記憶と期待のクリスマス

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 毎年行われる、クリスマスのミサでのキャンドルサービス。  聖劇に参加して舞台上に残る、数人しか見ることのできない、その光景。  ぽつり、ぽつり、と。  人の手から人の手へ。  順番にロウソクの火が移されていく。  中央から左右へ開き。  そして、後方へ。  幼稚園から大学までが使うから、それなりに収容人数が多い、大きさのある講堂。  その会場一面に光が行き渡っていく、その瞬間を覚えている。  自分がその光の中に入っていたら見ることなどできなかっただろう。  天使役にあたっていて壇上に残った俺の内心は、そりゃあ大忙しで。  会場の空調の風で、自分が持っているロウソクの炎が消えてしまわないかとドキドキしたりとか。  直系10センチ高さ50センチはあろうかという巨大ロウソクを持つのに、腕がふるふるしたりだとか。  背負った羽が肩に食い込んで痛かったとか。  熱で溶けたロウが手にたれて、火傷したとか。  衣装の裾をガッツリ踏んでしまっていて、実は動くに動けない状態になっちゃってるとか。  だけどさ、ろうそくの炎が広がっていくのを見た瞬間に、もう、そんなことは些細なことで、どうでもいい気分になった。  クリスマスの聖劇なんて余計な仕事だと思っていたけど、あの光景を見た瞬間、こんなご褒美があるなら何度でもする、そう思った。  記憶に残るクリスマスは、世の中で言う浮かれさざめくお祭り騒ぎのものとはちょっと違って、聖劇と呼ばれる学校行事に参加した時の、忙しなくも荘厳なもの。  もう何年も前の話だっていうのに、未だに忘れられない。  だから、後輩から来たメールには、色々と考えてしまった。  『高校の教会の降誕祭ミサでお待ちしています』  それだけのメールに何かを期待している俺は、おかしい。  久しぶりの教会は記憶の中とあまり変わらず、人の多さの割に静か。  クリスマスミサだからね。  いつもよりも人は多いし、いつもよりも静粛な感じになっているんだと思う。  ロウソクの光だけが、講堂の中に満ちる。  薄暗いというよりもほの明るい、と表現したくなる、その光。 「……行きましょう、主の平和のうちに」 「神に感謝」  神父の先導に我に返った。  周囲に合わせて唱和する。  覚えていないと思っていたけど、何度も繰り返した文言は、意外とすんなりと口から出てくるものだ。  ミサ曲も、うろおぼえながら歌えていた。  厳かに進行するミサは、面倒だけれど嫌いじゃない。  参加するのは卒業して以来だけれど。 「ミサに参加されてるとは思わなかった」  ミサの終りとともに、キャンドルサービスのために落とされていた電気が点けられる。  いきなりのまぶしさに目を瞬かせていると、横合いから笑いを含んだ声がかけられた。  俺をここに誘い出した、後輩の声。  ミサの途中に入ってきて、横の席に着いたのには気がついていた。 「先輩のことだから、きっと時間ぴったりに教会の前に来ると思ってました」 「暇だったからな」  肩をすくめて答えたら、ふふふと小さく笑われた。 「懐かしかったでしょう」 「ああ……卒業してからこっち、教会なんて入らねえからなあ。っていうか、なんだって待ち合わせがここなんだ?」 「クリスマスだから?」 「疑問形かよ」 「いろいろと懐かしい気分に、なるじゃないですか」 「いろいろと、ねぇ」  さわさわと、静かに楽しそうに席を立って去っていく人の波。 「行きましょう」  当たり前のように手が差し出される。  後輩のその手を放置して立ち上がり、隣に立つ顔を見上げた。  かつてはほとんど並んでいたか、見下ろしていたくらいだったのに、今じゃ見上げるくらいになるとは。 「ムカつく」 「はい?」 「べっつにー」  人の流れに逆らわずに講堂を出る。  建物の外は深々と冷え込んでいて、さすが真冬の真夜中って思った。  俺は後輩と一緒に教会をあとにするけど、信者の人たちはこれから信徒会館で会食をするのだろう。  楽しそうに話しながら移動していく。  人のさざめきから離れると、急に心もとない気分になった。  うん、でもきっとこれは、寒さのせい。 「どこ行くんだ?」  足を動かしながら、斜め後ろに声をかけた。  しんしんと冷えが上ってくるのがわかる。  『降誕祭ミサでお待ちします』だなんてメールで呼び出しといて、このクソ寒い中ノープランだとか言いやがったら、キレちまいそうだ。  聖なる夜に、なんだってわざわざこいつに会ってるんだ、とは思う。  高校を卒業してから、ほとんど接点はなかった。  否。  こいつが一つ学年下だから、高校時代にだってほとんど接点らしい接点はなかった。  俺には俺の付き合いがあったし、向こうはいつ見ても誰かと一緒にいるくらい、人気者だった。  ほとんどその存在も忘れていたくらいなのに、仕事を始めてから偶然に駅で声をかけられて。  何故か何度も駅で会うから何だか可笑しくなってしまって、その流れでメアドを交換して、時々飲みに行くようになった。  それだけの存在。  そのはずだった。 「ウチでいいでしょ? ここからなら歩いてでも行けるし」 「ふー……ん」  こっち、と横道を示す背を追う。  飲みに行くときはほとんどスーツ姿なのに、今夜はラフな格好をしている。  コートにマフラー。  手袋はせずにポケットに手を突っ込んでいる。  背の高さはずいぶんと変わってしまったけど、歩く姿は高校時代と変わらないなと、呑みに行くたびに何となく考えることを、また思った。  