再会

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 彼はベッドの上で目を覚ました。背中と腰がやけに痛い。何とか体を起こし辺りを見渡した。  そこは白を基調とした殺風景な部屋だった。六畳くらいだろうか。あまり広くはない。正面の壁には二十インチくらいのテレビが設置されている。左の方に顔を向けると大きな窓が目に入った。その奥には背の高いビルがいくつか並んでいた。  ここはどこだ。何でこんなところにいるんだ。彼は状況が把握できず頭を抱えた。  少しの時間が経ち、ハッとした。  そういえば、東京の劇場に足を運んで映画を観たんだ。そして、その後に行われたイベントで彼女と十年ぶりの再会を果たした。でも、彼女は自分を連れ出すように叫んだ。  なぜ、あんなことになってしまったのか理解できない。ハグをして、また会おうね、と言っていたのに。  彼は腕を組みうなり声を上げた。  その時、部屋の引き戸がノックされる音が耳に入った。  彼が返答すると、白衣を着た老男が室内に入ってきた。もみあげまで繋がる白いひげをたくわえていた。  「目が覚めたようだね。気分はいかがかな?」老男は見下ろして訊いてきた。  「……ああ。大丈夫です」  老男はうなずき、手にしていたペットボトルを差し出してきた。「水だ。喉が渇いただろ」  彼はそれを受け取り、勢いよく喉に流し込んだ。半分まで飲んだ後、老男に目を戻した。  「あの……ここはどこですか? どうして僕はこんな部屋にいるんですか?」  「うむ、順を追って説明するよ。まず、ここは病院だ。そして私は医者だ」  「病院?」彼は自身の体を触りながら見た。  「大丈夫。軽い打撲だ」  「じゃあ、どうしてですか」口調に苛立ちが含まれていた。  そんな彼を制するように老男は手のひらを向けた。「まぁ、まぁ。落ち着きなさい。ちゃんと説明するから」  「……はい。……すみません」  老男は咳払いをしてから口を開いた。  「昨日、君は映画館に行き、ある女優ともめ事になった。これは覚えているかな?」  あれは昨日起きたことなのか。今、初めて知ったことだった。しかし、ことのあらましは把握していたので彼は首を縦に振った。  「それじゃあ、君と彼女の関係について、過去から昨日起きたことに至るまでの経緯を詳しく話してくれないかな?」  いつの間にか説明を受ける側から、説明する側に移っていることに疑問を抱いたが了承した。  彼は、彼女と恋仲関係だったこと、再会を約束したこと、約束を果たすために東京へ来たことなど、事細かく話した。  話しを聞き終えた老男は眉間にしわを寄せた。「うむ……。やはりそうか……」  なぜ難しい顔をしているのか。彼にはよくわからなかった。  「今から私が話すことを落ち着いて聞いてくれ。いいね」老男の目に意味ありげな光が宿った。  「は、はい……。わかりました」  老男は一拍置いてから続けた。  「君は……妄想性障害なんだ」  えっ、と彼は声を漏らした。「つまり……僕は病気なんですか?」  「そうだ。それは一つ以上の妄想が長期間続いてしまう精神病だ。君の場合、十数年という時間スケールで患っている」  「……じゃ、じゃあ。僕と彼女の関係は妄想だったと言うんですか?」  老男は首を縦に振った。「といっても全てではない。君が言うように一部本当のことはある」  まさか。そんなはずない。耳に入ってくることが信じられなかった。この老男の戯言だ、と彼は思った。しかし、老男は依然として真剣な目を彼に向けていた。  「私は、彼女から君との関係についての真実を聞いている。これから、その全貌を教えてあげよう」  「……わかりました」彼は力なく言った。  「まず、幼なじみということに関してだが、これは君の言うとおりだ」  彼は安堵し、ホッと息を吐いた。  「次に、幼少期から恋仲だったということについてだ。君は彼女に好意を向けていたが、彼女の方は違ったようだ。君のことは全く好きじゃなかった、と本人がいっている」  「そんな……。そんなわけない」彼はすぐさま反論した。  「いや、本当だ。