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デイルームを出ていく妻の姿が、完全に見えなくなった。代わりに、妻に付き添っていた看護師さんが私のところにやってきた。
「奥様、今、お部屋に戻りましたよ」
「ありがとうございます」
私は、看護師さんにお礼を言い、頭や腕に巻かれた包帯を素早くほどいた。
「今日はどうでしたか。いろいろお話できました?」
看護師さんが私に訊ねる。
「ええ。今日は、いつも以上にたくさん話ができたような気がします」
「それはよかったです。今、預かっていたお荷物をお持ちしますね」
看護師さんは、そう言うと、再びデイルームを出て行き、数分後に私のリュックサックを抱えて戻ってきた。
私は礼を言いながらリュックサックを受け取った。チャックを開けて、私服を取り出すと、速やかにパジャマから着替えた。
「いつもお付き合いいただいて、本当にありがとうございます」
私は、深くお辞儀をして、改めて看護師さんに感謝の言葉を述べた。
妻が認知症を発症したのは、五年前のことだった。ちょうど私が定年を迎え、これから二人でのんびり暮らしていこうとしていた矢先のことだ。
日々進行していく妻の症状が重くなってからは、病院に併設された、こちらのケア施設でお世話になっていた。
今の妻は、自分の名前も思い出すことができない。そして、私が誰であるかも――。
けれども、そんな妻と奇跡的に「夫婦」として会話が成立する話題がひとつだけあった。それは、私が大怪我をした時の出来事に関わることだ。
郵便配達員として日々バイクを運転していた私は、どこか注意力が散漫なところがあり、何度か転倒して大怪我を負った。
仕事中だけでなく、一人で自転車に乗っている最中や、歩いている時に、何かに接触したり躓いたりして転んだこともあった。
ひどい時には、頭を打ち付けた拍子に一時的に意識を失い、救急車で運ばれて病院で目覚めるということもあった。
その度に私は、病院に呼び出された妻を動揺させ、随分と心配を掛けてしまった。
頭を打った前後の記憶も飛んでしまい、事故だったのか事件だったのかもうやむやになった時には、事件だと思い込んだ妻が、泣きながら「絶対に仇を討つ」と取り乱す一幕もあった。
私たち夫婦の人生は概ね平穏で穏やかなものだったけれど、およそ七、八年に一回くらいの割合で、こういった災難にも見舞われた。
その時の出来事は、二人にとって辛く痛々しいものでしかなく、できれば二度と思い出したくないものだった。
ところが、ある日、認知症が進んだ妻に、ふと、この話題を投げ掛けた時、彼女がその時のことをよく憶えていて、「妻」として私と会話をしはじめたのだ。
驚いた私は、それ以来、妻と面会する度に、この話題を持ち出した。
今では、施設の看護師さんたちの協力も得て、当時、私が入院していた際の包帯姿に扮して、彼女と会話をしている。そうすることで妻は、より鮮明に当時の記憶を思い返してくれているような気がするのだ。
ときどき、私は今日みたいに悪のりして、「ただの事故ではなく、何か事件が起きていたのでは」と、敢えて妻に謎めいた表情で言葉を投げかけたりもする。ミステリー好きだった妻と、それをきっかけに夫婦の会話が弾むことを期待して――。
そんな私の企みは、功を奏する時もあれば、まったくの空振りに終わる時もある。基本、怪我にまつわる彼女との会話は、同じような内容の繰り返しだ。
それでも、いくつかの大怪我の記憶のおかげで、私たちは面会をする度に、これまでの人生の機微や、お互いの性格や口癖などを、少しずつ、振り返ることができている。
妻にとっては「心配の種」でしかなかったであろう当時の思い出たちは、今や、私たち夫婦にとって、かけがえのない宝物に違いなかった。
「もう、これ以上、心配かけないでね」
怒り顔で、そんな言葉を口にする妻の様子を思い浮かべながら、私はそっと呟いた。
「あと少しだけ、心配をかけさせてもらうよ」
〈了〉
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