[7]俺は俺以外のものになれない。

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 碧の匂い。  甘いとか酸っぱいとか、そういうんじゃなくて、ただそこにいるだけで落ち着く、懐かしい匂い。  意識してしまうと、もう駄目だった。堰を切ったように、あふれ出す。なんだろう、これは。なにか、よくわからない、言葉で説明できない大きな『なにか』。 「碧……」 「え? どうしたの、急に」 「駄目だ。俺、もう駄目」  そのまま、碧の胸に倒れこむ。膝が折れる。体じゅうの骨という骨がなくなったみたい。フニャフニャになって、力が抜けて。雲の上を歩いてるみたいだ。で、それで、そのまま。  意識を失っていた。  変だな。  睡眠は足りてるはずなのに、いくらでも眠れる。頭も体も、全身で睡眠を欲している。なんでだよ。体が重い。重力が三倍の星にいるみたい。腕が重くて、足が重くて、頭がグラグラする。視界にはモヤがかかったみたい。 「熱があるからだよ」  額に手のひらが載せられる。あれ、なんだろ。熱って体温計で測るもんだろ? この手、気持ちいい。子どもの頃に戻った気がする。あれ、うちの親はそんなことするタイプだった? 「ゆっくり寝てて。緋聖くんは熱があるんだから、休まなくちゃ」  ああ、碧か。碧がいてくれるなら大丈夫だ。俺がボンヤリでも役立たずでも、碧だったら信じられる。  そっか。俺は、誰のことも信じてなかったんだ。  付き合ってる人間、親しくしてる人間、まわりの人間はいたのに。結局、俺は誰のことも『心から信じて』はいなかった。  だって、俺はDomだから。Normalな人たちとは、違う世界に住んでるから。本性を見せたら嫌われるかもしれない。蔑まれるかもしれない。怖がられるかもしれない。だから、体裁のいい振る舞いを覚えた。Normalに擬態することを覚えた。  本当は、Normalに生まれたかった?  そうかもしれない。普通に生まれていれば、こうやって悩むことはなかったのかな。でも、俺はDomだから。そこはもう、変えることができないから。諦めて受け容れるしかない。  自分に嘘はつけない。  好きなものは好きで、嫌いなものは嫌い。フリだけうまくなっても、心の底は変えられない。  けど、碧は、こんな俺のことを受け止めてくれた。俺の普通じゃないところ全部ぶつけても、否定することなく、受け容れてくれた。初めて、ありのままの自然体になれた気がする。  なんでだろうな。縁ってやつ? とにかく、あのタイミングで碧と出会わなければ、俺たちはいま、ここでこんな風になってないんだと思う。  布団をかけ直してくれる碧の手。離れていくのが嫌だった。置いていかれるのは、もうたくさん。 「いて……」 「ん?」 「ここ、いて」 「わかった。そばにいるから」  毛布の上、俺の手の上に碧のが重なる。両手で包みこまれて、それから、指の股を絡めて、ぎゅっと握られる。 「離れないよ、もう」  情けないな、と思う。こんなに守られてばっかりで、Dom失格じゃん、俺。でも、他に頼れる人がいないんだ。信じられる人も、いない。  アンディは俺を裏切ったし、チャールズは腹の底が読めない。社長や伊東も、よくしてくれてるけど、本当は何考えてるかなんて、わからない。  でも、俺は一人じゃない。この手は、碧と繋がってるから。  今度こそ、うんと強力に繋ぎとめておかないと。
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