【3】プリンスの氷は解けない

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 はにかんだ碧は少し早口に話す。 「僕、ずっと胃腸が弱くて。漢方薬を飲んでたこともあったけど、なんだか合わなくて。最近、薬を変えたんだけど、すぐ飲み忘れそうになる」  俺には見覚えがあった。  碧がペットボトルの水で流し込んだ錠剤は、胃腸薬でもビタミン剤でも安定剤でもない。Sub用の抑制剤、それも少量で効果的な、少し高価なヤツ。  もしかして、本人が気づかずに飲まされている?  そんなことあるのか? 「そっか。でもまあ、無理のない範囲でさ、気晴らしぐらいはしたほうがいいんじゃないの」 「だったら、また遊びに行ってもいいかな」 「俺のうち?」  碧からの想定外の提案に、思わず声が裏返る。そのココロはもちろん、下心。 「迷惑だったら、はっきり言って。あの、僕ってそういう気の利かないところ、あるから、ごめん」 「いや、いいよ。いいけど、なんもない散らかった部屋だけど」 「そう? なんかすごく落ち着く場所だと思った」 「すぐ寝落ちするくらい?」 「それは、ごめん。ホントに」  ずり落ちた眼鏡のツルをつまみ、申し訳なさそうに身をすくめる姿は小動物みたい。変なの。同い年で体は俺より大きいのに、どこかカワイくて憎めない。  碧は不思議だ。  警戒心が強そうなのに人懐こくて、見た目は弱そうなのに芯があって、そばにいるほど中身がわからなくて、もっと知りたくなる。  あ、これはダメなヤツだ。  わかってる。いくら鈍い俺でも、もう完璧にわかってる。例の社長に言われるまでもない。 「じゃあ、次の土曜でいい?」 「いいの?」 「全然。なんだかんだ、俺も暇してるし」  ホントは予定があったけど、向こうはキャンセルで。代わりが効かない方が優先に決まってる。  碧には聞きたいことがいっぱいある。たぶん、碧のほうも俺に聞きたいことがあるんだろう。職場の昼休みなんかじゃ、全然足りない。お互いの昼飯をかきこめば、短い休憩なんて終わりだ。  連れ立って同じビルへ戻る。それぞれ別のフロアへ向かう。ここから先は別の道。 「ヤバいな」  深入りすると傷つける。取り返しがつかなくなる。  でも、欲しい。この子をもっと囲いたい。自分のモノにしたい。  碧はおそらく、自分がSubであることを知らない。知らないまま、誰かの、おそらく家族の思惑でSub用抑制剤の服用を義務づけられている。彼がSubだと都合が悪いんだろう。  そんな未踏の地に足を入れるのは、どれほど愉快だろう。俺のGlareにひれ伏す姿は、どれだけの愉悦をもたらすだろう。  胸の内で、どうしようもなく相反した欲望がせめぎ合う。  あれこれと妄想を逞しくするだけで、うっかりGlareを漏らしそうになる。絶対に失敗するわけにはいかない。職場での失態なんて社会的に詰む。まして、俺のGlareはまともに喰らえば、事故が起こる。
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