今夜、呼び出されさえしなければ、時折感じていたざわざわした胸の内に気づくこともなかった。  『降誕祭ミサでお待ちしています』   それだけのメールに何かを期待している俺が、おかしい。  呼び出された教会の附属高校に、俺たちは通っていた。  俺が忘れられない、ロウソクの灯がたくさん灯ったクリスマスにはこいつも関わっていたから、何か関係があることでもあるのかなって思った。  こいつが何を考えてるのか知りたい、そう思ったのが、大半。  あとはホンの少しのありえない期待。  何を話すわけでもなく歩を進めるのについていくと、ふと、見覚えのある場所にいることに気がついた。 「……高校?」 「あ、うん、そう。近くなんですよ……そこのマンション」 「酔狂だな」 「便利がいいんです、駅近いし。それに夜はすごく静かなんで」 「なるほどな」  壁沿いに歩いて、高校の正門の前に回り込んだ。  誰もいない夜中の校舎は、妙な圧迫感を持っている気がする。  足を止めて校舎を見上げる。  ふと目を向けると、同じように足を止めた後輩は、俺を見ていた。 「何?」 「本気で、偶然だと思ってる?」 「ああ?」 「オレがホントはどれだけあんたと話したかったとか、あんた全然知らないでしょ?」  近づいてきた男は、俺の腕を引き、体を抱き寄せた。  両腕を閉じて、その中に俺を囲い込む。 「卒業してから、最初に会ったのは偶然でしたよ。でも、何度も会ったのは、会いたかったからだ」  耳元で囁く声がする。 「なんで、今夜、来たんですか……」 「てめえ、呼び出しといてよく言うな」 「だって、ホントに来てくれるなんて思ってなかった」 「だったら呼んでんじゃねぇよ。クリスマスなんてカップルのイチャイチャイベントに成り下がってるこのご時勢によ」 「何でだよ……」  掠れた声が、こぼれてくる。 「たかが高校の先輩なのに、なんで、こんなにあんたに……」 「そりゃこっちのセリフだ」  呼び出しておいてのその言いグサか、そう怒鳴りつけたいのはやまやまだ。  いつもの俺なら間違いなくそうしてるところだ。  勝手に触ってんじゃねえよ! くらい言い放って、むこうずねに蹴りを食らわせてやればいい。  それなのに。  奴の行動と、俺のありえない思いが、体を縛る。  そんなはずないと思っていても、抱きしめられれば、期待は高まる。 「ムカつく」 「何がですか」 「全部」 「だから、何の全部ですか? オレが嫌? だったら、逃げればいいんです」  ねえ、逃げていいんですよ? と口では言いながら、その腕には力がこもる。  上背がある相手に抱え込まれていて、逃げようなんて思ったら、暴れまくるしかなさそうな状況だってのに。 「嫌じゃねえけど、ムカつくんだよ。マリア様だったくせに」  俺だって平均身長はある。  その俺よりも小柄で、かつて聖劇で聖母マリアを演じてた男に、今、こうして抱きしめられてるとか。  マジむかつく。 「なんで、今それ関係あるんですか?」 「ムカつくから」 「先輩、話が全然進みませんけど?」  がっくりと肩を落として、奴は俺の肩口に顔を埋める。  そのままぎゅうっと、しがみつくように力が込められる。  それでも、俺が苦しくならないようにしようとしてるのがわかる。  馬鹿野郎。  期待するじゃねえか。  この勘違いが、勘違いじゃないって気分になるだろう。  甘い整髪料の香りがした。 「進みたかったら、てめえが進めればいいだろうがよ、このバカ」 「口の悪い大天使様ですね」  かつて一緒に聖劇に出ていたとき、こいつは聖母マリア役だった。  聖家族像に出てくるような、ベールをかぶった姿を覚えてる。  今とは全然違う、小柄でたおやかで、いつも取り巻きに囲まれていたのも納得するような容姿だった。  今の方がムカつくけど好みだっていうのは、絶対言わねぇけど。  俺はといえば、天使祝詞で有名な大天使ガブリエルだった。  白い羽を背負わされて、白いローブを着せられて、我ながら滑稽だった。 「そこが魅力だって、知ってます?」 「は?」 「あの頃から、あんたはモテモテだったんですよ。その見た目とギャップのある話し方で」  あんたに親衛隊みたいなのができてたって知らなかったでしょう、と、言葉が続く。 「知るか、そんなもん」 「冷たいな」 「影でコソコソやってる奴らがいたとして、なんで俺がそこまで気を配らにゃならん」 「そういうとこも含めて、あなたに心奪われてたんです」  肩口から離れて俺の顔を覗き込んで、奴は言った。 「やっと、あんたに触れられた。大天使だった頃から……ううん、そのずっと前から、オレはあんたに話しかけたかった」  俺だってと言いかけて口をつぐむ。  マリアだった頃のこいつは、俺にはどうでもいい存在だった。  でも、今のこいつは。 「先輩、好きです。付き合ってください。オレのものになって……」  情けない顔が可愛いと思うなんて、俺も相当イカレてる。  でも、クリスマスだなんて恋人たちのために日に呼び出されて、のこのこやってきた甲斐はあった。  あるはずがないと言い聞かせていた、俺の期待は裏切られなかった。 「おせーよ、バカ」  見上げるほどの身長差。  ムカつくけど、それもいい。  困ったときにうつむいても、俺からはその顔が丸見えだからだ。  ちょうど手元に当たった奴のマフラーを引っ張って、俺は目を閉じる。  ぽつん、と。  まぶたの奥にローソクの残像が見えた……気がした。 <END>  
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