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わたくしの通う学園の一つ下の学年に珍しく庶民で光属性の少女が入学したと聞いたのは、まさに入学式の日、婚約者の第三王子ヒュンベルト様からお聞かせいただいたからです。
何故、庶民の女生徒のお話をヒュンベルト様から聞いたかと言えば、入学式で道に迷ったその女生徒を案内しているうちに聞いたからだとか。
……正直なところ、他の女性のお話をヒュンベルト様からお聞かせいただくとはしたなくも妬いてしまうのですが、幼い頃より貴族の仮面を被ることを強要され続けて表情筋が死んでいるかのようであり、口下手なわたくしでは上手くお伝えできず、ただ一言無表情で「そうですか」としか言えませんでした。
氷姫などと陰口まで叩かれて、わたくしは本当にヒュンベルト様の婚約者としてやっていけるのでしょうか?
いえ、ヒュンベルト様が我が家に婿入りされるのですが。
社交界も苦手なわたくしにヒュンベルト様から愛されたいと願うのは我儘でしょうか?
我儘でしょうね。
この婚約もわたくしが幼い頃、ヒュンベルト様の婚約者選びに駄々をこねて成り立った縁談。
ヒュンベルト様の意思を無視して家の力でお願いした婚約ですもの。
せめて嫌われないようにするのが精一杯ですわ。
「オルテリンデ様!お願いします!私を助けてください!」
目の前で頭を勢いよく下げられたのは件の庶民の女生徒でした。
先日、ヒュンベルト様からのご紹介で何かあったら先輩として、同じ女生徒として親しくしてやって面倒を見てほしいと頼まれましたの。
それからわたくしなりにこの子、ナタリア様の面倒を見てきたつもりでしたわ。
それなのにまだ助けてほしいと。
わたくしの手助けがまだまだ足りなかったということですわね。
ヒュンベルト様にも申し訳が立ちません。
「ナタリア様、助けていただきたいとはいったいどのように…?……わたくしのお手伝いがどのくらい足りなかったのでしょうか?」
「いいえ!オルテリンデ様からは充分すぎるくらい助けられております!そうではなくて、わたくしの断罪を回避していただきたいのです!」
断罪?ナタリア様は可愛らしくて素直でいつでも一生懸命でヒュンベルト様の周囲からもご評判がよろしいのに。
首を傾げるわたくしにナタリア様は説明してくださいました。
「私…前世のことを思い出してしまったんです!私が実は悪役令嬢と思われていたオルテリンデ様にヒュンベルト様が溺愛されていることを知らずに言い寄ってしまって逆ざまぁされる思い上がりヒロインだってことを!」
……なんですって?
「わたくしがヒュンベルト様から溺愛されている……?」
そのようなこと、あるのでしょうか?
「そうです!ヒュンベルト様はとても恥ずかしがり屋のマイナス思考のせいで、表情筋が死滅していて言葉数も少ないオルテリンデ様から愛されていない、単なる王族との縁がほしい婿養子目当てだと思われてオルテリンデ様から愛されていないと思われているのです!両片想いなんです!!」
「まあ……」
大変なことを聞いてしまっているにも関わらず、わたくしの表情筋が相変わらず動いてくれず淡々とした対応になってしまいましたわ。
ヒュンベルト様がそのような勘違いをなされていたなんて…。
「それでですね!その両片想いのオルテリンデ様とヒュンベルト様との間に入ってオルテリンデ様が愛されていないと勘違いした私がヒュンベルト様に言い寄ってヒュンベルト様から断罪されてしまうのです!オルテリンデ様とヒュンベルト様との仲を壊そうと、虚偽の証言をしたり自分の物を壊してオルテリンデ様のせいにしたりしたことを明らかにされて高位貴族のオルテリンデ様を陥れようとした罪で修道院に入れられてしまうのです!」
「それは大変ですわね…言い寄ったんですか?」
聞き捨てならないことが出たので思わず聞き返してしまいましたわ。
「言い寄りました!!申し訳ありませんでした!!でも思い出した今!心を入れ替えてヒュンベルト様とオルテリンデ様に尽くすので許してください!!」
また頭を盛大に下げられました。
すべて本日初めて聞いたことで正直なところ頭が混乱しそうですわ。
どうしても顔には出ませんが。
「大体のことは分かりましたが、わたくしにどうしろと?」
「ヒュンベルト様とラブラブになってください!!」
「まぁ!!」
人生で初めてかと思うくらい大きな声が出てしまいました。
そのようなことが出来れば今まで拗らせておりませんわ!
