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「では、互いに自己紹介をお願いします」
俺の経歴は雑誌などで公表されていたので手短に話した。彼女も、能面のように感情を表にだすことなく「経済学者です」とだけ発した。
「お互い、結婚を考えておられないとのことですが、理由を教えてください。私には、知性派でお似合いのお二人に見えますが」
俺はむず痒いものを感じつつ、ここではっきり言わねばと腹をくくった。
「ご存じの通り、私は婚促法が憲法違反だとして提訴しております。理由は――」
これもテレビや雑誌で公表され、叩かれもしている内容なので知らない者はいないだろう。しかし、自分の口で語る意義は大きい。長い講釈のあと、アナウンサーは溜息をつきながら、早乙女さんはいかがですか」と振った。
「その論法では、法理論だけの話に拘泥してしまい、政府の悪行を止めることはできません」
彼女は背筋を伸ばして、強めの語気でキッパリと言った。
この女、味方じゃないのか?
彼女は、俺と同じく婚促法に反対する者だ。同床異夢。目指す山頂は同じでも、山を登るルートは違うのだ。
彼女は延々と持論を述べた。
「このやり方では、一時的に子供は増えても持続的な伸びにはつながりません。なぜなら、人の心のファクターが抜けているからです。幸せのファクターを組み込むのは容易ではありませんが、私は無視してはいけないと考えています」
最初は懐疑的だったが、聞いているうちに、なるほどと思えてきた。そして、彼女の知識、洞察力に尊敬の念を覚え始めた。
俺たちは、同じホテルに宿泊させられた。話すのはラウンジでと決められていた。そこには、二十四時間、スタッフがカメラを構えてスタンバイしていた。どうやら四六時中、放送しているようだった。
俺たちは、昼間はつまらないマッチングゲームをやらされた。そして、夜はラウンジで激論を交わした。
「世論を味方につけないと、訴訟には勝てないと考えます」
彼女はニコリともせずに持論を展開した。出会って二週間経過していたが、彼女は笑うどころか、ほのかに笑んだことすらなかった。
「君は訴訟というものが分かっていない。ゴシップ的に世論をコントロールしても判決に影響はでない」
「そうなの、面白い」
面白いは、彼女の口癖だった。知らないことを知ったときに、その言葉が出るようだった。学者の例にもれず、彼女は勉強熱心だった。翌日には、俺の言ったことの背景を勉強して、反論してきた。
「法律における定説の判断は、時代で変わるそうですね。その時に会った解釈をする、それが法律の適用というものでしょ?」
「では、君の論が世論を変えると?」
自信ありげに彼女がうなづく。
「強制的な婚姻は、幸せを産まないので、破綻します。強固な子育て支援こそが地道で唯一の解なのです」
「ではやってみてくれ。俺は法律面で、君は経済面でアプローチする」
彼女は小さくうなづいた。恋愛要素のかけらもないトーク。これらも全て中継されていた。二人の会話は政府にとって不利なものに思えた。しかし、違うのだ。
年が明けた瞬間、俺たちは逮捕される。見せしめだ。反対する人間はこうなるという、最も良い例となるのだ。
そして、ついに大晦日がやってきた。
俺たちの番組は紅白歌合戦の裏番組として放送されるらいしい。
そして、この中継は世界的にも注目されていた。日本のやり方が成功すれば、これから少子化を迎える国々の参考になるからだ。
時刻は午後十一時三十分を過ぎた。
スタジオは静まり返っていた。観客もアナウンサーも黙って見守っている。「なぜ、結婚しない! 非国民」とビルの外では抗議運動が起こっていた。しかし、スタジオ内ではそういった声は上がらない。
彼女は目を閉じて動かない。どこに視線を向ければいいのか分からないのだ。
彼女と激論を交わした、この一か月を回想した。
彼女の向学心につられて、俺も経済学について相当に勉強した。彼女からも色々と教わった。互いに切磋琢磨できた満足感があった。
――俺と付き合わないか?
そう言ったら、彼女は「はい」というだろうか?
変人という点では、似たもの同士だ。変人同士なら、うまくいくのではないか?
俺は首を振って、妄想を振り払った。そんなことをしたら、政府の思うつぼだ。一度決めたら、やり通すのが俺のやり方だ。きっと彼女も。
部屋の片隅には、スーツ姿の屈強な男が二人立っていた。おそらく警察官だろう。深夜零時を超えた瞬間に、俺たちを逮捕するのだ。
日本中、いや、世界中で放送されている番組の中で。
ブブ……と低い振動を感じた。
手元においていたスマートフォンだった。アナウンサーの許可を得て、俺は電話に出る。
「何? ……そうか」
アナウンサーの手元にスタッフが慌てて、原稿が書かれた紙を届けていた。
「今、高等裁判所の判決が出たとのことです。原告敗訴。法案は維持との判断です!」
こんな深夜に判決が出ることはない。演出の一環だ。俺たちをギリギリまで揺さぶるために、政府が裏から手を回したのだろう。
アナウンサーの目が「婚約してくださいと言え、さもなくば……」と告げているように思えた。俺は時計に目をやる。あと五分。
逮捕されたら有罪は確定。そうすれば弁護士バッチを外さなければならない。
諦めて、適当な女性と結婚すればよかったのか? 意固地になる理由などなかったのではないか? 親や同僚の顔が脳裏によぎる。
俺は目を閉じて考えた。彼女も経済学者としての地位を維持したいはず。利害は一致している。しかし……。
目を開いた俺は、スタジオ、アナウンサー、そして、彼女を見た。まもなくタイムリミットだと分かったためか、彼女は黙って俺の方を見ていた。
「連絡したいところがあるのですが」
「えー、どうぞ」
驚いた表情を見せたアナウンサーが、スマートフォンを使う許可を出した。
口元を手で隠して電話を掛けた。
「よく聞き取れなかったのですが、どこに何の連絡をしていたのですか? あなたが注目されていることはご存知ですよね。隠し事はなしですよ」
そう言うアナウンサーの元へまた、原稿が届けられた。目を通すなり、彼の眉がつり上がっていくのが見て取れた。
「速報です。高梨法律事務所が最高裁に控訴することを決定しました。繰返します――」
この自体を予測して、その準備は整えていた。先ほどの電話で事務所に進めるように指示をしたのだった。
「高梨さん。これが何を意味するかお分かりですよね」
アナウンサーは「救ってあげようと考えていたのにと」言わんばかりにあきれ顔をした。
「早乙女さん」
俺はアナウンサーを無視して、彼女を見据えた。予想外の呼びかけに彼女は、少しだけ目を見開いた。
「次の作戦会議は拘置所で。いかがですか?」
俺は不敵な笑みを作った。
数秒の間をおいて、彼女も同じように笑った……気がした。
まばたきをしていたら見逃すほど一瞬ののち、彼女はいつもの無表情に戻っていた。
「それ……面白そう」
十二時を知らせるベルが鳴り響いた。スタジオが騒めき始める。大柄の男性が、俺と彼女の方に近付いてきた。
後悔はない。
アナウンサーは、プロデューサーらしき人物とヒソヒソと話していた。そして、大声でこう告げた。
「皆さん、今から移動していただきます! 次の中継は拘置所からです!!」
(了)
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