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ベッドボードに置かれた電話のベルが鳴り、私は目を覚ました。
「はい……」気怠さのなか、私はどうにか取り上げた受話器にそう言った。
「おはようございます。宿泊時間は終わりましたが、ご延長なさいますか?」電話口から、事務的な口調の中年女性の声がする。
私は延長する旨を伝えて電話を切った。
自分がどれぐらい長く眠りに落ちていたのかはわからなかったが、少しだけ体力が持ち直しているのが実感できた。
指からの出血も止まっているようだった。
それとも単に、もう流れる血が残っていないのだろうか。まどろんだ頭がそんな見当外れの疑問を浮かべる。もし全身の血がなくなっていたら、私はとっくに死んでいるはずだ。それとも私はすでに死んでいて、魂だけがこの寝室に居座っているのだろうか。
寒さを感じたので、私は羽毛の上掛けにくるまると胎児のように身を丸めて目を閉じた。
今は何時なのだろう。そんな疑問が頭をもたげたきり、私はふたたび眠りに落ちた。
***
次に目を覚ましたのは、やはり電話のベルが鳴ったからだ。
「おはようございます。ご延長はよろしいですか?」
中年女の声がしたが、先ほどと同じ人物かどうかはわからない。
呻くような返事をして電話を置くと、私はまた眠りの世界へと誘われていった。
***
次に私が意識を取り戻したのは、切り落とされた指から全身を駆け巡る激痛を感じたからだった。
あれだけ落ち着いていた痛みが突如としてよみがえり、神経という名のハイウェイを縦横無尽に暴走しはじめる。
私はわめきだしたい衝動とじっと堪えた。強く噛んだ唇が切れ、そこから血があふれる。
あの女の毒が効いてきたんだ。混乱のせいで突拍子もない考えが浮かぶ。
それか、もしかしたら傷口が化膿しているのかもしれない。この手合いのホテルには雑菌が沢山いそうだし、あの鋏の刃も錆びていた。
ああ、そうだ。きっと私の指は、切り離されたところから腐りはじめているんだ。
恐ろしい妄執に突き動かされるようにして布団から這い出ると、私は指に巻いていたトイレットペーパーをゆっくりと剥がしていった。傷口にはりついていた最後の一枚を取り去るとき、私は身悶えしそうな痛みを味わわなくてはならなかった。
私はここで初めて、指の切断面を目の当たりにした。そこではピンクの肉に埋まるようにして、白い骨がほんの少しだけ顔を覗かせていた。
この光景におぞましさを感じながらも、私はよくぞ鋏だけで指を落とせたものだと人知れず女に感心してもいた。固い骨は、ミノと木槌でも使わなくては叩き切れないのではないか。それをあの女は鋏一本でやってのけたのだ。
女が怪力をそなえていたのか、それとも鋏が魔力をはらんでいたのか。どちらかと言えば、後者のほうが可能性としてはありそうだ。
我が身にふりそそいだ災難とはいえ、敬服に似た気持ちから私は少しのあいだ痛みを忘れていた。
不思議と女に対する恨みはなかった。だが、かといって自分の命が惜しくない訳ではない。
私はやおら立ち上がると、テレビの横に備えつけられた冷蔵庫型の自動販売機に向かった。ウーロン茶やビールの缶が小分けされたケースに入れられた中に目当てのものを見つける。私は脱衣所に脱ぎ捨てた服の中から財布をつかむと、冷蔵庫の前にとってかえした。
ありがたいことに、財布には数枚の小銭が入っていた。もしなかったら、商魂たくましいこの自動販売機に恨み言を重ねながら、フロントへ紙幣を両替をしに行くべきかどうかを葛藤していたかもしれない。
金を入れて買ったのは、ガラスカップに入った焼酎だった。
いまや指の痛みはさらに大きく、神経系ハイウェイを走っているのも軽自動車から大型トラックへと変わっていた。
洗面所の鏡の前に立った私は、さらに白く痩せこけて見えた顔に背筋を寒くしながら、ハンドタオルと使い捨てのヘアゴムを取り出した。タオルを肩にかけ、ヘアゴムは口にくわえる。それから持ってきた焼酎のプルタブを開けると、なみなみと注がれた中身をとっくりと見つめた。無色透明の液体のつんとしたにおいが、私の鼻を突いてくる。
私は大きく深呼吸すると、意を決してカップの中に指の切断面を浸した。直後に痛みの信号が脳で爆発し、液体が牙となって私の傷口にがぶりと噛みついてきたが、私は呻き声を漏らしながらも怯むことなく、焼酎の中に浸したまま指で輪を描いた。
切断された神経が恐ろしいほどの熱を帯びはじめるなか、私は頭の中でゆっくりと十秒数えた。身体を蝕む悪い雑菌を皆殺しにしてやるのだ、と自分を奮い立たせ、数える速度をけしてあげたりはしなかった。
全身から脂汗がにじむなか、私は焼酎から指を引き抜いた。無色透明だった中身が流れ出た血でほんのりと薄紅色に染まるなかを、傷口にこびりついていたトイレットペーパーのかすが汚らしく浮かんでいる。
私はまだ自分に容赦するつもりはなかった。今度は肩にかけていたタオルで右手を覆い、その上から焼酎をかけた。タオルが見る間に濡れていき、染み出した液体が傷口にふれてまたぞろ鋭い痛みが襲いかかってくる。存分に濡らし終えたタオルで右手全体を包み、その上からヘアゴムで指の根元を縛る。
相変わらずひどい痛みが続いたが、焼酎とヘアゴムで雑菌を根絶やしにできたと思えば、ほんの少しだけ気持ちが楽になった。
手当を終えたことで安心もしたのだろう。私はその場にへたりこむと、全力疾走をしたあとのようにぜいぜいと息をついた。意識が朦朧としていた。
眠りへの欲望を糧に私はのろくさと立ち上がり、ふたたびベッドを目指した。
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