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なんとなく違和感を覚えたのは三歳の誕生日。
フリルをふんだんに使われた可愛らしいドレスを着せられた時、これじゃないというか、これを着るべきではないと脳が言い出した気がしました。
鏡を見せられる映るのは毎日見慣れた目付きが鋭いながらも可憐な美少女で、やはり脳が拒否反応を起こすのです。
『俺はこんなんじゃない、なんだこの悪趣味な格好は』
ここでわたくしはとてもびっくりしましたの。
頭の中でわたくし以外の声が響いている。
…しかも男性の声が。
わたくしは混乱してしまい側にいた乳母に助けを求めました。
「大変なの。わたくしの頭の中でわたくしではない男性の声が聞こえるの」
乳母はわたくし同様に驚いて、両親に報告に行きました。
『わたくしってなんだ?俺は俺だろう?』
「いいえ、いいえ!わたくしはわたくしです!あなたはどなた?」
『俺は俺だよ。お前こそ誰だよ』
他者からお前呼ばわりされたことのなかったわたくし、アニエス・アルテランテはあまりのことに絶句しましたわ。
なにせわたくしは公爵令嬢。
自分の頭の中の人物といえどこのような言動を受けたことなかったのですもの。
「なんて無礼な方かしら!?あなた、お名前を名乗りなさい!」
小さな体でプリプリ怒っても何も怖くはないし、相手は頭の中の人物だと分かっていても公爵令嬢の矜持が男性を糾弾するのです。
『俺は俺だよ。多分、前世のお前だよ』
これにはわたくしも再度絶句致しましたわ。
わたくしの前世がこんな野蛮な男性で、しかも頭の中に棲みついているのです。
あまりのことに小さな体では受け止めきれなくて意識を失うことは直前、乳母が両親を伴い自室に戻って来るのが見えました。
目を覚ますと両親と乳母が心配気にこちらを覗き込んでおりました。
医師が近付き問診と熱を測り、もう大丈夫ですよと一言告げると下がりました。
「ああ!アニエス!無事でよかったわ!」
身体をベッドから少し起こすとお母様から抱きしめられました。
「アニエス、頭の中で男性の声が聞こえていると乳母に言ったらしいが、まだ聞こえているかい?」
お父様に尋ねられます。
『もちろん、俺はまだいるよ』
「ええ、お父様。まだ無礼な男性の声が頭に聞こえてまいりますの。これはなにか病なのでしょうか?」
両親は控えていた医師を伺います。
「そのような事例は聞いたこともないのでなんとも申し上げられませんが……幼少期の一過性のものかもしれませんし、聖女のお告げかもしれません。一度神殿に赴いて聖女判定をされてはいかがでしょうか?」
医師の提案に男性の声が笑いながら答えます。
『聖女?アニエスが聖女なわけないだろう?なんてったって俺が作ったゲームの悪役令嬢なんだから』
「お父様、お母様。頭の中の男性がわたくしは聖女ではないと。悪役令嬢なのだと仰るの。悪役ってなんですの?わたくし、悪い子なんですの?」
わたくしの言葉にお父様とお母様はお顔を見合わせます。
「可哀想なアニエス。きっと疲れているのよ。王子からの婚約の打診なら断っても問題はないわ。だからしっかり休んでまずはその幻聴を治しましょうね」
お母様がお布団を掛け直してくださいます。
「そうだぞ、アニエス。王家からの婚約の打診を断ったくらいで揺らぐアルテランテ家ではない。安心するといい」
お父様が頭を撫でてくださいます。
私はお二人の優しさに安心して再度夢の世界へ旅立ってしまいました。
『可哀想なアニエス。王子の婚約者から外れたくらいでルートはヒロインの味方なのにな』
