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1.我が家
朝。6時30分。珈琲の豆をゆっくり挽くところから、私の一日は始まる。ほんのりと漂うモカの香りを胸いっぱいに吸い込むと同時に、お湯を沸かす。
「おはよ~」
ジャージ姿で二階から降りてきたのは、長男の晴也。国立大学の2年生だ。学業は二の次で、今はバンドに嵌っているが、単位を落としたりしている訳ではないので、ほっといている。
「…はよ」
次に降りてきたのは、長女の陽菜。高校二年生。そろそろ大学受験の準備を始めなければならない頃なのだが、ダンスに夢中でそれどころではないらしい。特別貧乏でもなければ、裕福でもないので、出来れば浪人はしてほしくないと思っているが、親の心子知らずとはよく言ったものだ。
「二人とも遅刻するわよ。早く食べちゃいなさい」
トーストを齧りながら、子供たちを急かしているのが、妻の弥生である。私とは、大学を卒業してすぐに結婚した。今年で46歳になる。家のことは、ほとんど彼女任せにしてきたが、これまで特に大きな問題もなく、実に平穏な家庭生活を提供してもらっている。
淹れたての珈琲を妻の前に置く。ありがと、と言うと、いつもと同じように一口すすって、あぁ美味しい、といつもと同じ感想を漏らす。
今日も平和だなぁと思いつつ、自分のトーストを焼く。目玉焼きとサラダは、すでに妻が人数分用意してくれている。これもいつものことだ。
晴也と陽菜も、弥生に急かされているのにのそのそと席に着くと、ようやく食事を始めた。これもいつもの光景である。
私に弥生、晴也に陽菜。我が家の変わらぬ一日が今日も始まるはずだった。
…はずだったんだ。
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