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15.いつ? なんで? 葬儀は?
「おはよ。リリィ」
軽い口づけをされて、私は目覚める。
ストリア公爵邸で過ごし始めてから半年が経った。
その間、私は貴族令嬢としての礼法を仕込まれ、レオに愛されてきた。
「おはよ。レオ」
私たちはいつの間にか、愛称で呼び合う仲になっていた。
この半年間、レオ以外の人はメイドや家庭教師としか会っていない。
役割があり余計なことを話さない彼らに比べ、私の唯一の楽しみがレオと言葉を交わすことになっていた。
私の中身は彼氏の浮気に傷つき、人間関係で揉まれてきた三十路だ。
だから、愛され過ぎて幸せと頭の中がお花畑にはならない。
彼に対する愛情がいわゆるストックホルム症候群的なものではないかと冷静に分析していた。
他者との関わりを最低限にされて、ほとんど監禁されているような状態で彼の愛情を浴び続けている。
(この半年邸宅の外に出ていない⋯⋯どうして誰も私に会いにこないの?)
リリアナの父親であるマケーリ侯爵も、アッサム王子との婚約を望んでいたはずなのに来訪がない。
レオの元恋人で以前は頻繁にこの邸宅を訪れていたミーナも見ることがなくなった。
今、私はただレオに溺愛されて悦ぶだけの存在になっている気がする。
それでも、私は前世の経験もあり一途な愛に飢えていた。
浮世離れした生活をしている自覚はあったが、この毎日にすっかり馴染んでしまっていた。
「マナーを心配していたけれど、食事の仕方は花嫁修行に入る前から綺麗だったと思うよ」
ビシソワーズの上に乗っていた生クリームが唇の端についていたのか、隣にくっつくように座っていたレオが舐めてきた。
食事の時間も順番にサーブしてくれる人間がついているのが正常なのに、デザート以外は一気に並べられる。
それらの食事をマナーに気をつけながらとっていると、レオがスープを掬い上げ私の口元に当てたのだ。
口の端に生クリームを残したのは、彼が私の唇を舐めたくてわざとやったようにさえ思えてくる。
「良かった。今日はアッサム王子の誕生日祝いが王宮で開催されるはずよね。一緒に出席しない?」
レオは恐らくあらゆるパーティーの招待を私に隠している。
しかし、小説を読み込んだ私には今日がアッサム王子の誕生日だと知っていた。
(公爵であるレオが招かれない訳はないわ)
「僕たちが行かなくても問題ないよ」
「私が行きたいの。せっかく練習したのだから、ダンスも披露したいわ。お父様にも会えるだろうし⋯⋯」
アッサム王子の名前を出すと、レオは私を連れ出してくれない気がした。
だから、甘やかされぼんやりした頭の中を必死で回転させ理由が探したつもりだった。
「マケーリ侯爵は亡くなったよ。人の命って突然消えてしまうものだね。でも、悲しまないで、君には僕がいるから!」
顔中にキスの雨を降らせながら語ってくるレオの言葉に理解が追い付かない。
一人娘である私が父親の死さえ知らされない事態なんてあるのだろうか。
「いつ? なんで? 葬儀は?」
「もう、4ヶ月以上も前のことだよ。君の心を煩わせると思って伝えなかったんだ。全て僕の方で手続きを済ませているから安心して」
レオが今度は愛おしそうに私の髪に口づけしてきた。
私はマケーリ侯爵の本当の娘ではないし、彼に対して何の感情もない。
しかし、もし自分の親が死んで、その事も知らされないなんて悲劇でしかない。
(レオだって両親を失っているのに、リリアナの感情が想像できなかったの?)