頭の中の男性は相変わらず煩いですが、わたくしには両親も優しい乳母もいますもの。
お母様の言う通り、早くこの幻聴を治しましょう。
翌朝起きても頭の中の声は無くなっておりませんでした。
『おはよう、アニエス』
「……おはようございます」
『おっ、返事はしてくれるんだ』
「公爵令嬢として、最低限の礼儀ですわ。ですが、わたくしはあなたを認められません」
ベッドの中で一人でぶつぶつ喋るわたくしを乳母が可哀想な子供を見る目で見てきましたので、心の声で話掛けてみました。
『こちらの声でも聞こえますか?昨夜、わたくしに仰っていたことはなんですの?ルートはヒロインの味方とか。悪役令嬢とか。悪役って、わたくしは悪者ですの?』
『賢いな、さすがはアニエス。そうだ。これはゲームという物語の中でお前はその物語でヒロインを虐める悪い令嬢の役なんだ。そう作られている』
『作られている、というのはあなたにですの?昨日仰っていましたものね』
『そうだ。そういう仕事をしていた』
『それを信じると思いまして?』
『現に俺がこうして話をしているだろう?』
頭の中の男性の言葉に思わず言葉を失います。
栄誉ある、王家からの信頼も厚い貴族筆頭のアルテランテ公爵家の令嬢であるわたくしが、ヒロインという物語の主人公を虐めるなどというはしたない真似を、くだらない品位を下げるような真似をするなんて。
『そのルートとやらを回避する術はございますの?』
『そうだな、それじゃあ強くなればいい』
『どういうことですの?』
『このゲームにはRPG要素もあってな、魔法やダンジョンやらあるだろう?』
『ええ、ありますわ。わたくしも七歳の誕生日にはどの属性が使えるか神殿で属性判定が行われます』
この国に生まれ落ちたすべての子供が受ける儀式、魔法の属性判定。
それにより魔法が使えるのか否か、属性は何か、強さはどの程度か判断されます。
『七歳での判定待ちじゃ遅いって、アニエス。今から魔法の練習をするぞ。それから、剣術の稽古もだ』
頭の中の声にギョッとする。
『何を仰いますの?わたくしは公爵令嬢。魔法の練習ならまだしも剣術の稽古だなんて騎士やギルド所属の方々がすることですわ!』
『だから言っただろう?アニエス。お前が生き残るには世界最強になってヒロインに勝つしかないのさ。なんせ、相手は世界一の聖女なんだ』
開いた口が塞がらないとはこのことですわ。
『聖女様?聖女様をわたくしが虐めるんですの?何故?この世界をお救いになられる方ですわよ?』
伝承に伝わる聖女様。
一千年に一度魔王と共に甦り、魔王を倒して眠りに着くお方。
『だから、それがゲームの物語なんだってば。アニエスはステータス最強のわりにちょっとボケてるな』
などとまた失礼なことを!
『それで、わたくしが生き残るには世界最強になってヒロインに勝つというのはどちらから出た発想ですの?わたくし、世界を救ってくださる聖女様を虐めるのも戦うのも嫌ですわよ』
『そうは言ってもな、アニエス。お前が魔王になるんだよ』
「……は?」
『心の声で喋らないと怪しまれるぞ。だからな、アニエス。お前がヒロインに倒されるべき魔王なんだ』
今度こそベッドに突っ伏しました。
魔王。
すべてのものに忌まれるべき魔王。
わたくしが?
『そうだぞ、アニエス。だからお前は聖女に倒される。死にたくなかったら聖女より強くなれ』
声の主はそう忠告されますが、理解が追いつきません。
『何故、わたくしが魔王になるのでしょう?』
『そりゃあ、そういうふうに作ったからな』
…この事が事実だと致しましょう。
わたくしに、死ぬのが怖いからと聖女様より強くなってどうすればいいのでしょう?
