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優一というひと
優一の住むマンションは、静の実家から電車で六駅ほど行ったところにある。
駅の案内図を見上げて、静はため息をついた。
お金はそもそも母親に握られていて、そこに行くまでの切符を買えない。
家には戻れないし、電車賃がほしいと電話をしたら絶対に怒鳴られる。
かと言って、六駅なんて歩ける距離ではない。
このままでは凍死してしまう。
迷った末、婚姻届に書かれている優一の携帯にかけることにした。
ありったけの勇気をかき集めて電話番号を押す。
三コールという早さで相手が出た。
『四ノ宮です』
「あ、あの、こちら四ノ宮優一さんのお電話であっていますか。夜分遅くにとつぜんの電話すみません。私、保坂静です」
緊張しながら名乗ると、相手は穏やかな声音で答える。
『静さん。お母さんから電話番号を渡されていたのですぐわかりました。この番号に電話してきたということは、もう話を聞いたんですね』
「はい」
妻という名の家政婦として静を所望したとは思えない、とても優しい語り口だ。
浮気して前妻に逃げられた、という母から聞いた情報と噛み合わないような。
戸惑いながらも、静はいま自分が置かれた状況を伝える。
「婚姻届にサインしてすぐ、その、家を、追い出されてしまいまして……。厚かましいお願いだとわかっているのですが…………今晩そちらに泊まらせてほしいのと、電車賃を、貸していいただけたら、と。電子マネー、とか」
電話の向こうで、優一が息を飲むのがわかった。
『わかりました。今どこにいますか。すぐ迎えにいきます。それまでどこか雨風をしのげる場所にいてください』
「あ、ありがとう、ございます」
まさか迎えに来てもらえるとは思わなくて、静は耳を疑った。
もしかして電話をかけた時点で自分は凍死していて、自分に都合のいい夢を見ているんじゃないか、そんな気すらしてしまう。
駅の名前を告げて通話が終了した。
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