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ゲドウが、俺から奪ったナイフ……俺が女性から奪ったナイフなわけだが……を構えて、俺の胸もとに狙いをさだめ……。投げつけようとしたのだろう、ひじをまげて右手にもったそれを肩へひきつけていく。そのときになって、やっと、その一連の動きがコマ送りのようにゆっくりと進んでいることに気づいた。自分が死ぬ間際だからなのか? そんなことを思う目に、ゲドウがナイフを取り落とすのがみえた。いや、取り落とすというよりは、手をはなしてしまったという感じだ。あつい鉄鍋をにぎってしまったときのように、反射的に手をひらいたようにおもえた。
ゆっくりと、花びらのように、ナイフが落ちていく。それを棒立ちでながめる俺は、枯れた樹木みたいだ。ああ、落ちていくな。シンプルで曲線的な模様がきざまれ、黒を基調としたナイフは、黒曜石でできているかのようだ。それが地面にとどいたと思えたまさにそのとき、時間の流れがもとにもどり……
……ナイフは、目にもとまらぬ速さで俺の胸に突き刺さった。
俺よりも、ゲドウのほうが驚いた顔をしていた。投げたわけではない、突き刺したわけでもない、ナイフ自身が意思をもつかのように、勝手にとんで刺さったのだ。
なにが起きたと考えるよりさきに、ぐりぐりとえぐるようにナイフが動く。
すさまじい激痛に悲鳴をあげようにも声すらでない。ぐりぐり、ぐりぐりと、もぐりこもうとしていた。周囲の音がきえる。俺の死にざまを見物していた連中が息をのみ、だまりこんだのがわかる。ゲドウすら、声を発することなく、刺さりこんでいくナイフを目で追っていた。視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚、五感のすべてがとぎすまされ、なにもかもが鮮明で激しく、外から内へむかって流れこんでくるのだった。
つまり、それは、生きたまま胸をえぐられる痛みもまた奔流となって俺を襲っていたということだ。ほんの何秒かの沈黙のあと、俺は絶叫をあげた。森中にひびきわたるような悲鳴だ。断末魔とは、こういうものに違いない。
ばさばさと、森中の鳥がとびたった。
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