彼女曰く、君に優しく接していたことは確かだ。ただ、それは住まいが隣同士である君たち両家の間で、トラブルを起こさないためのパフォーマンスだったらしい。彼女の善意を自分に対する好意だと君は妄想した。ここから君は彼女に片思いをするようになった。その後、君の感情は歪んだ形へと変わってしまった。どうなったかわかるかい?」  「いえ……。わかりません」  「君の好意は彼女に対する嫌がらせへと転じてしまったんだ。どんなことをされたのか、彼女に訊いたが答えてくれなかったよ。いや、答えられる状態ではなかった、というべきかな。その時、彼女の顔は真っ青になり、全身がブルブルと震えていたからね。そんな状態になるほど彼女の過去は闇が深いにも関わらず、君は彼女との関係が上手くいっている、と妄想していた」  驚きのあまり彼は声を出すことが出来ず、口を開けたままでいた。  老男はさらに話を続けた。  「やがて、彼女は引っ越すことになった。それは小学校の四年生になったとき。つまり君たちが十歳のときだ。理由は親の転勤ではない。君の執拗な嫌がらせに彼女が耐えられなくなったからだ。君のことが嫌いでしょうがない。君の顔は二度と見たくない。とにかく君から逃げたい。脳内から君の記憶をすべて消したい。そんな負の感情を抱えた娘を、ご両親は心配した。そして決めたんだ。このまま君と関わらせるわけにはいかないとね。だから彼女の一家は、君には何も言わず田舎町を去った。それにもかかわらず、君は彼女との別れについて、まるで恋愛小説のような話をしていたね。だが、それも君の妄想だ」  彼は大きく目を開き、体を硬直させていた。ほどなくして昨日の出来事が頭に浮かんだ。  「じゃあ、劇場で彼女が僕に気づいた時、取り乱した理由は……」  老男は大きく首を縦に振った。「そう。その通りだよ。十年前、絶縁したはずの大っ嫌いな男が急に目の前に現れたからだ。どうだい。話が全て繋がっただろ?」 「まさか……。ありえない……」彼はベッドのシーツを握り絞めていた。  彼女との思い出が妄想。しかも、彼女は自分を嫌っていた。それらが真実と言われても受け入れられるはずがなかった。 「嘘だ……。嘘だ……」彼は呟きながら、おもむろにベッドから下りて窓際に近づいた。「そんな話、絶対嘘だ……」  「残念ながら嘘ではない」老男が彼の背後からいった。  「嘘だ!」彼は窓を思いっきり殴った。さらに何発も殴りながら叫び続けた。「嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ! 嘘だ!」  やがて、拳が痛くなってきたところで彼は停止した。視線を落とすと大量の血が流れていて、それが白い床にべっとりと付いていた。疲れも伴って肩で息をしていた。  そんな彼を老男は冷淡な目で見ていた。「どうやら、まだ真実を受け入れられないようだね。それじゃあ、これを見なさい」そう言って正面にあるテレビの電源をつけた。  顔を向けると、ニュース番組が放送されていた。画面の中にいる女性アナウンサーが何か喋っている。彼は注意深く聞いた。内容は昨日に劇場で起きたことについてだった。  今し方、老男から聞いた話を女性アナウンサーは口に出していた。老男が言ったことは本当だったのだ。  しかも、新たにわかったことがあった。彼女は昨日の出来事が原因で芸能界を引退したらしい。それに伴い、上映していた作品も急遽公開中止になったとのことだった。  報道内容が別のものに移り変わると、老男はテレビの電源を切った。「これでわかっただろ。以上が君と彼女の関係の真実だ」  彼は何も言わず、暗くなったテレビ画面を呆然と見つめていた。悲しみ、寂しさ、驚き、絶望など、負の感情が混ざり合って胸が苦しくなった。  次第に、怒りが沸き起こってきた。彼女に対する深い愛が激しく拒絶されていたからだ。漆黒の色は彼の胸の中でみるみると広がっていた。  そして、彼はあることを決めて呟いた。  「次に彼女と再会したら殺してやる」 (完)
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