最終章 闇の主と代替わりの秋4

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最終章 闇の主と代替わりの秋4

『もう、お前を助けてくれる未子はいないぞ。お前の口に手を突っ込んで、おれの左目を取り出した……あの未子は……今は……』  主の言葉に、紀枝は笑う。 「私一人で十分よ。それに、今度はあなたが手を突っ込まれる番だわ」  彼女は(ほこら)にぐっと腕を入れ、枯れ葉の中をぐちゃぐちゃにまさぐった。 『ノリエ……やめ……やメろぉォォぉぉぉ』  主がどす黒い声で叫ぶと、裏庭に旋風(せんぷう)が巻き起こり、木々の葉を落とし枝を折り、石が飛び交って紀枝を襲った。  襲いかかるものに傷つきながらも、彼女はその行為を止めようとしなかった。  頼もしいというより、何かに取り()かれているようにも見えた。 「この中に、主が……」  彼女は内臓を引き出すように祠からずるりと(つた)や枯れ葉を引き出して、庭にまき散らす。  主が抵抗して、紀枝を攻撃し、彼女の白い頬と首が青あざと血で染まっていく。 「死ぬのは、主――あなたよ!」  彼女は赤く濁った水晶玉のようなものを抜き取った。  水晶玉の内部に充満する赤い煙のような何かが、中心にある種のような左目を持って中から出ようと藻掻(もが)く。  それが飛び出すより、紀枝が腕を振り下ろした方が早かった。  気味が悪い水晶玉は、高いコンクリートの塀に激突した。  ビシャン、ブォンッ!  水晶というよりも、水風船が砕け散るような音がする。  そして、主と名乗っていたものは砕けて細かな欠片になった。 『……ぁ……ァあ……』  砕けた玉は山から吹いてきた風に触れられると、白と赤の粉に変わる。  そして左目と共に舞い上がり、雲のように空の上に留まり、とぐろを巻いていく。 『呪ってやる……紀枝、呪ってやる』 「呪えばいいわ!」  紀枝が砕けた主に向かって、甲高く叫んだ。 「私だって、あんたを呪うんだから! 神無月(かんなづき)にお母さんが死んだのも、お祖母ちゃんが死んだのも、あんたの仕業(しわざ)なんでしょ!」  目の前で()き出しになった怒りに、実来は茫然(ぼうぜん)とする。  紀枝は、足を広げてきちっと地に立って『主』と名乗った赤いものを睨み付けていた。  すると、白と赤の中からつぶてのような者が落ちてくる。  水晶のようだった主の破片だ。  それは枯れ葉よりも紀枝を傷つけながら、まるで猛吹雪のように裏庭を駆けめぐる。  それを、実来は見続けていた。  動けずに、ただ、見ていた。  紀枝の身体が左右に上下に切り裂かれ、デニムパンツの脚から血が(ほとば)る。  その血は実来の頬にぺたりぺたりと貼り付いた。  実来は、何の痛みも感じない。  主が攻撃しているのが、紀枝だけだからと言うのもあるが……紀枝自身がその身体を盾にして実来を守っているからだ。 (どうして、どうして?)  紀枝は自分を恨んでいるはずなのに、なぜ守ろうとしているのだろう。  ああ、デニムの奥から紅く濡れた肉が見えている。  それでも、紀枝は動かない。 (――どうして、わたしを守ってるの?) 「主、あなたに……ここにいる私は消せないわ」  血まみれになりながら、彼女は天に向かって叫んだ。その自信がどこから来るのかも実来には分からない。  その声で、(わず)かに攻撃が緩んだ。  どういうことなのか分からないが、それは絶対的に紀枝の方が優利だということなのだろう。 「叔母さんから聞いているの。お祖母ちゃんも、お母さんも、その前の女の人達も、心を病んでなくなったって。今になって、それがどういうことか分かるわ。お母さん、倒れるまで病院に行こうとしなかったもの。それに私だって……」  彼女は項垂(うなだ)れそうになるが、また顔を上げる。 「主、あんたは直接人を殺せないのよ。殺したいだけならいくらでも手段があるのに、あんたはそれをしない。回りくどい方法で、人を死に導くだけ」  断言してから、紀枝は少し下品な感じで「認めろよ」と言い放った。 「神無月に神様はいなくなるけれど、神の加護はきっと生きてるんだわ。あんたが息づいているように、加護も息づいてるのよ」  そして血に汚れた手で握り拳を作り、まるで勝利を呼ぶ女神の如く宣言した。 「葉山酒造に、あんたはいらない。あんたはいなくなれ。もう、あんたなんて葉山酒造に必要ないっ!」  完全な拒絶に、天に留まっていた主の赤い部分が揺れ動く。 『おれが、いらない? 葉山は天に落ちるぞ』 「いらない、必要ない。立ち去れ!」 『葉山酒造は潰れるぞ』 「私が潰させない!」 『いいのか、お前とっくの昔に呪われてるんだぞ。もう一度呪われれば……』 「黙れ!」  紀枝は絶叫するように行って、ダカンッと地を蹴る。 「さっさといなくなれ!」  すると、空でとぐろを巻いていた赤白の雲が横に流れていき、主と名乗っていた水晶の中心部分もそれと一緒に動き出す。  すると、ひゅーひゅるりと口笛のような突風が吹き、裏庭横の瓦礫(がれき)や枯れ葉が動きだし、白樺(しらかば)の長い木が折れて旧酒蔵に衝突し、母屋の方のガラスが爆竹(ばくちく)のような音を立てて割れていった。  バンバンバンバン!  激音に実来は両手で耳を塞ぎ、小さくなって丸まった。  目を閉じて騒音が消えるのを待っていると、紀枝が彼女の背を撫でてきた。 「主が、南の方に向かって流れていったわ」 「……」 「怖かったでしょう。ごめんね――未子ちゃん」 (――わたしは実来だわ)  さっきより強く目を閉じて、実来は思う。 「間違えたわ。あなたは……実来……よね」  紀枝は呟くように言って、実来の後頭部をぽんと叩く。 「実来ちゃん、主っていうのは、葉山酒造の先代が祀っていた妖怪なの。あの赤い祠に入れてね、商売繁盛の祈願(きがん)をして……その時に自分の妻を差しだしたんだって」  紀枝の言葉に、実来はそっと目を開けた。 (――妻を?)
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