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家に帰る。もちろん家には妻がいて、不機嫌そうだ。
「遅かったね。どこ行ってたの?」
「大学時代の先輩とちょっと飲んできただけだよ。奢ってもらったし、タクシー代も貰ったから一銭も使ってない。何なら、タクシー代少し多かったから、プラスだよ」
「それと、男の先輩ね。前に話したと思うけど、豊富な知識量と圧倒的な大喜利力を持つ先輩」
「嘘なんじゃないの? 本当は女の子と会ってたんじゃないの?」
やっぱり来た。ほら、始まった。
大概これだよ。僕の言葉を信じようとせず、疑いから入る。子どものときの夢は探偵だったんでしょうかね? そんなに人を疑って楽しいのかな。
「嘘なんか付くわけないでしょ。だいたい今日は先輩と飲んでくるって、一昨日言ったでしょ。嘘ついてるとか人を疑う前に、自分自身が覚えていなかったことを反省すべきだと思いますけど」
「はぁ? 聞いてないんだけど」
「だいたい先輩と飲んでくるって何? どうせ、私の愚痴でも言ってたんじゃないの?」
正解。それに関しては当たってます。愚痴ってました、あなたのことを。
でも愚痴った上で解決策を聞いていたんです。夫婦仲が良くなるために聞いたんです。責められることは何もしていない。むしろ、褒めてほしいくらいだ。
「してないよ。ただ、大学時代の思い出を懐かしんだのと、来年の流行色を予想し合っただけだよ」
「これ以上、僕の楽しみをこれ以上奪わないでくれよな」
「は? 家事は私に任せっぱなしで、好きなことばかりしてるあなたが、楽しみをこれ以上奪わないでって? 私が家事を楽しそうにしているように見えたのか」
……まずいまずい。つい、ヒートアップしてこちらも喧嘩腰になってしまった。このままだと、また夫婦喧嘩に発展し、2、3日お互い口を聞かなくなる。
とりあえず、猫。猫になろう猫。
「私たちは夫婦なんだから、助け合うべきだと思うけど、あなたの口から手伝おうかの一言が出たこと一度もないわよね。手伝おうかって言葉自体間違っているけど!」
今だ。ヒートアップを止めるのは今しかない。
「ニャニャ? ニャニャニニニャーニャ ニャニャ」
猫になった。出来るかぎり可愛がられるように、マンチカンになりきるイメージで猫語を披露した。
――パーン
静かな部屋にその音は響く。
「痛っ!」
叩かれた。ほっぺたを思いっきり叩かれた。
痛い、信じられないくらい痛いんだけど。
「ちょっと、ニャにすんのさ?」
「何って、あんたが急にふざけだしたからでしょ」
「ふざけてニャいよ。猫になりきることで、夫婦喧嘩が収まるって聞いたから、猫にニャってただけだって。叩くことニャいじゃん」
「はぁ? あんたそれ本気で言ってる?」
「そんなことで怒りが収まるわけないでしょ? 怒ってる人の前で猫になりきるとか、非常識だけど、そんなことも分からないの」
「分からないのじゃなくて、本当にこれが正解なんだから。知らないのは君の方だろ?」
「これは、豊富な知識量と圧倒的な大喜利力を持つ先輩から聞いたアドバイス何だよ。間違っているわけないじゃん」
「それは、知識じゃなくて、大喜利力を披露されただけ。からかわれたのよあんたは」
「からかわれた? 先輩がそんなことするわけないだろ?」
「からかわれてないんだとしたら、その先輩も馬鹿なだけよ。馬鹿もしくは、経験のないくせに分かったフリして語ってるだけよ」
先輩に言われた通り、猫になりました。
猫になった結果、妻からほっぺたを叩かれました。痛いです。
いったい、どうしたらいいんでしょう?
「……最初は、猫を飼い始めればいいんじゃないかってアドバイスだったんだけど、それは難しいって断ったんだよ。だから、先輩は悪くないんだって」
「猫を飼う? どういうこと?」
「いや、だから、夫婦喧嘩を犬は食べてくれないけれど、猫なら食べてくれるって話を聞いたんだよ。夫婦が仲良くなる秘訣は、どうやら猫を飼うことにあるみたいだけど、どーせ君に、猫を飼いたいだなんて発言したら、絶対に文句を言うだろうと思ったから言わなかったんだよ」
「文句? 私が文句言うわけないでしょ?」
「聞いてもいないのに、絶対なんて言葉使わないでよ」
文句を言わないという文句を言われた。
妻は天邪鬼な所があるから、人が言ったことの逆のことをすることが多々ある。
――チャーンス!
