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9.今朝は勝手にいなくなってすみませんでした。
自分の部屋に戻り、リリアナの日記の続きを読んだ。
読めば読む程、彼女はレオナルドが自分を鬱屈した毎日から連れ出してくれる人と期待していた事がわかった。
彼と会う日が来る度に、彼に期待しては裏切られ苦しんでいた。
彼女はとても繊細で誹謗中傷に深く傷ついていた。
しかし、それを相談する相手も、彼女を守ってくれる相手もいなかった。
カーテンを開けて、外を見ると昨晩から降り続いていた雪は止んだようだった。
部屋をノックする音に反応して顔を出すと、戸惑ったような執事とカエサルがいた。
「王宮より、アッサム王子殿下の今宵の舞踏会のパートナーとして出席するよう御連絡がございました」
執事が赤い箱に金色のリボンが巻かれたものを渡してくる。
これは大きさから見て、今晩着てきて欲しいドレスだろう。
「このドレスは着ないわ。これから、王宮に出向きます」
私は、入り口付近に掛けてあった暖かそうな紺色のマントをドレスの上から身に纏い部屋を出る。
私が今朝帰宅した時と同じ赤いドレスをマントの下に着ているからだろうか、遠目に見ているメイドが慌てたような顔をした。
(2日連続同じドレスを着ているなんて恥だものね⋯⋯)
しかし、私は今日の舞踏会に出席する予定はない。
アッサム王子は朝起きたら私がいなくて驚いたのだろう
勝手に帰宅してしまったことを彼に詫びに王宮へ出向こうと思っていた。
(書き置きくらいしてくれば良かったわ)
「リリアナ様、お待ちください。まだ、外に⋯⋯」
カエサルの声を背に、私は小走りでマケーリ侯爵邸の外に出た。
ストリア公爵家の家紋のついた馬車が止まっていて、そこにはレオナルド様が立っていた。
昨晩降り積もった雪が風で舞い上がり、陽の光が反射して美しい。
その粉雪に気を取られていると、レオナルド様が近づいて来ていた。
「リリアナ、やっぱり今の君を放っては帰れなかったよ⋯⋯」
レオナルド様が切なそうな目で私を見つめている。
彼は私と別れてからずっと外で待っていたようだ。
私の頬に触れる手が、氷のように冷たい。
「もう、私のことは放っておいて頂けませんか? ミーナ様はどうしたのです?」
「今日は君と舞踏会に出席するつもりだ。君を愛する努力をしようと思う⋯⋯」
レオナルド様の空色の瞳に映っている私は恋をしている女の顔をしていなかった。
「愛する努力って⋯⋯無理をなさらないでください⋯⋯」
レオナルド様は私を惨めにさせる。
マケーリ侯爵家の財産目当てに、彼は今好きでもない私にまとわりついているのだ。
ずっと好きだったレオナルド様が汚いもののように見えてくる。
(側にいるだけで幸せだと思っていたのに⋯⋯リリアナの日記を読んでから、私の中に彼女が住んでる⋯⋯)
彼にとってリリアナはお金なのだろう。
私が昨日と同じドレスをマントの下に着ていることにさえ気づきもしない。
(女としてのリリアナに興味がないってことよね⋯⋯)
「リリアナ様、自分も同行します!」
カエサルが私に言うと、すかさずレオナルドが断っていた。
「カエサルを連れて行けないのなら、私はあなたの馬車に乗りません」
私が言った言葉に、レオナルド様は顔を顰めながらもカエサルが同行する事を了承した。
馬車に乗るなり、私の手を握りながらレオナルドが必死に語りかけてくる。
「今から今日のドレスを選びに行こう! 急なので既製品になってしまうけれど、君なら何を着ても似合うはずだ」
彼は 私が昨日と同じドレスを着ていることには気がついていたようだ。
しかし、私はリリアナに必死なレオナルドを見る度に、自分の気持ちが沈んでいくのを感じていた。
私が彼を好きだったのは、ミーナに一途だったからだ。
今、リリアナを失いそうになって金の為なのか必死になっているレオナルドは私の見たい彼ではない。
本当は彼を罵倒して離れたいのに、ずっと好きだった彼の姿を見ると喉が詰まった。
ふと、馬車の外を見るとお腹の大きな女性が道端で蹲っているのが見えた。
(妊婦? 破水してる?)
