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最終章 闇の主と代替わりの秋3
実来が祠の主に話しかけると、頷くような気配がした。
『おれはお前を支えてやるが、お前がおれと、ずっと一緒にいたいなら、やる事が一つあるぞ。おれは神無月の時にしか出てこられないからな』
(それってなに?)
祠の中に、実来は救いを求めて意識を放つ。
すると枯れ葉がほろりと中からこぼれてきて、風に乗るように浮かび上がり、実来の耳の産毛に触れた。
『神無月の間に、裏庭で、死ぬだけさ』
死……。
それでは救いになっていない。
『このまま生きていても寂しいだけ、他で死んでも寂しいだけ。ずっとそんな果てしない孤独の中にいるよりなら、おれがいる間に死んだ方が幸せさ』
主は、そんな風に話しかけてくるが、頭の中に残される祖父の姿が浮かぶ。
『いや、お前が死んだ方が、あの祖父さんだって楽になるさ。お前だって知っているんだろう? お前が、この家から奪った存在を。お前の誕生によって追い詰められて、自らスコップで頭を打ち殴り、頭蓋骨骨折に出血多量で……』
(――やめて!)
姉の紀枝を思い出して、実来は両手で耳を塞いだ。
親戚は姉のことをあまり語らなかったが、実来は見てしまったのだ。祖父の箪笥の中に大切に仕舞い込まれている母子の写真を……。
始めは誰の写真か分からなかったが、近所の人達の話で事態が明らかになってしまった。
彩は、葉山酒造に嫁ぐために、父に口説かれて愛人になって幾度も堕胎して、その後に身体を崩して水商売ができなくなるまでを日記にしていた。
日記には病院の明細書と領収書も貼り付けられている。
この日記を町内や取引先に回してやる、と母は酒造を愛する祖父を脅したのだという。
それで、前妻が亡くなって直ぐに葉山家に入れたそうだ。
『里菜さんと紀枝ちゃんがそうだったし、後妻の彩も消えたし、実来ちゃんも葉山酒造の名家の重みにやられてしまうんじゃないかしら?』
実来は訊ねるメモを手に、この言葉を発した近所の人の元に行った。
それで紀枝の真実を耳に入れてしまった。
『紀枝は、ずぅぅぅと、お前のことを恨んで呪っているぞ』
主が、心に浸透する透明な声で話しかける。
『お前が生きている限り、呪っているぞ。お前は一生、幸せになれないぞ』
(……あぁ、わたしは生きていても無駄だ)
その時、目の端に芝生に転がった草刈り鎌が入り込んだ。
間違って動かすと指を傷つける怖い刃が、闇で微笑む三日月のように魅力的に見える。
『痛いのは一瞬さ、しかし孤独は永遠だ』
実来は主の言葉に導かれ、鎌の柄に手を触れた。
そして強く握りしめると、尖った刃を己の首に向かって振り下ろす。
オォォォォォン!
いきなり、実来の頭に、太い犬の吠え声が落雷のように降り落ちた。
「やめなさい!」
そして誰かが、首に向かっていた鎌に腕を伸ばす。
鎌の先端が、ダウンジャケットに包まれたその腕に刺さる。
相手は驚いて鎌を手放した実来を強く抱き寄せた。
「主の声に、惑わされては駄目」
その人は震え始める実来の細い背を撫でて、深呼吸を促した。
実来は手の力に頼るように、大きく息を吸って乱れていた呼吸を整える。
「目が覚めた? 覚めていないなら、あなたの頬を叩くわよ」
両肩を掴んで、その人は実来に話しかけてくる。
美しい女性だった。
白い肌に輝くような黒髪、痩せた体つきをしているが、がっしりと地に腰を据えているような頼もしさがある。
どこかで見た……ああ、確かにこの人を見た。
(紀枝の母だ)
死の国から駆けつけたのだろうか?
「あら、しゃきっとしていないわね。お姉ちゃん、本当に叩いちゃうわよ」
(――おねえちゃん?)
「あ、そうだった。実来ちゃんは口がきけないのよね。お祖父ちゃんから聞いていたんだった。……でも、大丈夫よ。なにがって聞き返したいかもしれないけど、大丈夫」
実来の姉は紀枝だ。
彼女は自殺を図って運ばれた病院から、この家に戻ってこなかった。
祖父から話を聞いた北海道の叔母が、「左目を飲んだ左目を飲んだ」と錯乱状態になっていた紀枝を引き取って育てていると聞いている。
「正気に返ってから、ずっと調べていたの。山人って、人間を攫って嫁にするんだってね。ずっと、ずっと……山に関する伝承を調べていたのよ」
泥沼の奥から発するような、粘り着く声で姉を語る女が言う。
それが、執念という言葉と結びつくのに時間はかからなかった。
「昔は、狂って夜中にかけだして、山に向かう女がいたというわね。そういうのは、あなたみたいなのがいたせいなんだわ」
紀枝は実来から手を放すと、開いたままの祠にぞっとするような鋭い目を向けた。
「だから、私があなたを葉山から排除してあげる」
『お前には無理だ』
「できるわ」
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