夏の始めは、塩素の匂い

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夏の始めは、塩素の匂い

 六月も半ばのとある午後、月島海人(つきしまかいと)は部活を終えて家に帰ってきた、  同級生で弟の空知(そらち)が珍しく、海人より先に家に帰っていて、居間のソファで寝ていた。  学校で水泳部の空知は、泳ぎ疲れたのか、制服のままで、鞄もそこに投げ出されたままだった。  吐き出し窓から、優しい風がカーテンを揺らして部屋に入ってきた、その風が、汗だくで眠っている空知の前髪を揺らして、空知のおでこを隠している前髪から、ほのかに塩素の匂いがした。  その匂いを嗅いだ時、初めて海人は、空知の寝顔を、至近距離で見ていた事に気が付いた。  あわてて離れようとしたその瞬間に、ぐいっと後頭部を引き寄せられる、そのまま二人の唇は重なった。  海人は慌てて、空知から離れようと、ジタバタともがいた。  必死で体を押して、何とか距離を取った 「…… 見ているだけで、我慢できるの?」 すぐ近くで、空知の両目が、海人をとらえる、空知の目が赤く燃えているようで、海人は目が離せなかった。 「俺はもう無理だよ」 後頭部をとらえていた手が、するりと頬を撫でた 「…… 海人」 海人は甘く名前を呼ばれて、腰が抜けて、後ろにひっくり返ってシリモチをついた。  ガチャガチャと玄関を開ける音がした 「ただいまー」 小学生の弟、波千(なち)が帰ってきた声がした。  海人は慌てて、空知から離れ、そのまま二階の自分の部屋に駆け上がった。  空知は、まだあの燃えるような眼で、海人の後ろ姿を見送っていた。  海人と空知は、兄弟だ。 兄弟だと言っても、二人に血のつながりはない。 二人が小学校三年生の時に、空知の父、(さかえ)と、海人の母、久美(くみ)が再婚した。 その時から二人は、兄弟になった。  海人と空知は同い年だが、誕生日の早い海人が長男、空知が次男。 父と母が再婚してからできた兄弟は三人、長女の風花(ふうか)、三男の波千(なち)、四男の(りく)の五人兄弟、全員で七人の家族だ。  海人が四歳の時に、海人の本当の父親は、海難事故で無くなっていた、女手一つで久美が、苦労して自分を育ててくれたこと、一人こっそり泣いている姿を海人はおぼえている。 母、久美がずっと笑顔で居られるのは、父、栄のおかげだと感謝している。  空知の実の母、美桜(みお)は少し離れた場所で、新しいパートナーと、ブドウ園とワイナリーを経営している。 空知は今でも時々、二人の所へ遊びに出かけている。  その為『お父さん』『お母さん』という名称がややこしくなってしまうので、月島家では、皆名前で呼び合う決まりになった。  家族は、約束やルールを作りながら仲良く暮らしてきた。 『家族』を壊したくない、その一心で…
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