舞台の狭間 2

1/1
前へ
/1ページ
次へ
舞台に立つのが好きだった。 役者を舞台に立たせるために様々な人が苦労し努力した上で立つ舞台。 そこに当たるスポットライト。 このスポットライトを浴びるために努力をし続けてきて、どんなセリフも表情や仕草も役を演じる練習をしてきた。 すべては舞台のために。 そう思えばすべてが捧げられた。 例え小さな劇団でも、そう思える人生だった。 あの男、篠塚隼人が現れるまでは。 篠塚隼人は特殊だった。 すらりとした長身に目鼻立ちも涼しげで、一度見たらそう忘れそうにない顔をしていた。 主役を現す風体だった。 裏方のキャストにも敬意を払い些細なことでも手伝い気配りし、台本も一度読めば役を完全にものにしてしまうのか現場で読んでいる姿を見たことがない。 天才というのは、篠塚を指す言葉だろうとも思えた。 劇団内ではすっかりちやほやされて、あっという間に主役に抜擢された。 羨ましい、妬ましい、恨めしい、すっかり負の感情に取り憑かれてしまった。 篠塚隼人。 彼のような天才が、何故目の前に現れてしまったのか。 だって、彼はなんでも出来るではないか。 わざわざ役者を目指さなくてもいいと思う。 売れない役者というのは大概が貧乏だが、篠塚は学生時代に起こした会社が波に乗って社長をしているらしい。 舞台に立つ時は部下に任せているらしいが、そんなことをするくらいなら社長業に専念しろと思う。 暇人の戯れで俺の愛する舞台を壊してほしくはなかった。 小さな劇団が、すっかり篠塚隼人のための劇団になってしまった。 皆が篠塚に傾倒していき、篠塚のための舞台を作り上げていった。 役者のためのスポットライトは、篠塚のために当たるようになった。 この頃には俺も燻っていたから退団して他の劇団に入団しようかと考えていたが、一番予想外なことに篠塚から待ったが掛かった。 『あの』篠塚隼人から必要とされていると自尊心が擽られて結局劇団には残ることになった。 しかし、残したわりには特に何もなくスポットライトは相変わらず篠塚隼人を当てている。 やはり辞めれば良かったと後悔する頃には遅かった。 しばらくして、所属している劇団から篠塚と二人でとある舞台のオーディションに参加することになった。 劇団の垣根を越えて様々な人物が集められていた。 実力差は圧倒的なのに、二人で参加なんて惨め過ぎる。 団長は、篠塚は何を考えているのか。 篠塚の踏み台になれというのか。 考えても時間は進むしオーディションは始まる。 せめて精一杯の演技を、と思っても篠塚の前では霞んでしまう。 主役を演じている筈なのに、同じ台本でも篠塚の方が主役に感じてしまう。 俺は、主役のセリフを精一杯なぞっただけの一般人でしかなかった。 とても惨めで悔しくて、やはりオーディションなんて受けなければ良かったと思った。劇団も辞めれば良かったんだ。 俺が負の感情に渦巻いて、ともすれば篠塚に暴言でも吐きそうだった。 しかし、結果として俺達は選ばれなかった。 俺はともかく篠塚まで。 篠塚の演技は完璧だった。 事実、感情移入して少し泣いていた審査員もいた。 ならば出来レース? 俺の頭は疑問符でいっぱいになった。 「やっぱり、難しいな。役者って」 篠塚が小さく笑った。 何が難しいだ。 お前ほど役者の才能があるやつ、このオーディションですらいなかった。 出来レースなら落ちても仕方がないと思っているのか? 「俺は、お前のそういうところが嫌いだよ」 オーディション用のセリフが書かれた紙を丸めて捨てて、俺は篠塚を置いて帰った。 篠塚がどんな顔をしているかは見る気もなかった。 帰宅途中、強くもないのにお酒をたくさん買い漁り帰宅してからは文字通り飲んで忘れようとした。 結局、忘れることは出来ず二日酔いになって劇団の練習を休むことになっただけだった。 翌々日、何事もなく劇団に向かうと途中の公園でベンチに座る篠塚を見掛けた。 内心「げ」と思いながらなんとなく隠れて裏から様子を見ると篠塚は本を読んでいた。 いや、あれは本ではなくて台本だ。 篠塚のための劇団になってしまった、篠塚が主役の台本だ。 その時、初めて篠塚の台本を見た。 付箋だらけであちらこちらにメモ書きが書かれていて、何度も読み込んだあとが目に見えて分かってしまう。