133人が本棚に入れています
本棚に追加
【5】起きた子は寝られない
あの夕方は、事故だった。
碧の生命に関わる事故が起こり、俺は夢中でCommandを放っていた。いま、全力で碧を止めなければ死んでしまう。そう思って、渾身のGlareを効かせた。
結果、碧のSub性を覚醒させてしまった。
Subドロップを止めるために、再びCommandを使うことになった。ここへきて初めて、俺は二の足を踏んでいる。
碧との距離を縮めることが、怖くなった。
スマホのメッセージは来る。返信はする。職場のビルでは会っていない。フロアも会社も違えば、すれ違う機会なんて、ほぼない。
『緋聖くんとゆっくり、話がしたい』
碧からのメッセージを読んで、俺は天を仰いだ。碧はもう気づいている。
自身のSub性について。そのSub性を、いままでずっと伏せられていたことについて。Subであってはならない、自分の立場について。
だからこそ、俺に説明と支援を求めている。俺の助けを必要としている。
いまの俺は、碧の求めに応えられるのか。自問自答するほど、わからなくなる。
のらりくらりと、碧を避けていた。
碧はあまりにもピュアで、ただのダイナミクスヴァージンというだけでは、置かれた立場も複雑すぎる。正直に言って、俺には荷が重い。
ダイナミクスについては、社長を筆頭に複数のプレイメイトがいるし、ダイナミクス抜きでもセフレは切らさないようにしてる。
一人に絞らないように、常に気をつけてる。
だって、俺の執着は重すぎる。誰か一人に本気の情を注げば、徹底的に相手を壊してしまう。
碧は潔癖だから、複数の相手を飼い続ける俺を許せないだろう。
契約社員といえど、チャイムが鳴ったから定時に退社、とはならないのが日本企業の特徴。
周囲の様子を窺いつつ、そろそろ席を立っても良いかと判断しなきゃならない。馬鹿らしい慣習。でも、そのくらいの空気が読めなきゃ社会人やってられない。
保育園児のいる女性社員が飛び出すのを見送ってから、起動していた端末をシャットダウンする。向かいに座っていた同期も、同じタイミングで片付けを始めている。定時なんてあってないようなのが正社員だし、管理職なんて多分職場に棲みつく妖精みたいなもん。いくらもらっても、俺には無理。
「最近、業務落ち着いてきたから、次の更新の時は人が減るっぽいよ」
「マジか。どうせ俺らなんて、繁忙期だけ猫の手みたいに駆り出される身分だしな」
「大河内くんはまだ残るっしょ。あたしのほうが微妙かも」
同期の女性社員と歩調を合わせて、ビルのエントランスを出る。あと何回ここをくぐるかなんて、わかりゃしない。もう要らないって思われたら、すぐお払い箱。
「あれ、そこに立ってるのって、氷のプリンスじゃない?」
ビルを出てすぐの街路樹に佇んでいたのは、同期に指摘されるまでもなく、三島碧その人だった。
最初のコメントを投稿しよう!