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夕食のメニューはクリームシチューと大根サラダ。シチューは白ご飯にあうように濃い目に味付けされている。うまい。サラダの酸味もちょうどいい。
麻理恵はテーブルの向こうで、相変わらず口をパクパクさせている。大根の産地でも語っているのだろう。麻理恵の話は蘊蓄が中心だ。人間はほぼ出てこない。出てきてもその人の身振りや服装についてばかりで、人物の好き嫌いに触れることはほぼない。自分の感情も語らない。まるでスーパーに流れる特売情報みたいな、物事の情報ばかりだ。
でも今は。何も聞こえない。おかげでシチューに集中できる。
「おいしかった。ごちそうさま。風呂に入るよ」
麻理恵が目を大きく見開き、口を閉じた。僕が話の腰を折ることなんてめったにないから、驚いているんだろう。僕はバスルームに向かった。
温かいお湯の中で僕は目を閉じた。シチューはおいしかった。お風呂もあたたかい。この家は快適だ。麻理恵の暴力さえなければ。いつもなら風呂場にまで押しかけて、洗濯機をまわしながらあれやこれやと話し続けるのだが、さすがに今日は何かを感じたのだろう。
あれは暴力だ。静かなバスルームの中で、僕は自覚した。麻理恵のとめどもないおしゃべりを、BGMだと受け流そうとしていた。でもちがった。シチューのおいしさ、部屋の暖かさ、せっかく麻理恵が焚いていたお香のにおい。何一つ感じ取れないまでに、僕は感覚を奪われ、殴られ続けていたのだ。
「もう、無理かもしれないな」
一度暴力だと感じてしまうと、嫌悪感が一気に増した。麻理恵の話は終わらない。じゃあ、僕の話は? 僕の話は聞いてもくれない。いくらなんでも不公平だろう。僕は湯船の中でいつの間にか昔のことを思い出していた。
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