5.信じていたもの

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5.信じていたもの

  「え……え……?」  戸惑う私にかまわず男は腫れた私の頬をそっと手のひらで包み、眉間にしわを寄せた。それは怒っているというより泣きそうな顔だった。  優しい手に更に戸惑う。なぜこの人はこんなにも私を心配するのだろう。 「き、さま……誰だ!?」  レオナールの呻くような声に我に返る。  声のした方へ顔を向ければ、レオナールが棚と共に床に倒れていた。頬が私より腫れている。 「レオ!? だ、大丈夫──」 「アンタは自分の心配をしろ! この男に拳で殴られかけたんだぞ」  男がレオナールを睨む。どうやらこの人が私を殴ろうとしたレオナールを殴り飛ばしたようだ。  レオナールより身長は高くないのに、腕っぷしは強いらしい。 「何なんだ貴様は!? 僕の家に無断で入って来て頭おかしいんじゃないのか! 自警団を呼ぶぞ!!」 「あ゛っ!? 何言ってんだテメェ……ここはシャルノ様の家だろが」 「貴様こそ何を言っている! ここは私がシャルノに与えた家だ! つまり私の家でもある!!」 「へぇ……?」  男の目が細められる。  レオナールは立ち上がり歯ぎしりしながら睨みつけるが、男は自分よりも背の高いレオナールにまったく怯むことなく見据えていた。 「おいクソ男、テメェの汚い怒鳴り声は外まで聞こえてたぞ。『誰がこの家を与えてやったと思ってる、家族にも見捨てられたシャルノ様を助けたのは誰だ、それを忘れたのか』……だっけ?」  静かだが怒りを含んだ声が、レオナールに問う。 「そ、それがどうした! 僕とシャルノの問題だろ。貴様には関係ない」 「関係大ありなんだよ」  男が一歩踏み出す。気圧されたレオナールが後ずさる。 「なぁ俺にも教えてくれ。この家をシャルノ様に贈ったのは誰だ? シャルノ様を助けたのは……誰だ?」 「そんなの僕に決まって──」 「レオナールッ!!」  レオナールが再び吹っ飛んだ。男がまた殴り飛ばしたからだ。  成り行きを見守っていた私だが流石に焦り、レオナールの元に駆け寄ろうとしたが、それより早く男がレオナールの胸ぐらをつかみ強制的に立たせた。 「あの! あの! もうこれ以上は止めてください!」  私は必死でレオナールを引き上げる腕にしがみついたがびくともしない。それでも必死に止めようとした。  男は私を助けてくれた。そして心配までしてくれた。有り難いと思うし感謝もしている。  しかしこれ以上はやりすぎだと思う。確かに私は殴られかけたが、だからってレオナールを殴り返したいとは思わない。  それに、レオナールの言うとおり私はレオナールに助けられた恩がある。  だから多少の事は我慢できるし、今は少し精神的に弱っているがきちんと話し合って、私が今まで以上に頑張ればきっと立ち直れると思うのだ。  しかし、男はレオナールを離さなかった。  ぞっとするほど鋭い目つきでレオナールを見据え、地を這うような声で再びレオナールに問う。 「もう一度訊く……シャルノ様を助け、住む家を贈ったのは誰だ……?」 「だ、だから……僕だと……っ、ぐうっ」 「いい加減にしろよ……たび重なる暴力行為で廃嫡になって追い出された伯爵家の元ご令息様よぉ」  「……え?」 「き、きさっ……なぜそれを……っ」  男の言葉に私の心が揺れる。  レオナールは私を追って来てくれたのでは無かったのか。 「だ、だが……シャルノを助けたのは僕だ!」 「卒業パーティーの日に謹慎になっていたてめぇがどうやって助けた? 家はどうやって用意した?」 「それは……」  レオナールに期待の目を向けていても、彼は言いよどみ明確な答えは出なかった。  今まで信じていた物が次々と砕け散る。  視界が、色あせていく。  レオナール、全部嘘だったのか? 私の為に平民になってくれた事も、私に手を差し伸べてくれた事も……。  だとしたら、これから私は何を信じればいい?  男を止めようとしがみついていた腕から力が抜け、私はぼーっと二人を眺めた。  もう、考える事すら煩わしかった。  なんかもう、どうでもいいや。  どこでも良い。どこかに消えてしまいたい。  そうやけになった私に再び喝を入れたのは、男の予想外の言葉だった。 「なぁ答えろよ……どうやって助けた? 何を贈った? シャルノ様が追放されたあの日、バスケットに入れていた焼き菓子はどこの店の物だ?」 「……え?」  思わず声を漏らしたのは私だった。  この男は、今なんと言った?  考える事をやめていたはずの脳が、すごい速さで動き出す。  色あせていった視界が、色を取り戻す。  私は顔を上げ、男をまじまじと見た。  凛とした佇まい。無駄な贅肉の無い筋肉のついた男らしい腕。  男は、この青年は、いったい誰だ。  分からない。分からないけれど、一つだけ分かった事がある。  あの日、私に手を差し伸べてくれたのは、この人だ。 「でも……誰……?」  あの日、生活に必要な物が詰め込まれたバッグの中に、私の好きな焼き菓子が入っていた事は誰にも話していない。  それを、この男は知っていた。  しかしどれだけ記憶を遡ろうと、この男の顔は出てこない。  おそらく同じ年頃だろうが、こんな生徒が学園に居ただろうか。  もし居たとして、なぜ助けてくれたのか。  こんな顔すら覚えていない私に、手を差し伸べる理由は何なのか。 「さっさと出てけ。ここはお前の家じゃない。」  私が目を白黒させている間にも、二人の争いは進んでいた。 「なっ、いきなりそんな事無理に決まってるだろ!」 「家を追い出された日に戻っただけだろ。てめぇの世話くらいてめぇでしな。この家からなにかを持ち出す事も許さねぇ。この家にあるもんは全部シャルノ様が働いて買ったもんだ。お前の物は一つもねぇからな」  男がレオナールの胸ぐらを掴んだまま、ドアへと向かう。 「そんなっ、困るだろ! ……ぼ、僕はこれからどうすれば……っ」 「うるせぇ! 誰かに寄生しないと生きられない奴なんかその辺で野垂れ死んでろっ! お前以外誰も困らねぇよ!」  レオナールを家から蹴り出し、勢いよくドアを閉め鍵をかけた。外からレオナールがドアを叩く音がしたが、男が思いっきりドアを殴り返すと、音は止まった。  ふー……っと男が息を吐く。怒りを鎮めているようだ。  しかし、彼は本当に誰なんだ?  なぜこの人は私の為にここまで怒ってくれるのだろう。  怒涛の展開と謎だらけの青年の登場に、私のとろい思考はついて行けない。  間抜けにもぼーっと男を眺めていたら、少し落ち着きを取り戻したらしい男と目が合った。  そして、私に近づき両肩を掴まれたかと思ったら、 「アンタは………………何っっであのクソ王子から逃げられたと思ったらまた新たにクソ男に捕まってんだよっ!!!!」  と、怒られた。  
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