距離は遠くとも

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「触んじゃねぇよ!」  家のリビングでのひと時、体に伸ばされた彼の手を振り払う。彼はごめんと一言謝って、手を引っ込めた。  私と彼は世間でいうところの恋人関係だ。マッチングアプリで出会い、食事をし、色んな場所に出掛けて仲良くなった。そして結婚に向けた予行演習として同棲生活まで始めている。  けれど私達は普通の恋人ではない。それは私が原因だ。  私には生まれつき、一切の恋愛感情と性欲がない。  その話をするとよく何かトラウマでも抱えているのかと問われるが違う。Aセクシャル、昨今話題のLGBTと同様の、セクシャルマイノリティなのだ。  Aセクシャルを知らない人は驚くのだが、よく考えれば何も不思議なことではない。同性愛にしろ異性愛にしろ、そこに恋愛感情が“ある”のならば、“ない”ということだって有り得る。かつて存在を示す一、二、三という数字だけだった世界に非存在を示す(ゼロ)が加わったことで、数学の世界が大きな広がりを見せたように。  私にとって彼に触れられるというのは電車の中で遭う痴漢と大差ない。むしろ嫌なこと(・・・・)という意味では、痴漢という世間的悪者からされるより、恋人という世間的善者からされる方が余程苦痛だ。よって彼氏という関係であっても、接触は好ましくない。  なので。 「何度も言ってんじゃん。女とイチャイチャしたけりゃ浮気してこい」 「はい、調子乗りました。好きなんです、すみません」 「キスしたら別れるからな」 「知ってます」  こうなる。けれどこれは信頼の証でもある。  何故って、普通なら別れる寸前と受け止められそうな言葉を遠慮なく吐けるから。  世の多くの人は恋人が出来ると人肌の温もりを求める。恋愛ドラマでもハグやキスは必須要素だ。それは普通に生活していれば誰だって知ることだろう。だから私は異性と付き合う時、人に接触されることを受け入れた。求められればキスもした、ハグもした。言い知れぬ違和感を抱えながら関係を続けていると、ある夜相手が私の前で服を脱いだ。そこでようやく、自分の感性が人とは違うことに気づいた。  大抵の場合、少数派というのは寂しいものだ。不安だ。少数派であることは申し訳なくて、多数派に合わせて我慢をする。大事に想う相手なら尚更、傷つけたくない。言えるわけもない。だって普通はそうだ。ハグを断られたら嫌いなんだ、脈なしなんだと思われる。関係に亀裂が入るのも必至だ。  相手は愛情表現をしようと必死に迫ってくる。私は相手を嫌いになりたくなくて夢中で距離を取る。追うと逃げるの繰り返し。当然、亀裂は入る。  結果、別れる。新しい人と出会い、また別れる。何度も、何度も。相手を振る度に罪悪感は募る。  なら同性と付き合えばいいじゃないかと言う人もいた。その人は致命的なことに気づいていない。同性であっても性欲は前提とされている。  ああ、私は一生独り身で生きていかなければならないのだな。  自分が異性を惑わす悪女に見えるおぞましさと、繋がりの切れた寂しさでとても寒かった。  私には、どうしようもなく人を好きになるという感覚がわからない。  こんな私でも人は好きだ。恋愛感情を抱くことはなくとも、友情はある。同じ友人でも親友と特別扱いする相手はいるし、家族より大事な存在はいないと言える。だから人並みに憧れている。大切に想える誰かを見つけて、結婚して、夫婦としてともに未来を歩むことに。  普通の人と何も変わらないのだ。恋愛感情と性欲がないというだけで。  だから求めた。レスであっても一緒にいてくれる異性を。一生レスでも繋がっていてくれる家族を。 「俺もセックスは必須じゃない人間だけど、ここまで全くゼロの人は初めてだよ」 「いいでしょ、子供が絶対に出来なくて」 「まぁそうだけど」  マッチングアプリに登録しようと思ったのは、兄がそうしていたからだった。確かに条件を見て相手を選べるのは、私みたいな少数派の人間には良さそうだと思った。運転免許証をスマホで撮影して、すぐにアカウントを作った。  こうして色んな人のプロフィールを見ていくうち、DINKs婚という言葉を知った。子供を持たない夫婦のことだ。そういう人ならと思い、私はそのキーワードを書いた人に声をかけた。けれどDINKs婚を望む多くの人の大半は、レスは勘弁という人達だった。子供が欲しくないというのは、性欲がないと同義ではないのだ。結果、私は相手探しに非常に苦労し、一回目の登録では三ヶ月ほど頑張った後に退会することになった。  そんな中で、絶対に子供は要らない、一生レスでも構わないという男性とマッチング出来たのは奇跡だった。それも検索エリアを首都圏に設定していたにもかかわらず、私の家から徒歩五分のところに住んでいたのは運命としか言いようがなかった。なんとなく気が向いて、一年以上のスパンを開けて二回目の登録を済ませた当日に繋がったというのも運命感を強めている。  偶然というのは出会いをロマンチックに演出する。私達はすぐに仲良くなった。そして絶対にキスをしないという約束のもと、付き合うことにした。  そして私達はとても上手くいっている。洗濯物の干し方が雑だの食器の干し方がなってないだのといった痴話喧嘩は絶えないが、なんだかんだ同棲生活は平和に続いている。  このまま結婚するのかな。そんな気持ちも自然と湧いてくるほどに。 「私達、ずっと一緒に暮らしていくのかな」 「さぁ、どうだろうね」  一緒にテレビを見ながら、そんな会話をする。畳派の私はソファー下の絨毯に、彼はソファーの上で寝転がっていた。体を起こさなければ手が届かない距離、少し離れたくらいが私にとっては一番心地いい。 (激情を抱く恋人なんて私には要らない。安定した繋がりの夫婦に早くなれたらいいのに)  恋愛感情なんて知らない。体を求める意味もわからない。けれど一緒にいたいとは思う。  そんな気持ちをくれた彼には、人として感謝を伝えたい。いつか、素直な言葉で。
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