魔王は恐ろしいものだと伝承で聞いております。
わたくしが真に魔王ならば聖女様によって倒されるべきでしょう。
たとえ死ぬことになったとしても、その方が世の為ですわ。
『本当にか?アニエス』
『ええ、本心ですわ。……ですが、死ぬのは怖いので相打ち程度になるよう努力は致しますわ』
頭の中の声は大爆笑しておりましたが、こちらは命がかかっておりますの。
それにみんなの希望の聖女様を倒したくないのも本当。
だから、自己防衛に努めましょう。
「そうと決めたら寝ている場合じゃありませんわ!!」
わたくしはベッドから飛び起きると寝巻きから着替えることもせずに急いでお父様の執務室に参りました。
「お父様、アニエスです。入室してもよろしいでしょうか?」
「ああ、アニエス。もう身体は大丈夫なのかい?入りなさい」
「ありがとうございます、お父様」
入室して早々にわたくしはお父様に頭を下げました。
「お父様、わたくしに魔法と剣術の教師を付けてくださいませ」
「急に何を言い出すんだい?アニエス。魔法はともかく、剣術なんて公爵令嬢には必要ないだろう」
「いいえ、お父様。わたくしには必要なのです。お願い致します」
頭を下げたままお願いを続けます。
問答を続けるととうとうお父様が根負けをしました。
ですが、魔法も剣術の稽古も五歳になってからと言われてしまいました。
それまでこの熱意があったらきちんと教師をつけてくださると。
でしたら、それまで魔法だけでも技術を磨き魔力を上げるだけですわ。
魔法を使い、その魔法の練度を可能な限り上げては魔力切れで倒れ、魔力が上がる。
五歳になるまではその繰り返しでしたわ。
おかげさまで勉強し、魔力と練度が上がると新たな魔法を習得し浅いながらもこの世のほとんどの魔法は覚えていきました。
聖女様の降臨までまだ時間はあります。
この浅く広く覚えた魔法の練度を上げていきましょう。
五歳になるとまたお父様に教師をつけてくださるようお願い致しました。
お父様はこの日のために最高の家庭教師を選抜していてくださいました。
さて、ヒロインがあらわれるまであと十二年。
わたくしは、わたくしの思う魔王になって聖女様を迎え討ちますわ。
そして十二年間、厳しい授業という名の修行を受けました。
とても辛く大変な道程でしたが、わたくしには目的があります。めげているわけにはいきませんわ。歯を食いしばりながら乗り越えていきました。
それから十二年後。
わたくしは陛下の覚えもめでたい世界に誇れる実力を手に入れました。
ここまでの努力を思うと長かったですわ……。
そして、聖女判定の儀式で球体を光らせた聖女様が現れました。
聖女様は平民ながらもとてもお優しそうで、可愛らしい方でした。
こんな方を倒すのは心苦しく、わたくしは教会で祈りを捧げるようになりました。
どうか、どうか聖女様と戦うことになりませんように。
わたくしが魔王になるなんてことになりませんように。
三歳の頃から毎日欠かさずしているお祈り。
わたくしが魔王ならば、この願いは神には届かないと分かっていても願わずにはいられません。
ですが、同じ学園に編入してこられた聖女様はどんどんとその本性を現していきました。
淫靡でふしだらで宝石や金品に目がなく、女生徒に厳しく数多の異性を侍らせ一夜を共にする。
他にも噂や証拠はあがってきます。
こんな方が本当に聖女なのでしょうか?
いいえ、アニエス。疑ってはダメよ。頭の中の声も言っていたじゃない。
彼女は聖女だと。どうか、聖女様。
わたくしが魔王になる前にお救いください。
教会での祈りも熱が入ります。
神父様もわたくしの毎週末の祈りに感心してくださり褒めてくださいました。
言えません。生き残りたいからだとは。
聖女に倒されたくはないからだとは…。
それでも聖女様の良くないお話は毎日耳に入ります。
……あの方は、聖女様は本当にわたくしを救ってくださるのかしら?
そう思いながら宿題のために図書館へ向かう途中、渦中の人物が苛立ち声を荒げておりました。
「せっかくヒロインに転生したのに、悪役令嬢のアニエスが虐めてこないなら恋愛イベントが進まないじゃない!早く虐めに来て、魔王化してくれたらいいのに!それを倒したら私が名実ともに聖女として認められるのに!本当に役立たず!!」
……この方は、わたくしが悩み抜いた魔王という立場に軽々しくなれと?
しかも世界平和などではなく恋愛なぞというもののために?
