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[8]嘘か本当か立証できない
ある日突然、当たり前の日常が終わる。
想定もしたことがない、ありえない事態は、いつだって日常の延長線上にあるのだ。
時計表示上は朝だったけど、窓のない地下ではわからない。用意されていた新しいシャツに着替えていると、規則的なノックの音と同時に、朝食をのせたワゴンが運ばれてきた。
『こちらのテーブルに並べて良いでしょうか』
『お願いします』
ホテルマンのような制服を着た若い男は、碧と顔見知りらしかった。二人は慣れた手つきでカップや皿を並べていく。バターが香るクロワッサン、鮮やかな色のスクランブルエッグ、食欲をそそる匂いを嗅いで、意識していなかった空腹を自覚する。身体は内側から満たされていても、物理的なカロリーは足りてない。
とはいえ、碧の流暢な英語を聞いて、俺はちょっと落ち込む。
『今朝の新聞はないんですか?』
『お休みですね』
『休刊日って書いてありましたか、昨日の新聞に』
『いえ、当分発行できないと思いますよ。緊急事態ですから』
「え?」
『emergency=緊急事態』という単語だけは、俺の耳にもはっきり入ってきた。制服の男は少し疲れた表情で、肩をすくめていた。
『テロとか、地震とか洪水とか、そういう災害が起こったんですか』
『ああ、ここにはテレビもネットもないんですよね。テロではありません。災害というか、その、ひどい通信障害のために、回線が繋がらなくなっているんです』
『それは、この地域だけのことですか?』
『いいえ。この国全体というか、全世界規模のようです』
「え……?」
碧がひどく困惑している。細かいニュアンスのわからない俺はヤキモキするが、どうにも単語が出てこない。
『それは、ハッキングかなにかですか』
『いえ、原因はよくわかっていないんです。外ではかなりパニックになっているようです。深夜に、なにかがあったみたいで。私は昨夜からここにいるので、詳しくはわからないのですが』
原因不明の通信障害だと、碧から説明されて俺は絶句した。
「それって、その障害とやらはチャールズと関係があるのか?」
『いえ、私はなにも聞いておりません』
食器はあとで下げにきます、と言って制服の男は部屋を出た。
世界的な規模の通信障害。
チャールズとの関係はわからない。でも、無関係とは言い切れない。少なくとも、なんらかの情報を把握していた可能性が高い。
「電波施設の事故か、じゃなければ、テロか戦争かな」
熱いコーヒーを啜りながら、碧は小さく首を傾ける。地下室に閉じ込められている俺たちには、なんの情報もない。
「地震だったら把握できるよな、このご時世に原因不明ってことはあり得ない。隕石でも降ってきた? いや、それだって観測くらいできるか」
「情報管制を敷いてるだけじゃない? 例えば、宇宙人の襲撃とか?」
「ハリウッドもびっくりの駄作だな」
居心地の悪さは拭えないが、ホテルクオリティのブレックファストは美味しすぎて、俺たちは残さず平らげていた。
次にいつなにが食べられるかわからない以上、食えるもんは食っとかなきゃ駄目だということで、俺と碧の意見は一致していた。まあ、夜に消費したカロリーを取り戻しただけとも言う。
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