天へと贈る手紙

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代書屋とは、本人に代わり書類や手紙などの代筆をする職業である。 以前は識字率も低く、専門書類などの作成には代書人が用いられたらしく月日は流れ、江戸時代には公事師や奉行所公認の代筆業があったこともあり、更にはそれから様々な歴史を得て現在は司法書士及び行政書士として士業の一つとされている。 さて、これは士業などという大層なご身分が確立するほど未来でもなく過去でもない、そんな半端な時代半端な私の話である。 私もそんな代書屋だが、公的機関に従事しているわけでもなく、ただただ恋する人に恋文を書いてほしいという乙女もしくは男子の依頼から額に飾る一筆啓上してほしいとの依頼で筆を執ることもある。 言葉に関することならばなんでも請け負う町の代書屋、単なる言葉好きな代書屋、それが私である。 まあ、面白くもない私の代書屋としての生い立ちから歴史を語っても詰まらないだろう。 第一私は代書屋。言葉を紙に綴ることが好きなだけの人間である。 だからここに私が代書屋として選んだ言葉の中で面白かった依頼でも書いて聞かせよう。 あれは秋の雨夜が続いた日であった。 ある一人の女性が店の古い扉を開けてやって来たのである。 依頼は恋人への恋文。 ごく簡単な依頼かと思われたが、恋人はとうに空の上。既に亡くなったとのことであった。 亡くなった恋人へ想いが届く恋文を書いてほしい。 女性はそう依頼を私へとした。 手紙を亡き人へと届ける術など私は知らぬ。 だが、知らぬからと依頼を断り悲し気な女性を雨の降る夜中に放り出すわけにもいかぬ。私の矜持がそれを許さなかった。 「分かりました。悲し気な貴方。依頼を受けましょう。あの世へ手紙を届ける術は知りませんが、言葉のこととなればなんとかしてみせましょう。さあ、涙をお拭きになってください。貴方が笑顔になれる言葉を選び綴ってみせましょう」 ハンカチーフを手渡し、軽いとも思われる約束をした。 だがこれは正式な依頼だ。そして、私は言葉選びに関してはいつでも本気である。 女性は何度も頭を下げて、再び雨の降る夜道を歩いていった。 さて、あの世にいる人へ届く言葉とはなんだろう?あの女性が伝えたかった恋文とは? 考えても考えても分からない。 普通の恋文ならばすらすら言葉が浮かぶ。 その恋文で恋仲にした男女も数多い。 この世とあの世。 住む場所が違うだけで言葉選びが途端に難しくなってくる。 はてさて、どうしたものか。 紙とペンを机上に置き悩むこと数時間、とりあえず寝ることにした。 こういう時は悩んでも書けぬ。中身のない言葉程、相手に届かないものはない。 布団を引いて灯りを消していざ就寝。 すると、不可思議な夢を見た。 依頼主の女性と見知らぬ男性が仲良さげに紅葉を踏んで遊んでいた。 彼女はとても嬉しそうな笑顔で男性の顔を見て児戯を楽しんでいた。 彼が恋人に違いない。 それにしても、寝て依頼人とその対象の面影を見れるのは初めてのことだ。 起きた後もその事は鮮明に覚えていた。 これは果たして彼女達にあった事実であろうか、それとも悩んだ私が見た夢なのだろうか。 確かめるために翌日も陽が高いうちからまた布団を引いて眠る姿勢を整える。 昨日あれだけ寝たというのに簡単に寝れるもので、結局その時も彼女と彼の仲睦まじい様子を見ていた。 その時も彼女と彼はとても嬉しそうに二人の世界で遊んでいた。 時には手を繋ぎ寄り添うだけで終わる日もある。 世の男女となんら変わらぬ二人だが、 何故か違和感を覚えた。 これはやはり彼女達の歴史なのだろうか。 だとしたらこれはあの世にも通ずるのかもしれない。 だって、あの夢にはあの世の彼も鮮明に映っているのだから。 それから私は言葉を綴るために寝るようになった。 寝れば二人のことが分かるからだ。 これが事実かは分からないが、仲の良い二人を見ていると筆が進む。 見知らぬあの世の彼は、いつしか見知った彼になっていった。 彼を想う彼女の言葉を選び綴るというよりは、彼女と彼の仲の良さを紙に綴っていた。 これでは恋文にならないかもしれないが、あの二人には二人にしかない世界があった。 私はそれを文に綴りたかった。 彼女への依頼に悩み書き進めていても町の代書屋には町の依頼が入ってくる。 やれ食い物屋のお品書きを書き上げてほしいやら娘の見合いの釣書を書いてほしいやら、地域密着と聞こえはいいが、そんなこんなで暇はない。 町の噂話も入ってくる。 身分差のある男女の悲恋があり、応援する者もいたが、二人とも亡くなってしまったそうだ。 大層仲のいい男女であったが秘めやかに、だが見る者が見ればお互いの瞳の熱で分かるかのような二人であったという。 まるで夢の中の彼女と彼であるかのようだなと思った。 町の噂話を日毎聞かされても合間にも夢は見る。 彼女と彼は誰に邪魔されることもなく逢瀬を重ねているのを夢現な私が近くて遠く見守るばかり。 彼女の伝えたい言葉は、もう当人に伝えてあるのだろうか。 ふとそんな考えが頭を過った。 そもそも死んだ彼に恋文を届けたいという依頼であったからして、二人がこうして何の因果か夢か現実か会っているのならば私の代書なぞ必要はないだろう。 …夢ならばやはり天に届くような恋文を書かなくてはいけないのだが。 あの二人を見ていると、私の代書は必要ない気がしてくる。 それだけ、二人の仲は夢というには現実味を帯びていた。 「先生、先生。知っていますか?最近この辺りで若い娘さんが亡くなったのを」 私に話し掛ける馴染みの町人は、町のことなぞ紙の上でしか知らないと思って話してくる。 まったく、人を世間知らずかのように。 まあ、確かに紙ばかりに向き合って世のことに疎いのは事実なのだし、その若い娘さんが亡くなったことは知らなかったのだが。 しかし、よくよく聞いてみるとその娘さんの特徴が依頼してきた彼女の姿ととそっくりだった。 そしてその女性は噂の悲恋の女性だとも。 名前も彼女の通り。 彼女は、私に依頼をしたその夜道に車に轢かれて亡くなったそうだ。 彼を追っての発作的な後追い自殺か事故かも分からないとのことだ。 つまりは、私の夢で愛し合い過ごしていた男女は彼女と彼なのだろうということもある。 非現実的だろうがそう考えるとすとんと自身と二人の形に当てはまる。 ロマンチストではないつもりだったが、そうであればいいと思うほど夢の中の男女は仲睦まじく悲恋とは程遠い。 いや、二人には幸せになって欲しいとすら思い始めていた。 では、この二人に贈る言葉は一つしかない。 書き終えていた夢の中の二人の様子を書いた恋文に添えて、新たな紙に筆を執り紙に綴る。 これは代書ではない。 私が彼女と彼に贈る言葉である。 「お死合わせに」 そう書いて、天に届くよう二通を火に焚べて二人に手紙を贈った。
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