レオを問い正したいけれど、今は今日王宮に行くことを最優先にすることにした。
(今、彼の機嫌を損ねたら王宮に連れて行ってもらえなくなるかもしれない)
「今日の王宮でのお祝いには参加したいわ。せっかくレオにダンスも教わったんだもの、披露する機会が欲しいの」
「僕以外の男と踊らないと約束してくれるなら⋯⋯パーティーとか好きだったんだね。そういった場所は苦手なのかと思っていたよ」
小説の中のリリアナは取り巻きがいて、それなりにパーティーを楽しんでいるような記述があった。
しかし、彼女の日記から読み解くと彼女はとても内向的でパーティーが好きな性格には見えない。
ただ、彼女の実家が派手に商売をやって時には悪どい事もしている為、贅沢な悪女のレッテルを貼られていただけだ。
(レオもリリアナの本質に気がついていた? それならば彼女の苦しみにも気がついていたんじゃ⋯⋯)
深く考えると、またレオへの嫌悪感が目覚めてしまう。
今はただ彼を愛し愛されている存在でいた方が安全だ。
「レオ以外の男性とはダンスしないと約束するわ」
久しぶりに外に出られると思うだけでワクワクしてくる。
それと同時に知らない間にマケーリ侯爵が亡くなっていたりして、私の知らない事が起きていると思うと怖い。
(アッサム王子は? ミーナは一体どうしているのか⋯⋯)
私はこの半年、カエサルとも会えていなかった。
レオはカエサルの名前を出すだけで不機嫌になるので彼の事を尋ねられていない。
半年前は気を遣わず言いたい事を言えていたのに、なぜだかレオに対して言葉を選ぶようになっていた。
♢♢♢
私は半年ぶりに馬車に乗り、王宮へと向かった。
馬車の外の風景を見るだけで新鮮に感じる。
すっかり雪解けした道の脇には、色とりどり花が顔を出していた。
ポカポカした陽の光が心地よく、暖かな風が私の肌をくすぐった。
私は薄い水色に銀糸を纏ったドレスを着て、レオもペアになっている礼服を着ている。
首元にはダイヤモンドとサファイアを惜しみなく使って作られたネックレスをした。
水色はレオの瞳の色で、そんな色のドレスを私に着せる彼は相当独占欲が強い。
そして、私が身につけているもの全てが最高級だということは、高級品に慣れていない私にも分かった。
(そういえば、マケーリ侯爵の遺産はどうなったのかしら⋯⋯)
「今、他の男の事を考えていたな。アッサム王子か? それともカエサルのことか?」
「あなたの事を考えてたのよ」
私は自分が肩にかけていた薄手のショールで、レオの頬をくすぐって揶揄う。
レオが少しくすぐったそうに笑った。
正直、彼の独占欲は嬉しい時と、少し鬱陶しく感じる事があった。
私は確かに他の男のこと⋯⋯リリアナの父マケーリ侯爵のことを考えていた。
そして、私は今レオがカエサルに言及した事にホッとしていた。
(私はカエサルがレオに殺されているかもと思ってたんだ⋯⋯)
自分でも人に対して、こんな疑いを持つなんてどうかと思う。
それでも、私はマケーリ侯爵がレオに殺されたのではないかと考えていた。
マケーリ侯爵の死因を聞けば良いのに、聞けないのはレオが誤魔化さずに本当のことを言いそうだからだ。
もし、レオが自分が侯爵を殺したと言ったところで、私は怒り狂い彼の元から離れる自信がなかった。
異世界に来てほとんどの時間を彼とばかり過ごした事で、私は精神的に彼に依存してしまうようになっていた。
ここに来た瞬間の私の方が、小説を知っている事での万能感や冒険心があった。
(あの時の私を取り戻したい⋯⋯一途に愛されている今に何が不満なのか自分でも分からない)
馬車を降り、レオのエスコートで王宮の舞踏会会場に向かう。
王宮に向かう頃には暗くなっていて、闇夜に白く浮かぶ王宮が別世界のものに見える。
(別世界か⋯⋯半年も住むと、もうここが私の世界みたいだわ)
王宮に足を踏み入れると、アッサム王子と王宮で過ごした短い時間を走馬灯のように思い出した。
徹夜でアッサム王子が私を手伝ってくれたダンスレッスンも、辛かったけれど楽しかった。
「レオナルド・ストリア公爵とリリアナ・マケーリ侯爵の入場スァう」
舞踏会会場の前で私を呼ぶ呼称に驚いてしまう。
確かに、マケーリ侯爵が亡くなったら侯爵位を継ぐのはリリアナだろう。
リリアナの母は彼女が幼い頃に亡くなっている。
それでも、爵位継承式もなくいつの間にかリリアナが侯爵になっていた事に驚いた。
(もしかして、これもレオが動いて私に爵位を継承させたの? マケーリ侯爵の葬儀も取り仕切ったみたいだし⋯⋯)
レオの顔を覗き見ると微笑みで返された。
私は自分の知らないところで、色々な事が変わってしまった事に恐怖を感じていた。
ふと周りを見ると、みんなが私を幽霊を見るような目で見ている気がしてくる。
「リリアナ・マケーリ侯爵、私にあなたと踊る光栄を頂けませんか?」
その時、入場してきたばかりの私の前に跪いて来た男がいた。
光輝く金髪に隠された、その射抜くような赤い瞳に釘付けになる。
「光栄です。アッサム王子殿下」
私はその世界の中心のような男の瞳に導かれるように、彼の手をとっていた。
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