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はじめての、あたたかい言葉
マンションに向かう車の中はエアコンがきいていた。
とても暖かくて、静の冷えていた手先に少しずつ血が通っていく感覚がある。
走り出して五分ほど経って、優一が口を開く。
「驚いたでしょう。突然結婚を決めるなんて」
「……え、ええ、まあ」
「君にも好きな人がいるだろうに、ごめん、勝手なことをして」
「いえ……恋人も、気になる人も、いないので」
十七歳のときからずっと働き詰めで、他人に目を向けるだけの余裕がなかった。
中学の時、上の学年の先輩に淡いあこがれを抱いたことはあったけれど、それ以上ではなかった。
「今日はもう遅いから僕の家に帰って、ゆっくりお風呂に使って休みなよ」
「は、はい」
誰かにこんなによくしてもらったことがなくて、夢を見ているんじゃないかという気持ちが拭えない。
マンションの部屋は2DK、二人で暮らすには問題ない広さがあった。前に奥さんがいたと聞いているし、そのころから同じ部屋なのかもしれない。
「静ちゃんはそっちの部屋を使って。これまで荷物を置くくらいでしか使っていなかったから、そんなに汚れてはいないと思うんだ」
「……私、なんかが、一部屋、使っていいんですか?」
実家にいたときは、家の中で一番狭い四畳半、押し入れすらない部屋だったのに。
優一が与えてくれた部屋はそれより広いし、クローゼットがある。
「そんなに自分を卑下しなくても。今日も家に帰るまでずっと、働いていたんでしょう。叔母さんがいつも言っていたよ。静はいくつもバイトをかけもっているって。その年で家族のために働くなんて、誰でもできることじゃない。頑張り屋さんだね。静ちゃん。偉いよ」
「…………ばかだから、それくらしか……お母さんが、いつも、そう……言って」
中卒のばかを家においてやるんだからせめて働けと言って、キララが大学を卒業した今でもずっと、家にお金を入れてきた。
がんばったね、偉いね、なんて、一度も言われたことはない。
それを初めて言ってくれたのが、まともに会話したことがなかった従兄だなんて。
こらえきれず、静は泣いてしまった。
父がなくなって四年、泣いたことなんてなかった。泣く暇があるなら働けと言われていたから。
何年分もの涙がとめどなくあふれてきて、その場にすわりこむ。
優一は静が泣き止むまでずっと、背中をなでてくれていた。
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