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翌日、私が朝起きてくるとリビングのテーブルの上には離婚届が置かれていた。夫は必要事項を書き判子もついてある。後は私が名前を書いて判子を押すだけなのだ。
「ホント、私って何なのだろうか」
私は離婚届を破り捨てた。緑と白の紙吹雪が森の中で輝くダイヤモンドダストのように舞い踊る。そう、私は夫の提案にノーを突きつけたのだ。
私は何も出来ない女である。多分だが、他の男と再婚しても「補い合う」関係にはなれないだろう。そんな私でも「世間体」のためとは言え一緒にいてくれる夫は「ある意味」では最高の男ではないだろうか。私はそんな風に考えるようになっていた。
帰宅し、塵箱の中に散らばった離婚届を見た夫は私に言った。
「おい、ヨーグルトの容器は燃えないゴミの方に入れなさい」と。しまった、おやつのフルグラにかけたヨーグルトのプラ容器をそのまま塵箱に捨ててしまっていたか。散らばった離婚届よりも、そちらの方が気になるところ離婚に関しては気にもしていないようだ。
私は何故か安堵してしまった。
その後も、私達夫婦の生活は続いていった。夫が家事の一切と仕事を行い、私は食っちゃ寝と趣味に没頭する悠々自適たるものである。
私は未だに何もかもを夫に「おんぶに抱っこ」状態で、妻としての存在意義を見つけられていない。夫に捨てられないのが不思議なぐらいである。そんなに世間体が大事なのだろうか。
時が流れ、夫が定年退職を迎えた。私達夫婦もいい歳になった。夫が毎日家にいるようになったのだが、家事は全て夫任せなのは変わらない。私もそれに甘えてリビングで日向ぼっこの毎日だ。
結局、子宝には最後まで恵まれなかった。後はどちらが先に亡くなり看取るか看取られるかの話だ。
私としては夫に先に亡くなられては何も出来なくなるために、私の方が先に亡くなりたいと思っている。
夫としては、私が先に亡くなったところで「ふたり」が「ひとり」になるだけでこれまでと何も変わらないだろう。言い方こそ違うが、終活の話をした時に似たようなことを言われている。
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