15人が本棚に入れています
本棚に追加
8.婚約破棄しましょう。どうぞ、ミーナ様とお幸せに。
まだ、夜明け前だろうか。
カーテンの隙間から見える空が暗い。
うっすらと目を開けると、アッサム王子がまだ夢の中にいるようだった。
(寝顔幼い⋯⋯可愛い)
私はそっと彼の頭を太ももからベッドの上に乗せると部屋を出た。
やや痺れている太ももに右手を当てて聖女の力を流す。
(太もも枕って初めてやったわ)
「リリアナ様、いかがなさいましたか?」
部屋の前には久しぶりのカエサルがいた。
寝ずに私の部屋の前を守っていたのだろう。
カエサルの肩に手を当てて、そっと聖女の力を流した。
すると、私がした事に気が付いたのか彼が柔らかい顔をして私に微笑んできた。
「どうもしてないんだけれど⋯⋯マケーリ侯爵邸に帰ろうかと思って⋯⋯」
アッサム王子が私と婚約すると言っている。
(それって私に聖女の力があるからよね)
彼は聖女の力に目覚めたミーナと恋に落ちる予定だった。
もしかしたら、この世界で聖女は特別視されているから彼も漠然とした憧れを持っていたのかもしれない。
(漠然とした憧れか⋯⋯)
私は自分がレオナルド様の事を詳しく知るわけでもなく、漠然と憧れのような恋をしていた事に気がついていた。
アッサム王子がレオナルド様に言う言葉は、最初は意地悪に聞こえていたが全て事実だ。
レオナルド様はヒロインミーナには一途だが、リリアナに対しては非常に失礼な存在だ。
(財産目当てで婚約した癖に⋯⋯冷遇して自分は恋人を思い続けるんだものね)
「リリアナ様、帰ってゆっくりしましょうか」
カエサルは私がアッサム王子と2人きりの部屋から出てきたのに、何も聞かない。
きっと、彼は私とアッサム王子の事がスキャンダルにならないように見張りをしてくれていたのだ。
私は部屋に残したアッサム王子に後ろ髪をひかれつつもその場を後にした。
♢♢♢
「リリアナ、アッサム王子殿下とはどうなんているんだ? まだ、建国祭の期間中だろ。仲違いしたのではあるまいな」
リリアナの父親であるマケーリ侯爵は、家に戻るなり私を問い詰めてきた。
きっと、彼はもうレオナルドの家の権威を吸い取ることより、王家に影響力を持つ企みを始めているのだろう。
「お父様の心配には及びません。しばらく部屋に篭らせてください」
私は半ば強引に父親から逃げて、リリアナの部屋へと急いだ。
カエサルに休むように伝え、これからについて対策を練る事にしたのだ。
部屋に入ってホッと一息つく。
彼女の部屋には本当に無駄なものがない。
カーテンも紺色で部屋の内装全体が落ち着いている。
(この部屋、日も当たらないのね⋯⋯薄暗い⋯⋯)
本来ならば、聖女の力に目覚めたミーナとアッサム王子が恋に落ちる。
リリアナの嫌がらせからミーナを守ったりすることで、2人の恋仲は深まるのだ。
そして、レオナルドがミーナを奪還しようと王家への反逆を試みる。
しかし、その頃にはレオナルドのストリア公爵家はリリアナの家に権力を吸い取られている。
ストリア公爵家の持つカサンデル王国最強の騎士団の団員は、マケーリ侯爵家が新設する騎士団に引き抜かれてしまう。
レオナルドは十分な味方もないまま、敗北し最後は処刑されるのだ。
私はこの小説を読んだ時に、レオナルドの何が悪いのか分からなかった。
むしろ他の男のものになっても、ミーナを一途に想い王家に反旗を翻す彼に感動していた。
(でも、それはミーナの立場で私が小説を読んでいたからだ⋯⋯)
私は作戦を立てようと、机の引き出しにノート的なものがないか探し始めた。
「日記帳?」
何の気なく開いた分厚い日記帳を見た途端、震えが止まらなくなった。
「苦しい、死にたい、生まれてこなきゃよかった⋯⋯何これ⋯⋯」
書き殴ったような悲痛な言葉の数々に私はページを捲る手を止めそうになった。
(ダメだ⋯⋯目を背けちゃいけない、私はこれからリリアナになるんだから)
まともに文章が書いてあるページは少ないが、リリアナの苦しい悲鳴が聞こえてきそうな内容だった。
「今日も、みんなが私を悪女と噂する。家を一歩出れば私を非難する耳を塞ぎたくなるような声。守銭奴の親の子だから仕方がないのかもしれない。誰の目にも止まりたくないから、今日も地味な格好をする⋯⋯」
