あれ

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あれ

 あれがいつからこの村を襲うようになったのかは、よくわからない。  江戸の終わりか、ご維新の頃かと、古老は話している。  あれが来る夜は匂いでわかる、と古老は言う。  その夜は決して男と女は同衾(どうきん)してはならない。  士郎の祖父の時代だから明治の終わり頃か、新婚の夫婦が初夜の床であれに襲われた。夫婦は翌朝、結合したまま上半身だけ喰われた無残な姿で発見されたという。特に妻の方がひどくやられていた。  それ以来、あれが来る日は女は皆、菩提寺の本堂に集められた。  男達も家に閉じこもり、夜は決して外に出てはならない。  もし村を彷徨(さまよ)ってあれに出くわしたら、男でも女でもあれに喰われてしまうのだ。  あれの姿を見たものはいない。というか、見た者は皆喰われてしまうので、あれの姿を証言する者がいないと言った方がいいだろう。  しかし、確かにあれは居て、この村を襲う。  士郎の母は、士郎がまだ三歳のときにあれに喰われた。  その頃、家に下働きの娘がいた。別の村から奉公に来たばかりで、悪いことにその日、里の母が危篤という知らせが届いていた。  あれの怖さを知らない娘は、夜こっそり寺を抜け出した。山を下りて母の元へ駆け付けようとしたのだろう。  それに気づいた士郎の母は追いかけて、連れ戻そうとした。  しかし二人はあれに遭遇してしまい、翌朝無残な姿で見つかった。  物心がつき母の死の真相を知ってから、士郎の生きる目的はあれを倒すことだった。
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