誰だよ。一度読んだら役を完全にものにしてしまうなんて言ったのは。俺だよ。 篠塚は、役になるために努力をしていた。 きっと、台本を読みながら稽古をしている俺より読み込んで体で覚えて下稽古に挑んでいる。 篠塚は一通り読み直したあと、台本を鞄に仕舞いその日の稽古で台本が出されることはなかった。 もちろん、篠塚は一度のミスもしなかった。 何も見えていなかったのは俺だ。 スポットライトの光の眩しさに、すべてを眩ませていた。 スポットライトから一歩踏み出したら途端に視界が暗く光の当たる場所しか見えなくなる。 「何やってるんだ。早く位置に戻れ」 監督から言われたけれど、スポットライトってこんなもんだったか。 台本を片手にスポットライトの中に戻る。 俺にとってのスポットライトってなんだろうな? ……篠塚にとって、何故この劇団で役者をしてスポットライトを浴びるのか、本気で分からなくなった。 俺がスポットライトを浴びて端役を演じている間も篠塚は相変わらずスポットライトを浴びて主役をしていた。 しかし、そのスポットライトは俺にも当たっていた。 舞台は一人では出来ない。 俺は端役だが、確かにスポットライトを浴びている。浴びていたんだ。 篠塚がいても、いなくても、俺が舞台に懸けるものは変わらないんだ。 篠塚が劇団が借りている劇場から出てくるのを待って呼び出した。 夜の公園には俺達以外に誰もいなかった。 篠塚の台本を盗み見た公園だ。 なんて切り出していいか迷ったけれど、直球でしか俺は話せない。 「散々八つ当たりして悪かったな」 篠塚の目は見れないながらも謝罪した。 「まったくだ。朝も盗み見していただろ」 わざとらしく肩を竦めて言うポーズも様になっている。 分かっていたのに黙っていたのか。 そんなところがやはりすきじゃないかもしれない。 「篠塚のこと、やっぱり好きじゃない」 「ははは」 不貞腐れた俺が言うと篠塚は軽く笑った。 こいつはきっと散々勘違いされてきたんだろう。俺みたく。 「今度、セリフ合わせ付き合ってくれよ。篠塚となら上手くなれる気がする」 「なんだそれ。俺のこと好きじゃないんじゃないのかよ。他人に頼らず上手くなれ」 笑って言われるが、篠塚が役者として上手くなるにはたくさんの練習があったんだろうな。一人で。 気が付かない世界と、気が付いた世界と、こんなに違うものなのか。 「篠塚はさ、なんでこんな劇団に入ったんだよ?もっと上を目指せるだろ?」 「……うーん。これを言うにはちょっと恥ずかしいな」 照れて頬をかいている篠塚に軽く小突く。 「こっちだって恥ずかしいこと言ったんだから言っとけよ」 「引かないか?」 「聞いてから決める」 そんなに恥ずかしい理由があるのか?あの劇団に入ることに? 「お前がさ、この公園で練習しているのを見掛けたんだ」 「ここが自宅と劇団の中間距離でそこそこ広くて邪魔にならないからな」 大体の練習はいつもここの片隅でしている。 「俺は幼い頃から神童なんて言われて大体のことが出来たし、会社もやってみたら上手くいっちゃって社長なんて肩書きまで出来ちゃってさ」 「嫌味かよ、お前」 「違うって。そんなある日さ、この公園でお前を見掛けたんだよ。誰にも見向きもされないのに一生懸命、役になりきろうとしているお前を見て、俺もなにかになれるんじゃないか、一生懸命になれることがあるんじゃないかって思えたんだ」 「ふーん」 誰も見ていないと思っていた練習は、篠塚に見られていて、何かを与えたらしい。 少しの気恥ずかしさと照れで声が震えていないか心配だった。 「だから、お前がいるあの劇団に入ったんだ。俺が手に入れられないものがあるって信じて」 結果は全部お前の手の中になったけどな。 「それで、どうなんだよ?」 「役者って、楽しいな」 それは初めて見る篠塚隼人だった。 役者でも天才でもなんでもない、単なる篠塚隼人がそこにいた。 「そうだろ。役者って楽しいんだよ」 「ああ。もっと、いろんな役を演じたい。表情をセリフを伝えたい」 なんだ。こいつも単なる役者馬鹿になっただけか。 「前言撤回してやるよ。やっぱり、お前のこと少しは好きだよ。この役者馬鹿」 また小突いて、笑った。
/1ページ

最初のコメントを投稿しよう!

2人が本棚に入れています
本棚に追加