0人が本棚に入れています
本棚に追加
一箇月が過ぎた。
「……母さん」
真新しい縁側に腰掛け、私は茶を飲んでいた。
いつか子供達が戻って来ることを願って、退職金を元手に立て替えた二世帯住宅。だが隣にいるべき妻は既に亡く、息子は二階で魚と同棲している。私はと言えば、こうして空を眺める毎日だ。
まさに世は無常という他はない。今一度湯飲みを口に運んだその時、階段を転がり落ちんばかりの足音が響いた。襖が開け放たれ、息子が惚けたような顔を突き出す。
「……お父さん」
「落ち着きなさい。ご近所に迷惑だろう」
「彼女が、彼女が」
あの古代魚がどうかしたというのだろうか。大きく一度喉を上下させ、息子は頷いた。
「水から上がって来たんです」
息子に連れられて、私は久方振りに階段を上がった。
短い廊下を折れ、化粧板張りのドアを開ける。寝室に踏み込むのは気が引けるが、この際仕方あるまい。ベッド脇の水槽を──いや、フローリングの床を見やり、私は言葉を失った。
短かった尾鰭は長く太い尾に変わり、胸鰭と尻鰭があったはずの場所には、短いがしっかりとした足がある。腹を擦り全身の筋肉をくねらせ前進して来るそれは、遠い昔田舎の川で見たオオサンショウウオに酷似していた。
「愛の奇跡だ」
感に堪えないように、息子が呻いた。
「魚類から両生類へと進化したんですよ、彼女は。数億年の時の流れを、一気にジャンプして見せたんです」
そんなものだろうか。すっかり興奮した様子の息子をよそに、私は点々と濡れた床を眺めていた。
最初のコメントを投稿しよう!