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きらきら
ファインダー越しに見る君の涙は儚く美しい――。
「――円歌。まーどーか」
私と私の手元にある本との間に割り込む、見慣れた綺麗な白い手。どうやらまた私は小説に集中して、話しかけてくれた親友のことを無視していたらしい。
「あ、葵。何?」
「何じゃない。何回呼んだと思ってるの」
「いつものことじゃん」
「もぅ。開き直るな」
葵(あおい)は小学1年生の頃からの幼馴染だ。葵は結構な人見知りで、昔は私の後ろをついてきてばかりだった。中学生になってバスケ部に入ってからは身長も抜かされ、体格もほどよく筋肉がついて。レギュラーになって自信もついて、気付けば私の手を引いて前を歩いてくれることも増えた。今では少し抜けたところのある私の良きツッコミ役で私の親友だ。
「それで?何の用ですか葵さん」
「あのさ、今日練習見に来ない?」
「バスケ部の?」
「そう」
「何で?」
「今日紅白戦やるの。初めての夏の大会に向けて私も晴琉も気合入ってるからさ。見に来てよ」
「ふーん……」
晴琉(はる)は中学生の時に仲良くなった私と葵の友達。葵と晴琉は中学からバスケ部で一緒で。私も含めて三人とも仲良くなった。そのまま三人とも同じ地元の公立高に仲良く進学。葵が小学生の時よりも人見知りじゃなくなって、明るい性格になったのはどう考えても晴琉のおかげだった。それに気づいた時の私の悔しさといったら。葵は私といると安心するんだって。葵にとって私は出会った時から変わらない安全地帯のようなものなのだと思う。私が変わらないことで葵が安心するなら、私はこれからも変わることはないだろう。どうせ晴琉みたいに葵を良い方向へ変えることもできない。
「え、嫌?」
「んー……どうせルール分かんないからなぁ」
「えー?ルール分かんなくても誰が活躍してるかくらいわかるじゃん。どうせ円歌はスポーツに興味ないだけでしょ?」
「うん。いつものことじゃん」
「はぁ……とにかく来てよ。……あ、もう教室戻るね」
隣のクラスに帰っていく葵の背中を見つめる。次の授業のチャイムが鳴った。次は現代文。読書好きの私は現代文の教科書は配られたらすぐに読み終えてしまうから授業はほとんど聞いてない。それでも成績は抜群に良かった。だから先生には悪いけど物思いにふけるのにちょうど良い時間と認識している。
中学生の頃、何回か葵から部活をしているところを見に来てほしいと言われたことがあった。当時から私は幼馴染である葵のお願いを断り続けていた。スポーツに興味がないからと理由を付けて断っていたのは本当だけど半分嘘でもあった。
中学1年生の夏。バスケ部に入部した葵を見たくて、こっそり普段の練習を見に行ったのが最初で最後になった。体育館をのぞいた瞬間、先輩も含めたくさんいるバスケ部員の中で、1年生ながら一人だけ、バスケのことが全然分からない私でも動きが違って見える女の子がいた。それが晴琉だった。
あの時、晴琉だけがスポットライトを浴びているかのようにきらきらして見えた。そして私以上に、晴琉をきらきらした目で見つめる葵の姿を見た時に、私の葵に対する幼馴染以上の気持ちに気付いてしまった。葵に自分だけを見ていて欲しい、葵を自分のものだけにしてしまいたいと思ってしまった。
でも私には見せたことのない表情で晴琉を見つめる葵の姿を見ていると、葵に気持ちを伝える勇気は出なくて、ただ胸が苦しく締め付けられる日々が始まった。
それからは葵に誘われても適当に断り続け、次第に誘われることもなくなった。不仲になったわけではなくて、葵は昔から私に無理強いはしない。そういうところが好きだった。結果的に私がバスケ部に近づくことはなくなったけど、葵に部活で仲良くなったと晴琉を紹介されて、いつの間にか晴琉とも仲良くなった。晴琉と私は髪色が似ていてどちらも少し明るい茶髪だけど、私は長く伸ばしていて晴琉はスポーティなショートヘアーだ。そして明るくて頼りになって、バスケだけじゃなくて体育祭でも活躍しててかっこよくて、それでいてたまに甘えてくるところが可愛くて、私にとっては少し憎らしく感じるほど素敵な女の子だった。私は晴琉の良いところを見つける度に、葵に気持ちを告げる自信が無くなっていた。
あの時の自分がもっと素直で可愛げがあって、葵の応援に熱心に行っていたら、私たちの関係は変わっていたのかな――。
すっかり物思いにふけていたら、あっという間に授業が終わった。しまったノートが真っ白だ。隣の子にテストで出そうなところだけ聞いておこう……っていうか、何でまた部活を見に来てってお願いしてきたのだろう。高校生になったから気が変わるとでも思ったのかな。不思議に思いつつも、どうやって葵にバレずに帰れるかを考えながら放課後まで過ごした。
「うぇーい。円歌捕まえたー」
放課後になり、個人的最速記録で教室から昇降口まで辿りついたはずだったのに。気付けば晴琉に後ろから抱きしめられ捕まっていた。鍛え抜かれたバスケ部の晴琉の腕から運動音痴の私が抜け出すことは難しい。
「晴琉。何してるの」
「部活を見に来る約束でしょうが」
「そんな約束してないよ」
「葵が言ってたもん。連行しまーす」
「えぇ?ちょっと……もぅ」
晴琉の顔は見えないけど、ににここと無邪気な笑顔をしているのが想像できる。晴琉は私のお腹に回していた腕の力を緩めると、そのまま流れるように私の肩を掴み、さっさとバスケ部が活動している体育館まで押し進めた。全く、二人して何なんだ。
