【4】明けない夜は多分ない

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 碧が、泣いている。  声も出せずに、ハラハラと涙をこぼしている。眼鏡の向こう、あとからあとから涙が流れる。 「え? どうした? なんで泣くの?」 「わか、ん、な、っ……」  俺が肩を掴むと、碧はいま気づいたという風に眼鏡を取って、シャツの裾で乱暴に目元を拭う。  なにかを言いたげに唇が動くが、声にはならない。言葉を忘れたように、浅い呼吸を繰り返している。 「碧? 碧!」  ヒッ、と不自然な息を吸うと、喉を震わせて痙攣している。過呼吸かと思ったが、少し違う。 「もしかして、ドロップした?」  尋常ではない様子を見て、俺の頭は真っ白になる Subドロップは、強い不安に襲われたSubが引き起こす最悪な状態で、ドロップのまま放置されると危険を伴う。  はたして、ダイナミクスに覚醒していないSubが、ドロップを起こすことがあり得るのか?  疑問で頭がいっぱいになるが、現実に碧はドロップの症状を見せている。このまま指をくわえて見ているなんて無理だ。本来のプレイなら、同意を取らないといけないけど、そんな悠長なこと言ってられない。 「Look(みて)」  俺はあくまで抑えた声で、Commandを投げかけた。威圧とは違う。幼児の気を引くのと同じくらい、やわらかなGlareを使う。 「碧、俺のことがわかるか? Look(みて)」 「……っ」 「碧?!」  視点の定まらない碧は、俺のCommandを受け入れない。ひきつけを起こしたように震え、苦しそうな呼吸が続く。  Commandが、効かない?  初めての経験だった。俺のCommandは強力で、ランクが低くてろくに抵抗できないSubだと失神するくらいなのに、碧には効いていない。 「大丈夫、怖がらなくていいから。もう一度、Look(みて)」  少しずつGlareを強くする。  Glareには二通りの使い方がある。威嚇や威圧のため、相手を支配下に置くためのものと、Subを包みこんで囲いこむためのもの。  世界から守る膜を作るイメージで、碧のまわりを俺のGlareで覆っていく。外界と遮断する。DomのGlareに包まれていると、きつく抱擁されているようで落ち着くのだ、とSubは言う。 「そう。いい子だから、俺が守るから。だから、もう一度言うよ。Look(みて)」  一分の隙もなくGlareで覆いきると、再びCommandを投げかけた。 「ん……」  碧の顔がわずかに仰向く。涙に濡れた双眼が、俺を見る。 「そう。よくできました。Good」  丸くなった背を撫でて、強く抱きしめる。俺のGlareを受け入れた碧が、口元を緩めた。 「いい子だ」  何度も頭を撫でると、体の強張りがとけて、緊張の糸が緩んでいくのが感じられた。  ドロップが収束していく。不安で押しつぶされそうだったSubから全幅の信頼を寄せられるのはDom冥利に尽きる。  ただし、俺と碧の間には、まだなにも始まっていない。
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