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「そんなベタな飲み屋の会話やめてください」
「飲み屋じゃん。ここ」
「もう」
ナナはこのやり取りを楽しむような薄い笑みをたたえたまま、グラスを磨いている。
ぼくが薬指の指輪を弄んでいたのを、ナナは見ていたのだろうと思った。今日はいつもより、この結婚指輪に目をやる回数が多い。
「ほんとに良いんですか?」
ぼくが飲み干して押し出したグラスを、ナナは静かに下げた。探るような瞳でぼくを見る。
「いいんだよ。大人にはいろんな事情があるんだ」
「あたしだってオトナですけど」
ナナはべぇ、と舌を出して見せる。子供っぽさも、彼女のよいアクセントだった。ぼくの心の風が吹いている所を、ナナの笑顔は塞いでくれる。だからこの店に足を運ぶ。
「じゃあ、何かお作りします?」
小首を傾げ、ナナが訊く。
「じゃあ。ボイラーメーカーを」
ナナがきょとん、とした顔をして、カウンターの奥にいる後藤さんの方を向いた。
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