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許婚と弟
「士郎様、鮎子様がお越しでございますよ」
村の菩提寺から戻った士郎に使用人が告げた。靴を脱ぎ 長い廊下を進み、座敷に入ろうとしてふと立ち止まる。
中から、許嫁の鮎子と若い男の楽しそうな笑い声が聞こえる。男は腹違いの弟修輔だ。
ちょっと咳をしてから、士郎は襖を開けた。
「やあ、兄さん、お帰り」
「士郎さん、こんにちは」
屈託のない笑顔で二人に迎えられ、士郎は少し居心地が悪い。
「今日はどうしたの?」
「はい。お義母様に母からのお裾分けをお持ちしました」
今の母は、士郎の産みの母が亡くなったあと、この家に後妻として入った。なさぬ仲の士郎を、修輔と分け隔てなく育ててくれた賢い人だった。
「じゃあ、僕は少し調べものがあるから」
「え、兄さん」
「あら、士郎さん」
二人に声をかけられたが、逃げるように自室に入った。実際、本当に調べたいことがあった。
修輔と鮎子は同い年、士郎より五つ若く二人の方がお似合いなのに、親同士が鮎子は士郎の許婚にと決めていた。
修輔は自分と違い、明るく人当たりも良く、女性にも男性にも好かれていた。
そんな修輔に鮎子が惹かれるのは無理もない。自分と話すときよりも声が若干高くはしゃいでいた。
実は今日、寺の書庫にいたとき、村の娘達がお庫裏さん(住職の妻)に裁縫を習っていて、娘同士の会話が聞こえてきた。
鮎子もそこにいて、ほかの娘から、「鮎子さんは士郎さんと修輔さんとどちらがお好きなの?」と聞かれ、「そりゃ見映えは修輔さんだけど、士郎さんはゆくゆくは村を治める方だから、どっちもかな」と答え、「わあ、ずるい!」と周りの娘達に囃し立てられていた。
鮎子の本音を聞いてしまい、なんとも興醒めな思いがした。
正直、村長である父の跡は、自分より社交的な修輔がふさわしい。
自分は村の小学校で教えながら、寺の古文書を調べたり、村の老人に昔の話を聞いて、あれについて調べられたらそれで良かった。
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