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私はエルマーの実家が有する別荘に住むことになった。
別荘は、私の実家からは遠いひなびた村にある。
その別荘にはメイドと下男もいて、私は家事すらしなくてよかった。
ただ、結婚指輪を身に着け、一日三回、食事の前に夫の魂の安息を祈る。
戦争は劣勢だったオーリアン王国が巻き返しているらしく、膠着状態が続いていた。
そんな奇妙な夫婦生活が一ヶ月ほど続いたある日、夜中に窓から誰かが侵入してきた。
悲鳴をあげかけた私の口を手でふさぎ、顔を隠していたフードを首を振って外したのは――
(エルマー)
久しぶりだったけれども、わかる。
間違いなく、エルマーだ。
「しっ。騒がないでくれ。いいか?」
うなずくと、エルマーは手を外した。
「あなたは死んだはずでは……?」
「……気がついたら、味方の死体の下になっていて……トドメを刺して回っている敵の目を盗んで、逃げてきたんだ」
「どうして、軍に戻らないの?」
「戦場から逃げた時点で、脱走兵になるんだよ。あの戦いを生き抜いたというだけで、俺は処分される。だから、しばらく隠れていたんだ。両親にも言ってない。でも――俺が死んだことになって、君が花嫁になったと聞いて――こうして来たんだ。……知らなかったとはいえ、すまない」
エルマーは悲痛に顔を歪めた。
「別に、謝ることないわ。この生活、悪くないし」
そう言ってみせると、エルマーは少し哀しそうに微笑んだ。
「君さえよければ、一緒に来ないか?」
「え?」
「俺はアヴァロス王国に逃げ延びる。知り合いがいるんだ。そこで、本当の夫婦になろう」
いきなりの求婚に、私は顔が熱くなるのを覚える。
「この国じゃ、だめなの?」
「俺はこの国では死んだことになっているし、もし生存がバレたら殺される。――もちろん、君の選択に任せるけど」
「…………」
私は考えこんだ。
両親は、エルマーの両親が援助してくれている。
自分がいなくなっても、それは続けてくれるだろうか。
その懸念をエルマーに話すと、「それは大丈夫だと思う」と語った。
「一度、援助するって言ったら継続してくれるよ。……それに、君が逃げたと思わせないように、ちゃんと手を回す。あのメイドのことは、昔から知っている。とても口が堅いんだ」
だけど、とエルマーは私を見すえた。
「言ったように、俺は脱走兵だ。戦場から逃げた臆病者として、いつか捕まるかもしれない。……それでもいいのなら」
真剣に、エルマーは私の思いを問うてくる。
私には、エルマーが臆病だなんて思えなかった。
私が同じ状況なら逃げるし、逃げてほしいと思う。
されど、この国のしきたりはそれを許さない。
『正しい戦士』なら、死体の下から這い出て堂々と敵と対峙し、殺されるべき。
それが名誉の戦死なのだろう。
だけど、そんなこと――
「しきたりなんて、常識なんて、くそくらえ――だわ」
私のセリフに、エルマーは目を丸くしていた。
こんな汚い言葉を吐いたのは、初めてかもしれない。
愉快になって、私は笑う。
「――あなたと一緒に行くわ」
そうして、いつかのように手を取った。
*
死者と結婚した、リラ・ハドスン。
彼女は夫の幽霊に連れ去られ、忽然と姿を消したと――彼女に仕えていたメイドは語った。
それまで貞淑な妻として「死者の妻」を勤め上げていたおかげか――誰もメイドの話を疑う者はなく。
死後に育まれる愛もあるのだという美談として、その地方では語り継がれている。
(了)
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