その瞬間、人生で初めて嫌悪感と殺意が芽生えました。
魔王になると予言された時よりも明確に。
『この方でしたら、倒すのもよろしいですわね』
『おっ、ヒロインも転生者パターンか。まあ、恋愛イベントばかりに夢中になってレベル上げしてないみたいだし、俺が育て上げたアニエスの敵じゃないな』
『そうですわね』
私は汚物をこれ以上見ないように踵を返して図書館に参りました。
事を起こすのは早めに。その晩に行いました。
わざわざ正々堂々と戦う必要はありません。
密やかに、そっと首を刎ねれば良いのです。
それは深夜、聖女様が男性宅から帰宅される途中で行わさせていただきました。
勝負は一瞬で着きましたわ。
正面から向かっても聖女様は叫ぶ暇さえなく首を目掛けてスパッと一振り。
わたくしの十二年はこんなことのためにありましたの?
……いいえ、あの十二年があったから聖女様を粛清出来たのですわ。
こらからは聖女様に怯えることなく、慎ましやかに公爵令嬢として生きましょう。
だって、聖女様がいなくなったんですもの、魔王とやらも居なくていいですわよね。
翌日、聖女様殺害は国を挙げての話題になりました。
親しい女生徒も興奮気味にお話ししてくださります。
「聖女様が通り魔に襲われたらしいですわよ!」
「まあ、恐ろしい……。聖女様のご冥福をお祈り致しますわ」
胸元で手を組んで俯くと、周囲の生徒も聖女様のご冥福を祈り黙祷し始めました。
『白々しいな』
『あら、この世にはもっと恐ろしいものがあるんですもの。言葉も薄くなりますわ』
『おや、今の君がそれほどまでに恐れるなんて一体なんだい?』
『それは人ですわ』
わたくしが心の中に答えると、女生徒がとんでもない事を言い出しました。
「そうだわ!やはりアニエス様が本当の聖女なんじゃないかしら?」
「えっ?」
あまりの発言に驚いて声が出てしまいました。
わたくしは聖女様を殺した魔王ですのよ?
「アニエス様は三歳から毎日教会でお祈りも捧げ信心深く、規律正しく人にお優しい。こう申し上げては失礼ですが、ふしだらな聖女様よりアニエス様の方が聖女として相応しいかと」
そのお言葉に周囲も同調していきます。
主に聖女様にご迷惑を掛けられた方々ですけれど。
「そうですよ、アニエス様。今週末にでも教会で聖女判定を受けてみてはいかがでしょう?きっと神もお認めになられますわ」
いえ、聖女を殺した女を神が聖女として認めるわけがありませんわ。
なのに周囲は大層盛り上がり、わたくしは週末に教会で聖女判定を受ける事になってしまいました。
どうしましょう……。まあ、わたくしが聖女でないからといってなんということもありませんわ。
教会にささっと行って判定を受けて帰りましょう。
球体に手をかざすととても美しい光で輝きました。
それを見た神官様は判定を下します。
「神からお告げがありました。アニエス様こそ次代の聖女であると」
……どうしましょう。
困惑するわたくしを他所に周囲は大盛り上がり。
聖女を殺した女を聖女としてお認めになるのですか?神よ。
頭の中の声は大爆笑。
『聖女!アニエスが聖女!!とんでもないバグだな!いいじゃないか!聖女アニエス!魔王よりは聖女の方がお前もいいだろう?』
『いいえ、いいえ。わたくしは何者にもなりたくはないの。単なる公爵令嬢でいいの。神よ、何故試練ばかりお与えになるのですか?』
『それはな、アニエス。お前がアニエスだからだよ。他のモブとは違う。名前も演じる役職もある。逃れられないんだよ、ゲームの物語からは』
やはり人は怖いですわ。
聖女が死んだばかりだというのに新たな聖女が現れたと浮かれて騒ぐ群衆、わたくしを型に嵌めようとする頭の中の声。
人、人、人。すべては人。
ああ、どうしましょう。
何故ゲームという物語のアニエスが魔王になってしまったか理解できてしまいましたわ。
「まったくもってくだらない」
「聖女アニエス。なにか?」
「いいえ、神父様。なんでもありませんわ」
ただ、この世界をどうやって聖女様みたく粛清するか考えていただけですわ。
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