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1 タニミ病
ベッドの中、タニミ病に罹患した研究者が呑気に寝ている。彼女は僕が知る限り最も凄い人だ。研究に生命の全てを捧げた研究中毒者、と形容しても差し支えがない程の人で、僕は同じ研究者として惜しみないリスペクトを送っていた。
『夫婦ごっこ』を提案したのは、彼女だった。
「私は一週間後、人体が朽ちて死ぬ」
研究所でフラスコを眺める彼女がまるで世間話を始める雰囲気でいたので、その言葉が異常である事を理解するのに少し時間が掛かった。
「何て言いました?」
「タニミ病を患ってしまってね。肌が緑色だろう?」
月光に照らされた右腕の一部が変形していて、カビのような緑が侵食していた。タニミ病の一例だ。最初はイチゴ程の大きさの痣が次第に全身に周り、神経と骨を蝕んでいく。突発性の一時的な心肺停止、呼吸困難、様々な病例が頻発してやがて肉体は腐り落ちる。
「恐らく、トカゲに噛まれた時かなあ。あの土地に厳重隔離処置を施さなければならないね。仕事が増えて面倒臭いなあ」
「……何で、そんなに冷静なんですか」
「そんなの決まってるじゃないか!」
僕の手を掴み、強引に腰を抱き寄せられる。
ワルツを踊るバレエダンサーのようにくるくると回らさせられる。狂気的な熱を帯びた瞳が僕の視線と交錯する。
「研究出来るからに決まっているだろう! 君は検体が一つ手に入ったと思えばいいんだ」
「……貴方が死ぬなんて、耐えられない」
「じゃあ一緒に死ぬか? 私は構わんぞ」
僕の精一杯の言葉も全く取り合ってもらえない。一度研究欲に火がつくと昼夜問わず助手として研究を半ば強制的に手伝わさせられたのを思い出す。
それから患部の写真撮影、過去の病例との照合を行い、正式にこの病がタニミ病であると結論づけられた。僕は死刑宣告を待つ罪人のように間違いであってくれとただ祈っていた。目の前ではしゃぐ彼女を見るとどっちが患者なのか分からなくなってしまう。
彼女は屈伸すると、項垂れている僕に近付く。
「そろそろ次の段階に行こう」
吐息が耳元で弾ける。
妖艶な微笑が、僕のシナプスを焼いていく。
「これから君は、私の夫だ」
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