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 私の脚を萎えさせたのが女なら、活力を呼び戻したのもまた女だった。  浴室に一人残されてからややあって、脱衣所とのドア越しにドライヤーが風を送るくぐもった音が聞こえてきた。  女が髪を乾かしているのだとすぐにわかり、指先に絹のような黒髪の感触がよみがえる。  今夜、あの美しい髪は私だけのもの。この浴槽の中で私はあの女の髪に潤いを与えてやった。濡れそぼった髪を軋ませてやった。  あれは連綿とつづく黒い大河だ。  数多の星座をたたえた満天の星空だ。  それを手にした者に全能感を与えてくれる賜物だ。  たかだか頭髪ごとき、と一笑に伏されるだろうか。だが、あの髪に触れた者はそうは思うまい。  あれには欲望の坩堝を開かせるだけの抗しがたい魔力が秘められているに違いなかった。そして私はこうも思った。いったいいままで、あの女の黒髪にどれだけの男が魅了されたのだろう。  だしぬけに私は立ち上がった。鉛のような倦怠感を克服させたのは、あの女を支配したいという衝動だった。  たとえ明日の夜、女が別の相手をくわえこんだとしても、今夜ここにいるのはほかならぬ私だ。私こそが、今宵の女の主なのだ。  浴室のドアをいきおいよくあけた私を、女は髪を乾かしながら軽く一瞥しただけだった。  だが私には袖にされたという思いもためらいもなく、真っ直ぐと女に歩み寄るとその裸体を後ろから抱きしめた。  たがの外れた剛直があたると、女の豊満な腰が溶けたバターのように包んでくる。ペニスが二、三度痙攣して、思わず果てそうになる。私は下腹部に力をこめてどうにか暴発を耐えた。 「どうしたんですか? お風呂はもういいんですか?」髪の手入れをしたまま女が訊ねる。いきり立つ私など気にも止めていないようだ。  おあずけを食らった私は、もはや何も考えられなかった。  無意識のうちに腰を沈めて女の中に侵入しようとする。だが、この試みは、腰を左右振られることであっさりとかわされてしまった。  たまらず首筋にむしゃぶりついたがこの性急な愛撫にも女は動じず、髪をとかす手を少しも休めなかった。 「早く……頼むよ……」  私は女に懇願していた。こんな泣き落としが自分の口からあっさり漏れ出すことが信じられなかった。私の理性は、夜の繁華街に包まれた愛の巣を空の上から見ていた。  女は乾かす髪で顔を覆うようにしながら曖昧に答えるだけだった。  このおあずけに女の身体から少し離れた拍子に、私の竿から先走りが糸を引いていた。気恥ずかしさから顔をあげると、洗面所の鏡越しに女と目がかち合う。  簾となった黒髪から覗く女の小さな瞳に、昆虫のような冷酷さを帯びた光がきらめくのを私は見逃さなかった。  だがそんなことは、この緊急時には瑣末な事でしかない。いまの私にとって重要なのは、この女と身を重ねることだけだった。それ以外は、建前も体裁も関係無かった。  人間の男女ではない、そこには動物の雄と雌だけがいた。  なんの前触れもなしに、女がドライヤーのスイッチを切って洗面所に戻した。 「いきましょうか」  そのただの一言が、福音にさえ聞こえる。  私は無言のままに頷くと、女と手をとりあって脱衣所を後にした。  私が風呂に入っているあいだに、寝室では冷房がきんきんに効いていた。女があらかじめ入れておいてくれたのだろう、その心遣いがありがたい。いまの私は性的な昂ぶりから、湯あたりなど目ではないほど身体が熱くなっていたからだ。  私は女に導かれるようにして、ベッドのへりに越しかけた。膝の上に女がまたがり、私たちはふたたび唇を重ねた。  上掛け布団の上を尻で這いながら交わす口づけは激しさを増し、ついに女に押し倒される。出窓を兼ねた、ベッド脇のボードに頭を打ちそうになる。思わずそちらを見上げると、ボードに乗った女の鞄が視界に入った。そのあいだ、女は唇を私の首筋、胸、腹へと移動させていた。  鎌首をもたげた股間に女の唇が触れると、先ほど浴室で陰嚢を揉まれたとき以上の快感が稲妻となって体内を駆け巡った。そそり立った愚直は、それ以上大きくなりようがないことを訴えるように激しく脈打っていた。 「大きいですね」熱い吐息を吹きかけながら、女がまじまじと見つめてくる。  これは商売ならではのリップサービスなのだろう。しかし私がこうした感想を言われるのは初めてではなかった。  実際、固さや太さは人並みのようだが、私のペニスは平均よりもだいぶ長いらしい。もちろん、男同士で臨戦態勢のそれを見比べたことはない。これは恋愛経験の豊富な私の前の恋人の証言だった。  セックスの際、私の男性自身は相手の女性自身の深くまで届くらしく、それが息苦しさに内包された快感を与えてくるのだという。これは密かに誇れる私の自慢であった。  女の唾液まみれになった頃には、私の一物はさらに猛々と屹立していた。準備は整った。  女は身をおこすと、仰向けに横たわる私にまたがってきた。  下の私、上の女。顔を付き合わせた女から垂れ下がる黒髪が、天蓋のように私に覆いかぶさってくる。 「いれますね」  そういって女は右手で私のペニスをさぐりあて、自分の秘部にあてがった。  不意に避妊具を被せていないことに思い当たり、熱を帯びた私の頭にあらゆる未来の可能性が去来した。  性病をうつされやしないか。  女を妊娠させて責任をとらされやしないか。  事の最中にガラの悪い男たちが部屋に押しかけてきて、金品を脅し取られやしないか。  股間を握る腕に思わず手を伸ばそうとした私の動きは、次いで発せられた女のひとことによって止められた。 「その前にもう一回、キスしてくれませんか?」  言いながら揺れる女の黒髪が頬と胸をくすぐる。その瞬間、私の中で最後までしぶとく残っていた理性が遠く消し飛んだ。
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