「馬車を止めて!」
私の言葉を無視し馬車が走り続けたので、私は勝手に扉を開けて外に飛び出した。
転がり落ちた時に怪我をしたかも知れず痛みが走るが、今は破水した妊婦の対応が先だ。
「失礼致します」
私は咄嗟に妊婦であろう女性に、自分のマントを掛けて目隠しにし下着を脱がせた。
「リリアナ・マケーリ侯爵令嬢? な、何を」
周囲の見知らぬ人々も私を知っているようだ。
「赤ちゃんの頭が出てきています。ここで出産します。綺麗な布を集めて、人肌くらいのお湯を持って来てください!」
私の言葉に一瞬周りが戸惑った表情をすると、強く私を非難するような声が届いた。
「リリアナ・マケーリ、この悪女が! お前の家のせいでウチは潰れたわ。この悪魔が消えろ! 俺はこの女の夫だ」
声のした側を見た途端、鬼の形相をした男と目があう。
今にもつかみかかってきそうな彼は、この妊婦の夫なのであろう。
どうしたら良いだろうか。
私は前世で助産師だったが、それを説明しても彼には理解されない。
(この世界で信用を得る為には⋯⋯)
「私は聖女です! あなたの妻も子も必ず救います」
私は今にもつかみかかって来そうな男の手を掴み、思いっきり聖女の力を流した。
「聖女様? 本当なのか? マケーリ侯爵家の悪魔の子が⋯⋯妻を⋯⋯子を宜しくお願いします」
私が彼に流し込んだ聖女の力を感じとったおかげで、彼は私への攻撃をやめたようだった。
(これでお産に集中できる)
「お母さん! すぐに赤ちゃんに会えますよ」
私は前世で何度も紡いだ言葉を繰り返しながら、赤子を取り出した。
取り出した赤子は真っ青な顔をしていて、息が止まっていた。
(臍の緒が首に巻き付いてたんだ⋯⋯)
横にいたカエサルの剣を抜き、臍の緒を切った。
瞬時に、取り出した赤子に思いっきり聖女の力を流す。
「オギャー!」
赤子が産声をあげる。
何度経験しても、私まで涙腺が緩くなる瞬間だ。
「お母さん、元気な女の子ですよ」
私は周囲の人が集めてくれた白い大きな布に赤子を包み母親に抱かせた。
「あ、ありがとうございます。聖女様」
震える手で母親が赤子を抱いた。
「先ほどは、とんだ失礼を⋯⋯なんとお詫びして良いか⋯⋯」
地面に頭を擦り付けて、私を罵倒していた赤子の父親が詫びてきた。
「とんでもないです。お父様。今日からあなたもお兄ちゃんなのかな?」
近くにいた6歳くらいの男の子を私は招き寄せた。
新しい家族のはじまりに異世界に来ても向き合えるとは思わなかった。
「リリアナ⋯⋯君は聖女の力を手に入れたのか?」
気が付けばそばにまで来ていたレオナルド様は困惑した顔をしている。
「そうです。だから、あなたの側にはいられません⋯⋯」
私は本当の理由とは違うことを言った。
私はリリアナの日記を読んでから、夢から覚めたように彼への見方が変わってしまった。
私は小説を読む時は主人公視点で読むタイプだ。
レオナルド様は、ミーナ視点での彼は何があっても盲目的に自分を想ってくれる一途な男だった。
(10年以上彼を思い続けていたのに⋯⋯私って本当に男を見る目がないわね⋯⋯)
「怪我をしている」
私の腕をレオナルドが取ると、確かに左の肘下を大きく擦りむいていた。
私がその傷を右手で触れて治癒しようとすると、彼が私の腕をとり傷から流れる血を吸ってくる。
一瞬ドキッとするも、私はすぐに素にかえってしまった。
「やめてください。私の聖女の力で治すので」
私が彼を拒絶するような低い声を発すると、彼は驚いたような顔をした。
(自分を好きだろう私なら、ときめくとでも思ってたの?)
彼と一緒にいればいる程に幻滅していく自分に気づき、私は自分1人で王宮に赴こうと口を開こうとした。
「リリアナ嬢! 待ちきれなくて迎えに来たよ!」
一晩中私の拙いダンスに付き合ってくれた優しい声。
「アッサム王子殿下⋯⋯今朝は勝手にいなくなってすみませんでした」
逆光になっていてよく表情を見えないが、自然と私はアッサム王子に寄っていた。
「わっ!」
ふとアッサム王子に抱き締められて、心臓が信じらないくらい早い鼓動を打つ。
「際どい発言を民衆の前でしないようにね⋯⋯まだ、俺たちは結婚前なんだから」
耳元で囁かれたアッサム王子の低く擽るような声に心臓が跳ねた。
(確かに今朝まで一緒みたいな事を仄めかすような事を口走っちゃった)
その事実に気がつくと、私はなぜだかレオナルド様の表情を見ることができなかった。
(後ろめたいことなんて何もないはず⋯⋯)
「聖女の力⋯⋯周囲にバラしてしまいました⋯⋯」
「そうみたいだね。諦めて俺のところに来るしかないね」
私がアッサム王子の胸に顔を埋めながら言うと、彼が優しい声で囁いた。
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