体育館に着くと晴琉はここで見ててねとドアの横まで案内してくれた。他の生徒もちらほらいる。この学校は女子高だからか、かっこいい先輩のいる部活には特定のファンがいて、見学していることがよくあるらしい。
「来てくれたの!?」
部活の準備を見守っていると葵がやってきた。私が体育館にいることに目を丸くしている。私がここにいる元凶のくせに。
「葵のせいじゃん」
「えー、何?不貞腐れないでよ。今度アイスでもおごってあげるから」
「ほんと!?」
私の頬を撫でながら、すぐに機嫌を直した私を見て微笑む葵。機嫌を直したわけがアイスでないことに葵はきっと気付かない。葵が私に少し触れるだけですら嬉しいなんてこと、気付かなくていい。
「じゃ、行ってくるね」
いつもは下ろしているセミロングの黒髪をポニーテールにして駆け出す葵。揺れるポニーテールに見惚れてしまった自分が単純すぎて少しだけ悔しい。
まもなくウォーミングアップが終わって紅白戦が始まった。二人には申し訳ないけど、試合の展開?っていうのがさっぱり分からない。またまた申し訳ないけど試合に飽きてしまった。もう読書でもしようかとカバンを探ろうと屈んで下を向くと、ひときわ大きい黄色い歓声が体育館に響いた。晴琉が活躍でもしたのかなと思わず顔を上げたけど予想が外れたことに気付く。隣の女子がその歓声の原因であろう人物の名前を叫んだから。
「「志希せんぱーい!」」
志希(しき)と呼ばれた先輩が誰の事なのかはすぐに分かった。体育館にいる全員の視線を集めていたからだ。ロングの明るいブラウンの髪の毛をポニーテールにしている人が放つボールは弧を描いて籠に吸い込まれるようで、そこまでの所作が素人の私が見ても美しいと思った。晴琉を初めて見た時にきらきらしていると感じたあの場面を思い出して胸が苦しくなる。
カバンを探る手は自然と止まり、ただただ試合を眺めていると、葵と晴琉が他の選手と交代して試合に出てくるのが見えた。でもあの時の苦しさを思い出してからはもうまともに見ていられる気がしなかった。この場で体育館の雰囲気を味わうのも嫌になってしまった。
明日二人には適当に体調が悪くなったとか言えばいいや、そう思って帰ろうとした時、ちょうど晴琉と目が合ってしまった。拳をこちらに突き上げている。たぶん「頑張るよ」って意味のサイン。でもいつもの晴琉と違って何だか表情が固く不安そうに見えた。そんな晴琉を見るのは初めてで戸惑った。私は私なりに晴琉のことを大事な友達だと思っているから、このまま黙って帰ることなんて出来なかった。
「晴琉!頑張れ!」
私が思わず叫んだ言葉は他の応援する女子たちの声でほとんどかき消された。でも気持ちは届いたみたいで、晴琉はいつもの笑顔を私にくれた。
結局帰るタイミングを逃して最後まで紅白戦を眺めていた。晴琉は活躍していたようだけど、葵はそうでもなかったみたい。部活後の表情が物語っていた。さっそく晴琉は他の女子から囲まれていて、それを見て紅白戦の後よりもっと表情を暗くする葵を見て、やっぱり来なければ良かったと思い始めていた。せめての抵抗で葵の視線を遮るようにタオルをかけた。
「わ、雑!」
「タオルかけてあげるなんて優しいでしょ?」
「……何で葵はタオルだけ?」
「ん?」
「何で晴琉のことは応援したくせに、葵のことは応援してくれなかったの」
「え?」
葵は私の前では自分自身を「葵」と呼ぶ。私の前だけかどうかは知らないし知りたくもない。勝手にそうだと私が信じているだけ。
「だって晴琉と目が合ったから。無視しろっていうの?」
「……そうじゃないけどさー」
「ごめんて」
「いいけど……なんで嬉しそうなの」
葵の頭を撫でながら謝る。晴琉だけ応援したことを妬いてくれたこともそうだし、アイスが無くても機嫌を直してくれる葵に思わず笑みがこぼれる。全然反省してなくてごめんね。
「円歌!助けて!」
嘆願するような声とともに女子に囲まれていた晴琉が女子たちの中心から飛び出してきた。女子たちも満足したのか散っていった。
「晴琉。お疲れ様」
「うへぇ。疲れたぁ!」
私にもたれかかる晴琉。こんなに甘えん坊だったかな。不思議に思っていると晴琉は急に強く私の両肩を掴み、意を決したような眼で見つめてきた。今日の晴琉は何かが変だ。ただ、その理由はすぐ分かることになる。
「あぁあああああ!!!」
突然の聞き慣れない大声に驚く。晴琉の顔越しに見える景色には私を指さす綺麗な人。あれ、この人は。さっき散々黄色い歓声を浴びていた――。
「やば!!!超かわいい!!!」
何やら私に興奮している目の前の美人は、志希先輩だった。
「先輩。落ち着いてください。今紹介しようと思ってたんですから」
志希先輩の方へ振り向いて、呆れたように言葉をかける晴琉。表情は見えないけど、私の肩に置いた手がわずかに震えていることに気付いた。そして隣に立つ葵が複雑な表情をしているのを見て、察した。志希先輩に私を紹介するために二人は部活を見に来るように言ってきたのだ。晴琉がいつもと様子が違うのはきっと、紹介したくない理由があったから。葵はその理由が分かっている。
晴琉が志希先輩に抱いている感情が、先輩が私に抱いている感情が同じだとしたら――。
……やっぱり来なければ良かった。
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