私は思わずクローゼットを開けた
そこには黒や紺といった地味で質素な服が並んでいた。
クローゼットの中のドレスも王国一の富豪の家の娘とは思えないくらい地味なものばかりだ。
(リリアナは目立ちたくなかったんだ⋯⋯誰かに存在を認識して欲しかった私とは真逆)
2月20日
『レオナルド・ストリアとの婚約が決まった。マケーリ侯爵邸を出られると思うと心が躍った』
8月5日
『将来の夫は私に興味を持たない。彼には恋人がいて、彼女はとても可愛い』
12月8日
『どこに行っても私の人生は地獄のようだ⋯⋯』
読んでいる文字が滲んで、私は自分が泣いていることに気がついた。
マケーリ侯爵は小説の中でも、娘を商売道具としか捉えていないと書いてあった。
リリアナ自身はレオナルドとの婚約に期待して、ミーナの存在にショックを受けて追い詰められていた。
私は鏡の前に行って、リリアナ・マケーリの全身を見た。
「こんなに綺麗なのに、どうして⋯⋯」
モブ顔で素通りされる七海とは違い、誰もが振り返りそうな美しいリリアナ。
赤い腰まで届く艶やかなウェーブ髪も、エメラルドのように輝く宝石のような瞳も一度見たら忘れられなさそうな程に魅力的だ。
私はこの世界に来て、レオナルドを幸せにしようと思っていた。
でも、今は目の前に映る赤髪に緑色の瞳をした女の子を幸せにしたい。
トントン。
「リリアナ様⋯⋯ストリア公爵がお見えです」
「今、いくわ」
大好きなレオナルド様が、足を運んでくれたというのに心が静かだ。
(あんなに好きだったはずなのに⋯⋯)
彼に背を向けられて傷ついてきたリリアナの心情を知ったからだろうか。
客間に行くと、マケーリ侯爵がレオナルドと歪みあっていた。
「お父様、私から婚約破棄についてはレオナルド様にお話しします。2人きりにしてくださいませんか」
私の真剣な思いが伝わったか、マケーリ侯爵は部屋を出て行った。
「レオナルド様、どうぞお座りください。お茶も出さずに申し訳ございません」
私がメイドを呼ぼうとすると、彼が私の手首を思いっきり掴んできた。
「ついこないだは僕を好きだと言ってた時とは、全く違う顔をしているな」
レオナルド様の空色の瞳は私を見据え、怒りに燃えていた。
「やはり、他の女性を思っている方とは結婚できないと思い直したのです。婚約破棄しましょう。どうぞ、ミーナ様とお幸せに」
急速にレオナルド様への気持ちが冷めていくのを感じた。
彼はこの体の主を苦しめてきた男で、利用しようとした男だ。
そして、彼は今後ミーナに気を取られ、マケーリ侯爵に権威を根こそぎ取られてしまう。
彼の為にもマケーリ侯爵家とは縁をたった方が良いだろう。
(ずっと好きだった人だから、不幸になって欲しいわけじゃないわ)
「アッサム王子に見初められたら、僕が不要になったのか? それとも駆け引きでもしているつもりか?」
私はリリアナに心底同情した。
彼女はレオナルドに期待していた。
それを先に裏切ったのは彼の方なのに、彼は自分の事を棚に上げて責めてくる。
「そう見えますか? 私はあなたに期待してました。とても素敵な人だろうって⋯⋯」
それ以上は涙が溢れて声が出てこなかった。
リリアナも七海もレオナルドに期待していた。
「リリアナ⋯⋯何を泣いて⋯⋯」
私は自分の方に伸びてきたレオナルドの手を振り払った。
「なぜ泣いているのか私の気持ちを想像するのは初めてですか? そんな方とは結婚できないと申しております。帰ってください。もう、あなたと話すことはありません」
「また出直して来る⋯⋯」
レオナルドは私の剣幕に一歩引くと、その場を立ち去った。
(恋心が冷めるのって一瞬なのね⋯⋯)
私は前世でもタケルの1度目の浮気で気持ちは冷めていた。
それなのに、ずるずると付き合ってしまったのはレオナルド様にどっぷりハマっていたからだ。
(それ以上に私が変化を面倒に思って現状維持をするタイプだからだわ⋯⋯)
今世では幸せの為に変化してみようと思った。
たとえその結果がどうなろうと幸せになる為にもがいてみる決意をした。
最初のコメントを投稿しよう!