困り果てるわたくしになおもナタリア様は言い募ります。
「ヒュンベルト様がオルテリンデ様とラブラブになって私の粗相を忘れるくらいになってくださらないと私に未来はないんです!お願いします!どうか私を助けてください!!」
頭を下げたまま言われてもわたくしにどうすればいいのか。
「……とりあえず、ヒュンベルト様とお話ししてみますわ」
「ありがとうございます!オルテリンデ様!」
そうして、わたくしはヒュンベルト様とのお茶会に挑むことになりました。
とても緊張しておりますが相変わらず表情筋が動いてくれません。
無表情です。
こんなわたくしを本当にヒュンベルト様は愛してくださっているのでしょうか?
出された紅茶を一口飲み、ヒュンベルト様に訊ねます。
「ヒュンベルト様はわたくしのことがお好きなのですか?」
……直球すぎましたわ。
ヒュンベルト様は飲まれていた紅茶でむせております。
「大丈夫でしょうか?」
「ええ…いや、はい。大丈夫です」
心なしかお顔が赤いですわ。
これはもしや、ナタリア様が仰ったように本当にわたくしのことがお好きなのかしら?
わたくし達、両想いと思ってもよろしいのかしら?
ふわふわした感情を持て余しても表情筋が動いてくれませんわ。
気の利いた言葉すら出てきませんわ。
どうしましょう?
お互い無言で視線を彷徨わせてしまいます。
「あの…ナタリア様からお伺いしたのですが、ナタリア様と親しくされていたとか」
言い寄ったなどという言い回しは出来ませんでした。
「それは…その、事実ですが、あなたの思うような仲ではありません」
「私の思うような仲とは?」
無表情で声も感情がこもらないせいかヒュンベルト様のお顔が青くなります。
「いえ、本当にナタリア嬢からは寄られてきましたが、私が愛しているのはあなただけなので毅然と断りました!」
突然の大声に瞼がパチリと動きます。
「あなたのことを愛しています。婚約者に選んでいただいた時より以前から、ずっとお慕いしておりました」
ヒュンベルト様の真摯なお言葉に、わたくしの表情筋が初めて動きました。
嬉しい。
その感情のみが身体を支配して、体が熱くなるのが分かります。
「…あなたのそのような表情、初めて見ました」
「わたくしも、自分の表情筋が動いてくださるのを初めて感じましたわ」
そう言うと、ヒュンベルト様は微笑みわたくしの手の甲にキスをしてくださいました。
「オルテリンデ様の表情が動かなくても、そのお心が分かるよう私も努力致します。ですから、どうかそのお心を少しでも私に預けてくださいませんか?」
ヒュンベルト様はこのようにお口が回る方でしたでしょうか?
「わたくしも、自分のことを諦めずにヒュンベルト様のことを理解したいと思っております。不束者ですがよろしくお願い致します」
頭を下げてお願いをするとヒュンベルト様が慌てて身ぶり手振りで顔を上げるよう懇願してくる。
「そんな!私の方こそオルテリンデ様に似合う男になります!よろしくお願い致します!」
「いいえ、わたくしの方こそヒュンベルト様に相応しくなるよう表情筋の動かし方と社交をがんばりますわ。わたくしの方こそよろしくお願い致します」
その後はお互いに私が!わたくしがと譲らずしまいにはおかしくなってしまって二人で笑ってしまいました。
とはいえ、わたくしの笑みはまだ歪ですが。
ナタリア様には合った出来事をお話して、ヒュンベルト様にもナタリア様のことをお話しして、ナタリア様はわたくし達のキューピッドとなりました。
ナタリア様の仰る断罪とやらももちろんありません。
いつか、満面の笑みでヒュンベルト様に愛の言葉を囁けたら。
そんな夢を見ても今は許されるでしょうか。
そう見た夢は結婚式で叶えられました。
「ヒュンベルト様、一生涯愛しております」
そう微笑んだわたくしにヒュンベルト様も「私もだよ、オルテリンデ」と返してくれて、わたくしはとても幸福です。
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