
「海人」
「はい」
「憶えているかなぁ、君と久美さんを迎えに行った日も、この道を走ったね」
栄が言っている、海人と久美を迎えに行った日というのは、海人が小学校三年生の夏休みの事だ。
再婚を目指していた、栄と久美が、子供たちの夏休みを使って、共同生活の練習をしようということになった。
夏休みの始めの日に、栄が、久美と海人を車で迎えに来てくれて、大きな旅行鞄を抱えて、月島の家に行った、あの日の事だろう。
「あの時から、ずっと同じだよ。
久美さんも、海人も、空知も、皆で幸せに成ろうと思っている。
僕たちの気持ちに、海人も空知も答えてくれて、僕たちは家族になった。
でもね、今でも思うよ、子供だった君たちは、僕らの願いに、賛成するしかなかったのかなぁと……」
これ以上、栄の話を聞いてしまったら、もう絶対に、本当の事が言えなくなる。
言えなくなって、後ろめたさを残したまま…… でも、じゃあ、空知を諦められるかと聞かれれば、それこそ絶対にできない。
できないから、恋人になったのだ。
「好きなんだ、空知のことが!
栄さんが、久美さんを大事にするのと、同じ気持ちで」
海人は、ギュッと目を瞑って、叫ぶように言った
「あぁ…… それを知らせに来てくれたのか」
「え?」
栄の落ち着いた様子に、海人はパニックになる、まさか、バレていた?
「いいよ、許す」
「え? 」
栄はクツクツと笑っていた。
「君たちが、俺の息子であることは、なにもかわらないだろ」
「そうだけど、でも……」
「アハハ! 許されたくないのかい?」
「いや、許されたいけど」
「じゃあいいね」
「…… イイです、ありがとうございます」
運転席で、まっすぐ前を見たまま、栄が話し始めた
「あの時ね、海人が、空知にくっついてブドウ園に行くと言ったあの時ね。
久美さんが言っていた『海人は、私より空知君を選んだ』って」
声もなく、ただ栄の顔を見たまま、海人は動けなかった。
栄は運転しながらチラリと海人をみて、クフクフ笑う。
「久美さんの幸せより、空知の幸せを選ぶだろう、と言っていた。
海人の顔は、決心した顔だって。
その時、僕たちは思った、親より大切なものを、君達はもう見つけてしまったって……
子供の頃の、勘違いかもしれないと思ったこともあったけど、君達は十年近くたったいまでも、変わらない」
「ご……ごめんなさい」
「謝るようなことは何もないさ、むしろ謝らなければいけないのは、僕の方だ。
君の本気を疑っていた。
幸せに成りなさい」
栄の声は、耳の奥に、さざ波のように届いた。
栄の手が伸びてきて、海人の頭を優しく撫でた。
こらえきれずに、涙が一粒落ちた。
出会った時から、今も変わらず、栄は、海人の尊敬する、頼れる男だ。
彼の大きさを、ただ思い知らされる。
「空知を頼むよ」
海人は、栄を見ることができずに、自分の膝を見つめた。
涙はもう落ちてしまったので、その後も止めることができずに、トクトクと流れ続けた、せめて嗚咽はこらえようと、きつく唇を噛むことしかできなかった。
栄の車が、家のガレージに着いた時、運悪く、空知が玄関先に立っていて、海人が泣いているのを、見てしまった。
車が駐車するのを、もどかしく待っていた空知が、助手席のドアを開けて、海人を引っ張り出すと、強く抱きしめた。
さっきまで大切に抱えて来たケーキの箱が車の中に置き去りになってしまった。
「海どうしたの? 栄さんに意地悪されたの? 言ってごらん」
海人を抱きしめて、空知は優しく聞く
「おい、おい、海人をいじめたのは、どちらかというとお前だよ」
「俺? そんなわけないでしょ! 栄さんが海人を泣かせたんだ!」
空知が、次の言葉を話す前に、海人は、ギュッと空知のシャツの裾を握った。
「空知うるさい、泣いてないよ! 」
空知の胸の中に、ギュッと頭を押し付けて、顔を見られないようにしながら言う
「海人、落ち着いたらケーキを持ってきてね、僕は一足先に久美さんに、コーヒーを入れてもらうように頼んでおくから」
そう言って、栄さんはヒラヒラと手を振って、家に入っていった。
しばらく顔をあげない海人を、抱きしめたまま、空知はただ黙ってそうしていた。
「海? 」
「……栄さんに言った『空知が好き』だって」
「え? 内緒にするんじゃなかった? 」
「内緒にするのが、申し訳なくて…… 勝手にごめん」
「うん、いいよ、それで栄さんが怒ったの? 」
「怒られなかった、空知を頼むよって」
そこまで話して、海人はまたぐずぐずと鼻を鳴らした。
「海、ごめん…… 俺も久美さんに話した」
空知の言葉を聞いて、勢いよく顔をあげた海人の目は真っ赤で、少しはれぼったくなっていた
「あぁ、どれくらい泣いたんだよ、せっかくの可愛い顔が、台無しジャン」
「『可愛い』なんて言うの、空ぐらいだよ…… じゃなくて、久美さんなんて? 」
「幸せにしてあげてねって」
「ふ……ふぇーン」
子供がしゃくりあげて泣く様に、海人は泣き続けた。
空知は、海人の背中を撫でてあやしながら、海人が泣き止むのを待った。
さっき買い求めたケーキを、家の中で、栄や久美が待っていると思いながら、なかなか泣き止むことができなかった。
やっと涙が引いて、玄関の扉を開くと、仁王立ちで、風花、波千が立っていた
「空知! 何で海人をいじめるの! 」
「そうだ! そらは、いつも、かいを、困らせるんだ! 」
どうやら、可愛い妹も弟も、海人の味方らしい、ぐっと複雑な気持ちになる。
「大丈夫、空知に、意地悪されたわけじゃないよ、ただ…… 皆と家族で良かったって思っただけだよ」
小さな弟の波千は、海人の足に縋り付いた。
可愛い妹の風花は、背伸びをして海人の頭を撫でた。
「かい、もうすぐ、引っ越しちゃうから寂しいの?」
波千は、海人の顔を覗き込んで、そんなことを聞いてくる。
「海人が寂しくなったら、風花が遊びに行くから大丈夫だよ」
風花も、一生懸命、海人を励まそうとしていた。
その姿に、一度治まったはずの海人の涙腺は崩壊し、また泣き出した。
海人はしゃがんで、風花と波千を抱きしめた。二人の小さな手が、海人を優しく撫でる。
余計に涙が出てしまった。
三人を横目に、空知はキッチンにケーキを届けた。
「海人、どうしたの? 」
キッチンでコーヒーを入れながら、久美さんに聞かれる。
「家族と離れるのが、寂しいみたい」
「へ? いやぁ、どうしましょう! 久しぶりに、息子が可愛いわ」
久美さんは、ホコホコと楽しそうにしていた。
「空知は寂しくないの? 」
「う~ん、どうかな…… 」
「楽しみの方が大きい感じ? 」
「そう! さすが久美さん、よくわかっているね」
「ふふ、可愛い息子の事だもの」
やっぱり、母の手のひらの上かぁ…… と、空知は思い、それもいいなぁと思う。
久美のいれた、コーヒーのいい匂いを、胸いっぱいに吸い込んだ。
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