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Ⅳ
私に跨ったまま、女が自分の髪を切っていく。あれだけ美しかった女の髪は、切り離されると急激にその色艶を失っていった。
女は自分がつかんだ五センチほどの髪束を見ると、口の両端を持ち上げた。顔色は紙のように白く、私には女の顔が石膏でかたどった般若の面のように見えた。
次いで女が私の腹の上に鋏を置く。氷のような冷たさに思わず息を飲んだが、ありがたいことに 今度はツケを払わされることはなかった。
次いで女は空いた手で私の頬を両側から押さえつけてきた。嫌な予感しかしなかった私は、ひょっとこのように無様な顔で上下の歯をぎゅっと噛みしめていた。
ややあって女が乱暴に手を離したので、私は真一文字に引き結んだ。
女は鋏を、私を殺すためには使わないだろう。鋏は、女の髪を切るためだけにあるのだ。
身体を交えた者同士が共有する第六感だろうか、私はそう結論づけ、あまつさえそれを信じた。このまま甲羅にこもる亀のようにじっと耐えつづければ、きっとやり過ごすことができるはずだ。
私の予想は半分当たったが、もう半分ははずれた。
すなわち女は私を鋏で切り刻むつもりはなかったが、この凶行を諦めたわけでもなかったのだ。
風呂場で私の股間に手を伸ばしたとき以上に、女の動きは恐ろしく素早かった。
蛇のように繰り出された女の手は標的を正確に捉えていた。親指と人差し指が避ける間もなく私の鼻をつまんだかと思うと、そのままひねりあげてきたのだ。
鼻腔を塞がれ、鼻そのものをもぎとられそうになった私は、その痛みに思わず声をあげかけた。だがここで口を開いてしまえば女の思うつぼだ。先ほどまでこの手に陰部を触れさせ、この手の中で果ててしまいたいとすら思っていたことが信じられなかった。
しだいに息苦しくなり、頭に血が上っていくのも感じた。
口を開けろ。私の本能が命令してくる。口を開けろ、息を吸え、と。
無論従うつもりはなかったが、無理矢理塞がれた鼻と自分の意思で閉じた口とでは、口のほうが分が悪い。
酸欠状態になった私は呼吸することへの甘美な魅力を前に、女が口が開くのをじっと待っているという事実がかすんで見えた。
ほんの少し、唇の隙間から息を吸うだけだ。
呼吸への欲求は私の中で妥協を生み、妥協は諦めに変わった。私は女に気づかれぬよう、わずかに口を開いた。
しかし女はそれを見逃さず、そして動きも素早かった。
女は私の鼻から手を放すと、すぐさま顔を押さえつけてきた。頬の内側の肉を上下の歯のあいだにねじこまれ、私は縦長に口を開いた状態になった。
この不意打ちに、とうとう呻き声が漏れたが、同情を誘うようなその声音を聞いても女は容赦しなかった。
こじ開けた私の口に女がもう片方の手を、つかんでいた髪の毛ごとねじこんでくる。
咽頭を強く押された私は、思わずえずいた。そのタイミングを見計らって、女が指を使って髪の毛をさらに喉の奥へと押しこんでいく。
この絶え間ない喉への刺激に、私の両目から大粒の涙がぼろぼろとこぼれてきた。
女の髪の毛は手よりも強烈だった。鋭角に切られた毛先が、無数の針となって私の体内を刺し貫いてきたのだ。刺さっていない部分もかたまりとなって気道を塞いでいく。喉に居座った女の髪からは、ドライヤーを当てたときに残った熱と、むせ返るようなシャンプーの香りが立ちのぼっていた。
パニックに陥った私は必死で身をよじったが、それでも女の太股ががっちりとつかんで離さなかった。
私が髪の毛を吐き出すよりも先に、女は再びつかみあげた鋏で新たなひと房を切り離していた。それを喉に押しこまれると、最初の髪の毛がさらに深く突き刺さってくる。
切り離し、つかみ、押しこむ。
反吐を噴出することも許されなかった私は、さながら熟練シェフの手によって下ごしらえされる七面鳥のくり詰めだった。あれだけ魅せられていた女の黒髪は、私の命を奪う凶器に変貌していた。
窒息死した私の腹の中に、おびただしい量の毛髪が詰まっている光景が目に浮かぶ。思えば、女の黒髪が秘める美しさではなくこの危うさにこそ、私は心奪われたのかもしれない。穏やかなさざ波をたたえるのではなく、嵐の激しさをはらむ大海に魅了されたのだ。
絶望的な痛みと吐き気のなか、私は女がふたたび腰をくねらせているのを感じた。
なんということだ。女はこんな状態の私とのセックスを再開したのだ!
窒息プレイ。
私の頭の中で、壊れた電光掲示板のようにそんな単語が点滅する。
脳への酸素供給を絶って性的興奮を高めるこの危険な性戯を、女は私に無理強いしているのだ。それも、切った自分の髪の毛を無理矢理食わせるという倒錯的な行為によって。実際、私のペニスはこれまでにないほど熱くたぎっていた。
黒後家蜘蛛。
再び単語が脳裏をちらついていく。そうだ、この女は交尾の際に雄を食い殺す蜘蛛そっくりではないか。女と蜘蛛が重なった瞬間、私の喉に詰まった黒髪もあの多脚の節足虫の全身を覆うおぞましい体毛へと変わっていた。
私の喉がぱんぱんに膨れあがった頃には、あの美しい黒髪は不揃いに切られたざんばらになっていた。
だが女は止まらなかった。鋏を握ったまま私の一物をくわえこみ、獣のような嬌声をあげていた。
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