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弁当箱を給湯室で洗おうと立ち上がると、オフィスにもう一人残っていることに気がついた。輪島さんだ。研究室を退職した後なぜかオフィスで再雇用された。畑違いの部署で戸惑うこともたくさんあっただろうに、いつの間にか空気のようになじんでいた。銀髪で小柄、丸メガネがよく似合う、まさに技術屋さんといった風情の人だ。
「おや、吉岡さんもお弁当ですか?珍しいですね」
流しで弁当箱を洗っている輪島さんの後ろに立っていると、振り向きもせずに声をかけられた。ちょっとびっくりだ。話したことは一度もなかったのに。
「ええ。妻が作ってくれたもので」
「なんと、愛妻弁当とは羨ましいですね。私なんぞは早起きして自分の弁当を作って、妻の朝食まで作って出てくるんですよ」
「輪島さんは愛妻家なんですね」
「とんでもない。40年かけて生まれたただの力関係です」
ふふふ、と笑った二人の声が、静まり返ったオフィス全体に響く。
どうぞ、と洗い終わった和島さんが場所を開けてくれた。輪島さんは席に戻らず、給湯室に置かれていた小さなテーブルについた。女子職員が息抜きにおやつを食べるときなどに使うテーブルだ。
「ここは静かでいい。まるで水槽の底にでもいるような気持になります」
輪島さんが独り言のようにつぶやいた。
「あ、それ分かります。勤務時間中とのギャップがまたいいんですよね」
「そうそう。でも私なんかはもうこんな年だし、静けさを求めてもいいと思うんだけど、吉岡さんはちょっと早くないですか?」
「はあ・・そう思われますよね」
僕は弁当箱を洗い終わった後、輪島さんの隣にこしかけた。
「ええ。はつらつとしていらっしゃるし、みんなと連れ立ってランチを食べに行くタイプだと思っていました」
「ははは。見抜かれてますね。ほんとはみんなでワイワイご飯食べるの大好きなんです。でも今は・・・」
今は静けさが欲しい。ちょっとの時間でも、静寂の中にいたいのだ。
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