送迎者

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 父さんが死んだ後からだ。母さんが「お迎えはいつかなぁ」と言い出したのは。だからきっと、父さんが死んだからだ。母さんが死を意識し始めたのは。  それまでは、100まで生きるぞ、なんてニコニコ笑う人だった。子どもを連れて遊びに行けば、お小遣いとお菓子を「申し訳ないから」と断りを入れるほどに持たされることもあった。そんな心地いい家に、子孫が寄りつかないはずがなく、明るい家は連休のたび、騒がしい家に変わった。そんな様子を、ご近所さんは優しく温かい目で見てくれていた。 「アンタのところは賑やかで羨ましいわ」  誰かにそう言われるたび、母さんは照れていた。「なんて幸せなんでしょうね」と、笑い皺をくっきりと刻んでいた。  そんな幸せな家は、父さんが病に倒れ、入院した頃から少しずつ形を変えていった。  母さんは足が少し悪くて、長い時間歩くこととか、自転車を漕ぐのが難しかった。となると移動する時に都合がいいのは自動車なのだが、「自信がないから」と頑なに運転することはなかった。これまではいつも、父さんがハンドルを握って、母さんをいろいろなところへと連れて行っていた。運転手を失った車は持ち腐れ、運転手を失った母さんは、ひとりぼっちの家にこもるようになった。  父さんのところへ荷物を持って行く時と、食料や日用品を買うときくらいしか、外へ出ない。豹変ぶりに驚いたらしいご近所さんが、普段は挨拶しかしないというのに、珍しく私を捕まえて、話しかけてきた。「大丈夫なの?」と問われ、私は条件反射的に「大丈夫です」と答えたが、この時、ご近所さんに助けを求めていたら、過去でいうところの未来であり現在には、また違った景色が広がっていたのだろう。 「父さんの病院まで、移動するの大変でしょ? 免許あるんだし、運転したら? 運転するの不安とかだったらさ、練習付き合うよ。俺でよければ」 「ううん。いい。タクシーとか使えばいいだけだから」 「でも、お金かかるし、不便じゃない? 俺が送れたらいいんだけど、そう頻繁には――」 「無理しなくていいのよ。本当に、自分でどうにかするから」 「でも、やっぱりさ。車に乗った方が、買い物だって息抜きだってできるんだから」 「私なんかが運転しちゃダメなのよ。踏み間違えとか怖いし、もしも事故起こしちゃっても、救護できる気がしない。こんな状態で運転するなんて、ダメよ」 「そんなに気にできるくらいなら、大丈夫だよ。安全運転できる」 「ううん。大丈夫じゃない。安全運転はできるかもしれない。事故を起こさずに帰って来られるかもしれない。でも、安全にって頑張りすぎて、運転した後すごく疲れるだろうな、とも思うの。何もかも手につかないくらいに」  何を言っても、母さんには響かないようだった。  そこまで抵抗している人に、それでも、と押し付ける気にはならない。  私は過去に一度だけ、母さんに押し付けられそうになったことがある。あれは高校受験の時だった。志望校を決める時に、第一志望はここだ、と、私の希望よりも母さん自身の理想を優先させようとした。受け入れないとお金を払わないやら何やら色々言われてムカついて、汚い言葉をたくさん吐いた。  その時は確か、父さんが仲裁してくれたんだ。それで、仲直りをして。その時に、互いに『押し付けることはよくないことだ』ということを学んだんだ。  過去の学びが、今の行動を縛る。  タクシーなどの代替案があるのだからなおさら、「つべこべ言わずにハンドルを握れ」とは言えない。  言葉をグッと飲み込んだ。  そのことを私は、今でも後悔している。あの時、母さんを強引に運転席に押し込めて、私が助手席に乗り込めばよかったのだと、後悔している。
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