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私たち、夫婦になります
「いってらっしゃいませ」
数か月前からこの日のためにずっと相談していた女性が、薄暗い小部屋の中でもよく見える距離で優しい微笑みと共に私にそう言った。言葉と共に甘さが少し奥にある爽やかな花の匂いが、鼻を撫でた。
家族のことをたくさん話していたからか、親戚のようにも感じる女性とこうして話すのも今日が最後かもしれない。だって、ずっと今日のために話していた相談人だったのだから。彼女の表情もどこか達成感で満ち溢れた表情をしている。この日が無事成功すれば、彼女にしっかりとした給料が入るのだろう。とても親身になって話を聞いてもらっていたので、是非しっかりとした給料が入ることを私は願う。
私が頷くと、彼女は私の顔にヴェールをかけた。暗い小部屋でかけられると全く前が見えない。数歩でも歩くのは心配で、つい私が足元を見ていると目の前の茶色い扉が両側に向かって開いた。瞬間、零れる明かりで足元も手元もしっかりと見えた。眩しいほどではない、温かい光に包まれた部屋から大きな拍手が巻き起こった。
何度か瞬きをすると、ヴェール越しでも中の様子がよく見えた。今まで狭い小部屋で待機していたからか、やけに広く感じるフロアには私の親族と彼の親族が揃っていた。
真っ白なテーブルクロスがかけられた丸テーブルは隣のテーブルの人と話せる距離だけどぶつからないという適度な距離で並び、中心には桃色と白色で可愛らしく飾られたフラワーアレンジメント。色や形は私が選んだり変更したもので、ふんわりとした円を描く様子はやっぱり可愛くて私はヴェールで顔が隠れているのをいいことに、にんまりと笑っていた。
「足元にお気を付けください」
後ろからひそひそと言われて私は慌てて下を見た。
ヴェールで前方が遮られているだけなので、下を向けばしっかりと足元は見える。見ながら私は、よくドラマで見る新婦が上品に俯いているのはこういう理由かもしれないと一つの真理に辿り着いた気分だった。
一歩、また一歩、と慎重に進む。
「ああ……こんなに綺麗になったんだなぁ……グス」
お父さんが私の横に立ちながら手を差し出してきた。その手を掴みながら私は「大げさだなぁ」と笑った。涙ぐむ父を見たのは初めてで少々戸惑ったが、これもこういう日ならではの貴重なシーンと思って突っ込むことはしなかった。父の導きを頼りに、私は少しペースを速めて進む。
装飾にこだわったドレスなので少し裾を蹴りながらじゃないと踏んで躓いてしまいそうだった。
これもある種の試練なのだと自分に言い聞かせながら私は歩を進めていく。
一瞬顔を上げると、黒い本を広げた神父の前で立っている白タキシードの彼が見えた。
「杏奈―! 超綺麗よ!」
途中、美夏の声が聞こえた。私は声が聞こえた方に顔を向け、見えているかわからない微笑みを向けた。信頼できる友人を誘ったが来れたのは片手に数えられるほどだけだった。でも、かなり急になってしまったのだから仕方がない。
なんせ、私のお腹に生命が宿ったのだから。
父親の手にひかれて彼の元まで歩ききった私は、父から手を離し、穏やかな笑みを浮かべる新郎である陸斗の手に、重ねる。そして2人並んで神父の前に立った、時だった。
「お引き取り下さい!!」という怒号と
バーン!という扉が勢いよく開く音が聞こえた。
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