本当は、犬か猫のどちらかを飼いたいという思いは、小学生の時からずっとあった。ペット禁止のアパートに住んでいたから自分には無理な話だと諦めていたけれど、飼えるのであれば飼いたい。
「じゃあ猫を飼ってもいいってこと?」
「飼ってもいいもなにも、私はあなたの方こそ、猫や犬が苦手だと思っていた。なかなか言い出せなかったけれど、私だって本当は猫を飼いたかったよ。あなたが苦手だと思っていたから我慢してたけど」
「なんだ、そうだったんだ」
「あ、待って。3つ確認しておきたいことがあるんだけれど」
「なに?」
「猫を飼い始めるとするじゃない、その猫はきっと、僕ばかりに懐いてしまうと思うけれど、君拗ねない?」
「拗ねるわけないでしょ!」
「そもそも、あなたより絶対私の方に懐くけど」
「……絶対!」
「絶対って言葉使わないんじゃなかった?」
「確証が持てることに関しては絶対って言葉使っていいのよ」
「強がれるのも今のうちだけどね。分かった、じゃあ仮に僕の方に懐いても拗ねないってことでいいね」
「うん」
そんなこと言いながらもどうせ、妻は拗ねる。絶対、猫は僕に懐くことも分かっている。
「じゃあ2つ目、モフモフベッド買っていい? 買うなって言われても買うつもりだけど」
「モフモフベッドって何に使うの?」
「猫が寝るための場所だよ。うちに来てくれる、これから家族になろうとしてる子をさ、モフモフベッドを買ってあげることが、悪いことなの?」
「悪いと言ってないでしょ。何に使うのって聞いただけで、反対なんかしてない。いいよ、モフモフベッド買おう。だけど、色は赤ね」
「赤? ダメだよ茶色だよ。モフモフベッドは、茶色に決まってるでしょ!」
「決まってないでしょ。黒のモフモフベッドが好きな人もいれば、紫のモフモフベッドが好きな人もいるでしょ。だいたいね、無難に選びそうな茶色モフモフを選ぶこと自体、人として面白くないのよ」
「面白くないって何だよ」
「周りと合わせられない君の方こそ、人に好かれないんじゃないの?」
「……」
「ごめんごめんごめん、嘘嘘嘘。僕は、そんな君も大好きだよ」
妻はたまに口喧嘩で、本気で落ち込むことがあるから困る。妻は好きなように僕に文句を言ってくるけど、こっちは言葉を選ばないといけないときがあるから。
「分かった分かった分かったよ。じゃあ赤モフモフでいいよ」
余談ではあるが、僕は同じ言葉を3回繰り返して発するのは、納得していないときだ。
「赤モフモフでいいから、名前は僕に決めさせて?」
「名前? 一応聞いてみるけど何にするつもり?」
「シオリ」
「ダメ!」
「早っ!」
「ダメに決まってるでしょ。どうせ昔好きだった女の名前でしょ?」
「違うよ。ほら、君って本好きでしょ? 本といえば、栞使うじゃん。その栞だよ」
「電子書籍」
「え?」
「最近は、電子書籍で本を読んでいるから栞には縁がないの。だから却下」
「モフモフも赤にしたのに、結局名前も君が決めるわけ? どうせ、君も昔好きだった男の名前を付けるんだろ?」
「あ、今白状したね。君もってことはやっぱりシオリって昔好きだった女の名前だったんじゃん」
「いや、違う。先輩が、昔好きだった女の名前を犬に付けたって言ってたから」
無理だな。この言い訳ではごまかせない。完全に墓穴掘った。
「そうだよ。好きな人の名前付けるつもりだよ」
「わたしが名前決められないなら、やっぱり飼うのなし」
「は? 何それ」
「シオリって名前付けようとしてた方が悪いでしょ。次はどうせアイにするつもりでしょ」
正解です。シオリがダメだった場合の候補として、大好きな女優の名前を付けようと思っていたのに、それも防がれるとは。
「じゃあ、名前何にするのさ?」
「それは……」
「コウタ」
「え?」
コウタは僕の名前です。妻が元々好きだった人も、コウタであった可能性もあるけど。
「好きな人の名前て言ったらあなたしか思いつかないわよ。当たり前でしょ」
「えー佳純ちゃーーん」
※
結局、猫の名前はチビコーになったけれど、チビコーのおかげで、今は夫婦仲良くやってます。
案の定、チビコーは僕に懐き、モフモフベッドには見向きもせず、僕の膝ばかりで寝る。
しかし、妻は拗ねなかった。だって、妻のお腹の中には、もうすぐ産まれるであろうチビコーがいるのだから。
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